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青春VAN日記72

本社営業の巻 その151976年6月)

<青山3丁目のお昼時>

すっかり汗ばむ気候となってきた。

“業界の紳士たれ”の私達Kent営業マンにとっては、
                    地獄の季節である。

まだ冷房車の完備していないこの時代に、きちんとしたスーツ姿で出勤、営業廻りするのは、灼熱地獄の苦しみなのです。

想像してみてください!

気温30度以上の真夏日に、ダークスーツに身を固め、冷房のないラッシュの山手線や地下鉄に乗ることを!
  
 ( もちろんどこの家にもまだクーラーは普及していません )

 ( いったい誰が日本に洋服なんぞを持ち込んだのだ!
                   と叫びたいほどでした )

入社以来この数年間は、何とか若さで理性を保っておりましたが、
                          モーイヤ!

自律神経失調症になっちゃうよ!(去年、熱中症になりかけました)

・・・それが今年からは本社勤めなので、会社のロッカーにスーツを置いておいて、ショートパンツでのサイクリング通勤!
 ( 我社は冷房完備なのです。極楽極楽! )

そして仕事帰りには、青山都営団地裏の“神宮湯”でひとっ風呂。

湯上りのビールが最高!
 ( この銭湯“神宮湯”が後の“とんかつ・まい泉”です )。

・・・ああ!快適!よくぞ男に生まれけり!

「 おはようございます! 」

“ユア−ズ”の前で声をかけてくれたのは、とんかつ「かついち」の若奥さん。

「 横田さん、自転車通勤なの?VANさんの社員は
                 若々しくていいわねえ。」

このところ、昼飯は「かついち」に入れ込んでいる。

いけねえ、奥さんの顔見たら、朝から無性に食欲が湧いてきてしまった。

これじゃパブロフの犬だね、私は。

・・・「かついち」のカツはめちゃくちゃうまかった。揚げる油が違うらしい。香ばしくカリッと色黒に揚がったカツに、糸のように細く切ったキャベツの大盛り。このキャベツがまた店特製ソースとあいまってめちゃくちゃうまい。

そして味噌汁がまた絶品でものすごくダシが効いている。これだけでもご飯一杯は軽い。そして昼ランチのメンチカツ定食のうまさと言ったら無い。揚げたてのメンチをサクッと食べると、中からじわっとしみ出す肉汁。うーたまらん!

このうまさは、目黒の「とん喜」、や後年出来た「まい泉」とは別物である・・・。

「お昼は待ってるわよ!」の声を残して奥さんは去っていった。

(・・・一昨年、“石津会長にお別れをする会”で久々に青山に行った時のこと、増田屋でそばを食べて出てきたところで、隣のビルの玄関前を清掃しているご夫婦にばったり出会った。・・・まぎれもない「かついち」のご夫婦だった。木造だった店は跡形も無く、りっぱなビルに建て変わっていた。

「石津先生もよく食べに来てくれたよ、懐かしいねえ、あの頃が。」

御主人も、99ホールで蚤の市とかSALEがあると、よく来てくれたものでした。

「また、かついちのとんかつ食べたいなあ」と私が言うと、「店はやめちゃったけど、電話をくれれば、作りに行ってあげるよ。」とのことでした。

( OBの方々、よかったらどうぞ連絡してあげてください。 )

閑話休題

そういえば、加山雄三の映画「海の若大将」で、ヒロイン星由里子のスミちゃんの働いていたのが青山「ユア−ズ」でした。

( 若大将シリーズにはVANがいっぱい。エレキの若大将での青大将の服を見よ!みゆき族時代の風景・風俗が一番見られる映画である。博物館そのものだ。 )

回転バーを押して入店すると輸入食材が溢れ、店内はアメリカその物でした。

入口左側のカウンターのスナックなど、映画では懐かしい風景がそのまま見られます。

そして76年頃には、週末の夜は深夜族やカミナリ族がよく店前に溜まっていました。

私もひんぱんに利用しましたが江利ちえみさんとよく出会ったのを想い出します。

右どなりの鏡屋(ガラス店)、ガソリンスタンドなど、懐かしい思い出のある方はぜひ一度映画のビデオでも御覧下さい。


さて営業部では午前中の仕事をサッとかたずけてしまうと、昼食の時間です。
「今日は何を食べようかなあ?」・・・

私は、普段はもっぱら社員食堂派でしたが、青山には、美味い店がたくさん有り、毎日の昼食はこの上ない楽しみの時間でした。

社食以外にもよく利用したお店がありました。

表参道の交番裏の横道を善光寺方向にチョコっと入った木造民家の定食屋でした。

おばちゃん達ばかりでやっている店でしたが、昼時になると、お婆さんの焼く焼き魚の煙が、近所中に立ち込めていました。メニューはたしか焼き魚だけ。温かいごはんにおしんこと味噌汁だけ。
いつも鰯とか、さんまの丸焼きだったけど、焼き立てに醤油を
じゅうっと掛けて“うまかった”ねえ、これは。・・・“さんまは青山に限る”。

“じゅう”といえば、ぜいたくな「吉橋」の“じゅうじゅう”。

スーパーマーケット「ユア−ズ」の3階にあった高級和風レストラン。

普段は高いのでめったには行けないが、展示会などあってお得意様がご来社されると、必ず昼食にお連れする。営業社員達は本当は自分が食べたかったのだ。

和牛の薄切り肉を鉄板焼きしたものを、和風ポン酢だれで食べる。

うまかったなあ!ご飯が何杯でも食べられたもんだった。

“じゅうじゅう”をしらないVAN営業社員はモグリである。

新館や本館のV社員で昼時いつも満員なのは、なんといっても「篠田鮨」である。

まだベルコモンズ(レストラン街)の存在しなかったこの時代には、V社員御用達No1の美味い寿司屋だった。店のお兄さん達も私達と同世代で、まるで、VANの社員食堂のようであった。

ここのランチ時の注文方法は面白かった。

15」「僕は20」とか・・・何人前か、のみを数字で注文するのだ。

ヴァンガ−ズの山崎マモちゃんなどは、「3.0」を注文していたものだった。

その近所に在った台湾料理「福欄」の一風変わったギョーザも美味かったなあ!

一方、ご飯物中心の男子とは別に、営業部の女子社員達は、パン食派が多い。

行動派は昼休みの合図とともに青山通りを横断してパスコやSNOWへと駆けつける。

( 元気溢れる女性群は、歩道橋を使わない。ガードレールも乗り越えて車の溢れる8車線道路もなんのその。まるでサイパン島戦の万歳突撃。これは非常に危険で、赤坂警察からも注意された。 )

エレガント派は菱屋洋菓子店の2Fでランチサンドイッチといったところか。

堅実派は東急ストアやピーコックでお弁当のお買物。

中には、喫茶「モリタ」でカレーを食べながら、1時間中「漫画」を読みふけっている女性豪傑派もいた。

営業部では、若者が多かったせいか、お弁当持参派はほとんどいなかったが、私が夢に見たのは、愛妻弁当派。

弁当箱のふたを開けると、でんぷでハートが、
             そして、紅しょうがで、“スキ”と書いてあるやつ。


(・・・ああ千葉さんも五十嵐さんに作ってあげたのかなあ?・・・)


           ・・・・・・何考えているんだか・・・・・!!??  


ああ!思い出すとキリが無い楽しかった青山のお昼時風景・・・

VAN本館屋上からキラー通りに沿って新宿方向を見る。
左が1966年、右が1974年の写真、VAN新館が見えます。

遠景には新宿京王プラザホテル、住友ビル(未完成)など
3棟の高層ビルが霞んでいます。



青山3丁目は、今日も晴れだった。               






  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく









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