青春VAN日記83
本社営業の巻 その26(1976年秋)
<偉大なVAN先輩達>
《 倒産後、数年経った後の
青山Kent・shopパーティでの石津会長のお話。》
ある日、赤坂某ホテルにおいて日本紳士服業界トップの方々のパーティが開かれました。
百貨店業界からも、水野社長や山中社長をお迎えして盛大に行われたそうです。
そしてその時、某・滑~山社長がスピーチされた。
壇上には石津会長もおられた。
「VANさんの出来事がありましたが、当社の“J・PRESS”は好調です。
重衣料は“1型・2型”とも順調で、軽衣量も、“スイングトップ、 トレーナー”の人気が高く、良好な売上を維持しております・・・。」
・・・まてよ?
これを聞いて、石津会長には、いつもの子供のような“いたずら心”がムラムラと起き上がってきてしまいました。
そして、つい質問してしまったそうです。
「 今あなたが呼んでいた、1型とか2型とか、スイングトップとかトレ ーナーとか呼んでいる商品名は、どこの、誰の、商品の呼び方なんです か?」
某樫山社長、曰く
「これはアメリカの“J・PRESS”社では、そういう名で呼んでいるらし いです。」
石津会長は、胸の中で必死に笑いをこらえたそうです。
(いったい、何とまあ、いいかげんな事を言い出すんだ・・・。
目の前には、ご存知の方がたくさんいらっしゃるというのに・・。)
石津会長は、さすがにその先は黙っていらっしゃったそうですが、
某社の関係者の方々は困ってしまったそうです。
賢明な読者の皆様には、すでにお分かりのことでしょう。
上記の衣服の型名・品名・(それこそ色番号やサイズ名まで)全部・石津社長とVANの先輩達が創ったネーミングや表示方法なのです。
それが後年の紳士服業界の慣習や常識になっているのです。
(しかもこの時の “J・PRESS”JAPANの企画製作監修責任者は、
なんと我“谷敏夫ヘッド”でありました。そして宣伝カタログを製作 していたのは、我“新庄君”達だったのです。)
私も入社時、VAN独自の品名、品番、色番号、型番、などの付け方を初めて教えていただいたのは、研修会での“谷ヘッド”からでした。
そこから始まったVAN社の思想や仕事のやりかたは日本中に広がっていたのです。そして、それらのVANの遺産は、現代の業界にも脈々と受け継がれているのです。
その後の、ブルックス・ブラザース・ジャパンさん、銀座ラルフ・ローレンさん、マクベスさん、ハーバードさん、ベイカーさん、クリフォードさん、などなど
現代の、ユニクロさんや、スキャッティさんや、鎌倉シャツさん・・etcにも。
また日本全国の心あるメンズ・ショップさんにも、宣伝・広告業界にも。
そのVANの思想と人脈は、川の流れのように途切れることがありません。
その流れは、衣服業界だけに止まらず、生活文化全般にわたり広がっています。
貴方の近所で、面白そうな会社や団体があったら、調べてみて下さい。
かならず、どこかで誰からかVANの名前が出てくるはずです。
近年では、ボタン・ダウンを着続ける国会議員もめずらしくありません。
これも、一つのトラディショナルなのであります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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