PAGE1 PAGE2 PAGE3 PAGE4 PAGE5 PAGE6 PAGE7 PAGE8 PAGE9 PAGE10
PAGE11 PAGE12 PAGE13 PAGE14 PAGE15 PAGE16 PAGE17 PAGE18 PAGE19 PAGE20
PAGE21 PAGE22 PAGE23 PAGE24 PAGE25
PAGE26
PAGE27
PAGE28
PAGE29
PAGE30
PAGE31
PAGE32
PAGE33
PAGE34
PAGE35
PAGE36
PAGE37
PAGE38
PAGE39
PAGE40
PAGE41
PAGE42
PAGE43
PAGE44
PAGE45
PAGE46
PAGE47
PAGE48
PAGE49
PAGE50
PAGE51
PAGE52
PAGE53
PAGE54
PAGE55
PAGE56
PAGE57
PAGE58
PAGE59
PAGE60
PAGE61
PAGE62
PAGE63
PAGE64
PAGE65
PAGE66
PAGE67
PAGE68
PAGE69
PAGE70
PAGE71
PAGE72
PAGE73
PAGE74
PAGE75
PAGE76
PAGE77
PAGE78
PAGE79
PAGE80
PAGE81
PAGE82
PAGE83
PAGE84
PAGE85
PAGE86
PAGE87
PAGE88
PAGE89
PAGE90
PAGE91
PAGE92
PAGE93
PAGE94
PAGE95
PAGE96
PAGE97
PAGE98
PAGE99
PAGE100


青春VAN日記58

本社営業の巻 その1(19762月)

<新組織スタート>

この春、入社以来の初めてのVAN全社組織変更、大人事異動が実行された。

(本社では、いったい何があったのだろう?・・・きっと何かが起こっている。)

私達販売社員は、出向先の店頭にいながらも本社の状況を薄々感じてはいた。

特に近年の倍倍ゲームの急激な成長の結果として、巨大化する人員組織            ( 社員数2500名を超えた )
肥大化する在庫。
     ( 日本橋住友倉庫に加え、大井町日通倉庫も使用開始 )

取引先の増大、マーケットに溢れる商品量、そして山のような返品量。その結果、社内の問題点も増加、
     ( 販売部設立、二つの労働組合の結成など )


そして、私が一番恐れているのは、昨夏ハワイでご子息石津啓介氏がお亡くなりになり、
我らが石津社長にお元気が無いことだ。

ああ、天中殺、大殺界!

これらは、はたして大企業としての“生まれいずる悩み”なのだろうか?

この頃から、私は、我社の大規模化に少々疑問を感じだしていた。

元来、アイビーやトラッドのような趣味嗜好性の高い商品は本来・万人受けする商品ではない。ある意味、少数派の先駆者・文化人に愛好されていることに価値がある。

日本の老舗や世界の一流ブランド品も、デパート、量販店など販路を広げることにより、規模や利益は上げても、ブランド価値を下げて商品生命を短くしてしまう。

私達のかけ替えの無い宝、“VANKentブランド”を消耗品にはしたくない・・・。

私が3年間のトラッド販売経験で悟ったことは、“売ろうと思うな、思えば負けよ”であった。

商品は不足している内が花なのである。求められている内が花なのである。

こちらからもっと売ってやろうと欲を出すと、相手は逃げてしまう。

もしVANが、欧米の100年以上も続くような伝統ブランドを目指すならばお客様の需要を満たしきってはならない。供給しきってはならない。

極端に言えば、供給不足により相手の欲求を高め続けなければいけない。

価値の原点は“希少価値”なのである。市場の要求を保ち続け、継続している事にブランドの価値があるのだ。
だから、わが国のマーケットにおいては、VANKentの販売対象人口規模は50万人ぐらい、営業規模は年商100億以下が適切ではないだろうか?

VANにはこれ以上大きくなって欲しくない・・・。

今回の大組織変更について滝川総務本部長から次のような説明があった。

「 22期を迎え、当面の“重大危機”を乗り越えるためには、
          
 (・・・やはり危機があったのか!・・・)


ヴァン・ヂャケット本体が、しっかりと根をおろすことが先決問題だ。という考えから、
今回の組織変更となった。
そのための体制ということで、何よりもまず、現業部門を
強化することにポイントを置いた。今回の組織変更のポイントは大きく4つに分かれる。

@    従来より試行錯誤の過程にあった本部制。機能を明確に打ち出し4本部制(財経、総務、営業、商品の4本部)の確立をめざしている。会社運営の責任体制の明確化と言える。

 (・今までは、責任体制が明確ではなかったのだろうか?・)


A     営業本部機能の充実。従来の統括本部の機能も分散して、ここに組み込んでいる。また、SCENENiblick等のニュー・コンセプト商品展開に伴い、営業部門を、従来のテリトリー別から商品群別に再編成している。これは、商品群別編成を確立している商品本部にあわせ、“作る”から“売る”までの一環体制を強化するためである。支店も、規模が許すかぎり、商品群別編成をとっている。

 (
・従来のチョップ別の方が社内的、社外的にも分かりやすいの  では?・)

B    従来の東京営業部が東京支社として、本社機能から独立。売上効率などの比較の面で、支店と同基盤に並べられ、合理的な形となった。営業の責任体制の明確化の第一歩である。

 
(・私は販売部設立の時にも主張したが、前年納品実績を基に作  る営業予算は間違っている。返品分までを生産することになる。そ  の過剰在庫は企業の純利益をまるごと食い潰してしまう。その責任  は重い。社員一人一人にバランスシートの感覚が薄い。だから 予  算は回収できた純売を基にすべきだ。 繊維不況なのに、なぜこん  なにたくさんの商品を作るのだ。・)

C営業統括部、商品統括部は財経本部で掌握する。これで“作る”“売る”と、財務面とが 一本のパイプでつながれたことになり、営業本部機能がさらに充実したと言えるだろう。 」 

 (・・・うーん・・・)

とうとう恐れていた事が現実となってきた。

当社21期は、初の“赤字決算”になるということであった。
いったい、会社の業績を悪化させた原因は何なのか?

・・・会社は、創業以来、初めて売上500億の壁にぶつかったのだ。そして悲喜こもごもの人事移動が始まった。

・・・そして、・・・私はようやく本土の土を踏める事になった。


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく



1983年、イタリア旅行での1シーン。少しお疲れ気味の石津社長です。







“VAN SITE”SEISHUN VAN NIKKI 58
Copyright(C) IDEAKONA. All Rights Reserved.