青春VAN日記81
本社営業の巻 その24(1976年秋)
<76年秋冬商戦>
この年、日本のメンズ・ショップ店数はピークとなり、全国Kentショップも花盛りでありました。
テイジン・メンズショップ系、元町ケントなどのS&S系、Kent&REAGAL系・・、全国有名百貨店・月販店のV社直営Kentコーナー・・・・・・、
日本で最初のKent・shopである青山Kent、鎌倉Kentさん、心斎橋トラヤさん・・・
そして歴史ある全国の老舗さん達、
だるまやさん、ハチトリさん、モリトーさん、さつき&メイさん、銀蝶さん、鳩家さん、花田さん、塩島さん、野澤屋さん、ミズノさん、356ブラさん、エンゼルさん達・・・。
そして私達Kent営業社員は、お得意様から長いご愛顧を頂く為にはどうしたらよいのか?伝統や正統を大切にする考え方を日本中に広めるためには、どうしたらよいのか?
「Kentトラディショナルにふさわしい営業方法とは何か?」
ということを、いつも考え続けていました。
それは、同業他社の方々とは“やり方”が少しばかり異なっていたようです。
私達は、現場重視の考えから、取引先店にはひんぱんに出掛けましたが、強引な商品の売込み商談をしませんでした。
見た目は、あまり“売らない営業マン”だったかもしれません。
その訳は、そもそもKentは取引先開拓の当初からお店を厳選し、トラディショナルを理解して頂いた心あるお店としか、お付き合いをしていなかったからです。
私達社員もまた、自分の大好きなKent商品を、“お願い”や“策を弄して”まで買ってもらうのは嫌だったからでもありました。
Kent営業の共通認識は、
“ 世の中が必要とするもの(商品や人間)は必ず売れる ”。
“ 存在意味の無い(機能の無い)ものは自然淘汰される ”。
・・・いいものは売れるということでした。
作為的な無理行為はしない営業の“自然淘汰”説。
「あてごとと越中ふんどしは、向こうからはずれる。」(失礼)
これは大自然の摂理なのです。
「売ろうと思うな、思えば負けよ」です。
「買ってくださる」のです。
売り付けようとすると、気配を察したお客様は逃げてしまう。だから、私などは営業商談に伺っても、ディーラーヘルプ活動ばかりしていました。
販売手伝いをしたり、ディスプレイの手伝いをしたり、トラッドうんちく話をしたり、店頭での接客術、顧客づくり、仕入れや在庫管理法、についてなどの話ばかり・・・。
Kentの良さは嫌というほど宣伝するが、品物を売りつけない営業マンでした。営業というよりは、ハウス・オーガン(会社の機関紙)だったかもしれません。
(・・・ある意味、営業職の古典“富山の薬売り”だったのかも。
・・あるいは、トラッド教・宣教師とかトラッド組合オルグ活動と言っ たほうが早いかも。)
まずは、トラッドを理解し、Kentに好意をもっていただくことに努めた。
お得意様との具体的な商品注文の話は少なくても、店の接客販売や商品整理の手伝いをして、他店情報や業界知識を伝え、お店の地域情報を教えていただいた。
そうこうしているうちに、ある日から、お茶を出してくれるようになった。次第に、趣味の話や冗談話、ご家族の話までしていただけるようになっていった。
「おい!また来いよ!」・・・訪問を待っていてくれるようにもなった。
打ち解けることが出来るようになると、お得意様の方から声が掛かるようになり、Kentご指名で商品注文を頂けるようになった。その量は次第に増えていった。
そして結果、かえって私などの営業売上は増えてしまったのだった。
( 営業とは、けっして、“売って売って売りまくれ”だけではないのである )
店頭で販売していた時も、取引先と営業する時も、同じ事であった。サービス業とは、“モノ”ではなく“喜び”という用益を売る仕事だった。
喜んで頂いてナンボなのである。
時間のかかるやり方ではあるが、お客様の喜びを考えて、一生懸命真面目に誠意ある仕事を続けていれば、お天道様は必ず見ていてくれる。
そしていつかは、“信用”というご褒美をくれる。
信用してもらえるようになれば、商品は自然に売れるようになる。
これが、トラディショナルな1型の営業なのである。
長年にわたってKent諸先輩方が創り上げてきた、我社営業の“Kentらしさ”とは、長い時の経過が選別し熟成させてくれた、この“信用”であった。
したがって、Kentは苦境の波にも強かったのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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