青春VAN日記79
本社営業の巻 その22(1976年8月)
<Kent部の先輩達>
8月も末になると、夏休みも終わり、営業部は活気を取り戻す。
その一画を占める我Kent部は、社内1の紳士の集まりである!?
正式名は営業2部だが、私達は誇りと愛着を持って“Kent部”と呼んでいた。
V社苦境の経営状態にもかかわらず、Kent部の営業成績は良好である。
チーフは杉山部長である。
部長は、スワッチの生地見本を触っただけで、素材・生地メーカーを判別する。製品の作りを見ただけで、どこの縫製工場かを言い当てる凄い人である。
御自身の歯の治療はいつまでたっても終わらないのに、部下達の健康状態には人一倍気を使って下さる、そんな部長に私達部下は全幅の信頼を置いていた。
くろす部長時代からの十数名の先輩達は、どなたも素晴らしかった。
Kent部社員は社内トップレベルのトラッド・スペシャリスト集団であった。
愛社精神溢れるKent部社員は、いつも我社営業のマストであった。
前任の田崎部長、面白い今井課長、クールな下田課長、GANTの伊藤課長、やさしいジェントルマン細渕さん、真面目な兼田さん、お洒落な海老原さん、そして倉田さん、宇野さん、中大コンビの小島・田口さん、山本さん、上条さん、箕輪さん、古井さん、牛田さん・・・達。
「どなたか一人、大事な人を忘れちゃあいませんか・・・?」
そうです!入社以来私が1番お世話になったのが、君塚豊先輩。
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SanFrancisco旅行にて、ツアーバスの前で。右、君塚氏。 |
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SanFrancisco出発前 |
・・・たしか、1970年頃だったか?
VAN “マドラス・フェア”キャンペーンが全国的に催されていた。
全盛期だったメンズクラブ見開きのVAN広告ページには、“ジャケットからシャツ、ネクタイ、パンツ、帽子、靴下、シューズ、傘に至るまで、全身ライティ・マドラスチェックづくめのモデルさんが写っていた。その人が、Kent営業の君塚さんだった。
皆さんよくご存知の、穂積先生のイラスト“アイビー坊や”・・・。
君塚さんは、そのモデルではないか?と言われてしまうほどの方である。社内1の“実写版アイビー坊や”である。
そして、あの藤井薫さんに続くVAN社内モデルである。
生まれた時からのクルーカット。
骨の髄までのアイビー人間で、日本中のアイビー少年達の頂点に立っている方だった。
入社直後、Kent部に配属された時に、“ああ!あの人だ”とすぐ分かった。
始めてあった時から他人のような気がしなかった。
往年の全国トラッド専門店オーナー達も、誰でも知っている、VAN営業社員の代名詞のような“永遠のアイビーボーイ”だった。
なぜか、先輩には入社以来ずっと面倒を見て頂いた。
もしかしたら、私にも同類のニオイを感じて頂いたのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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