青春VAN日記65
本社営業の巻 その8(1976年5月)
<新宿三丁目話・特大号>
「どん底」ですっかり味をしめてしまった私達は、その後も週末となると頻繁に三丁目方面に飲みに行くようになりました。
やがて私ら同期仲間の“盛り上げ研究会”は、どこの店に行っても歓迎されて喜ばれるようになりました。
なにせ私達はプロの客、“客道”を目指していたのであります。
明るい飲み方、豊富なボキャベツ、お店に対する心遣い、等で他のお客様達ともすぐ仲良くなり、店内全体を盛り上げて楽しいムードにしてしまうのです。
しかも一流人気企業V社のかんばんを背負っているので品行方正?
お店の経営者達にとっても、私達のような優良常連客は店集客力向上効果があり、お互いに宣伝効果もある?上客と判断されたようです。
(・・・ただ、この頃V社某セクションの社員旅行で利用された伊豆下田の某ホテルでは、よっぱらったV社員が、大暴れしてふすまや建具を破壊し、“VAN社員宿泊はお断り”“二度と出入り禁止”、という事件もあったようです。・・・)
ある深夜のことでした。
そんな私達がいつものように三丁目で飲んだ後、例によって何か食べようと、新宿御苑に近い、とある“寿司屋”に入った時のことでした。
店内の座敷には、大いに盛り上がっている7〜8名ほどの先客達がいました。
店員がその客達に、“ご注文は?”と聞いていました。
すると、 「俺、コーヒー!ブラックでね。」
「私は、ラーメン!」・・・「俺はギョーザ」・・・?????
私の耳にもはっきりと聞こえてきました。
『 え?なんだって? 』・・・ここはたしか寿司屋のはずなのだが?
『 いったいどこのドイツだ、・・そんなことはエルサレム、
・・そんな奴はオランダ、・・ 』
などと言いつつ、中をのぞいて見ると・・・
それは!なんと!
“ 赤塚不二夫さん、タモリさん、たこ八郎さん ”御一行でした!
私が幼少の頃よりの座右の哲学書、名作「おそ松君」・「天才バカボン」。・・・
ああ、ソクラテスと並び敬愛してやまない赤塚大先生 !!!!!
さらには博識を持って鳴る、
中洲産業大学JAZZ学科教授、森田一義先生!
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中洲産業大学ジャズ学、森田一義教授。新宿“J”にて |
そして元日本ボクシングフライ級王者、カッパの清作こと、たこ八郎さん。
これは、ぜひとも一言・御教授を頂かねば!この機をのがしてなるものか!
・・・・・・・・・・・気が付いたら、一緒に飲んでおりました。
赤塚大先生は、“バカボンのパパ”そのままの素晴らしい方でありました。
・・そんなこんなで、時が経ち、2年後の1978年の新宿のお話。・・
悲しくもVAN倒産と時を同じくして店じまいしたジャズ店が
新宿にありました。たしか和田浩二さんと梓みちよさんの店でありました。
新宿厚生年金会館のとなりにあった店でした。
そして、
その店を買い取って、ジャズ・クラブを再建しようという人達がいました。早稲田大学モダンジャズ研究会のOBの方々でした。
● 幸田稔さん(魅惑のダブル・サックス)、
● 鈴木良雄さん(TV番組、VANミュージック・ブレイクのレギュ
ーベースマン)、
● 増尾義明さん(スイングジャーナル人気投票、ギター部門一位)
● 森田一義さん(むせび笑うトランペット、司会マネージャー)
そして、OB会長天皇陛下に吉田さん達。
なんと!再建委員長は赤塚不二夫大先生でありました。
そして、不肖、私も再建委員の一人として加えていただいたのであります。
このお店こそ、知る人ぞ知る、新宿の夜に燦然と輝くビレッジ・VANガード、JAZZ・SPOT・“J”なのであります。
まもなく営業を再開したお店は、幸田店長のお人柄の良さ、
連日の中洲産業大学教授・森田宣伝部長のハナモゲラ四ヶ国語出演、
キラ星のような一流演奏家の出演、ジャズ研OB皆様の機動力、
都内最高品質の出版界、広告業界、放送業界、芸能界の
ジャズ好きのお客様達。
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幸田店長(右)と???さんと横田君 |
そしてジャズ・ファンの多いアイビー・トラッドグループの多数御来店により、またたく間に、年内の見事な再建を成し遂げたのであります。
(・・・それにしても懐かしいミュージシャン達の顔ぶれ。
● ピアノの伊原康二さん〈スコッチバンク・レギュラー〉、
● 余島憲一さん、
● ギターの増尾義明さん、
● あたらし和弘さん、
● ドラムの歯科医、村田憲一郎さん、
● バイソン片山さん、
● 屋代むすこさん、
● トロンボーンのライト平山さん、
● テナーの石川Qさん、
● 田辺信男さん
● アルトのビクター苫米地義久さん、
● トランペットのチョット・ベイカーさん
そしてボーカルの女王、
● 新宿の歌姫“ 安ますみ ”さん、
● ジョ二ー・ハートマン佐藤まさのりさん、
● 堀江マミさん、達。
そして、なんと、来日したカウント・ベイシー楽団
(間違ってもカントーベーシー楽団では有りません。)
のメンバーの方々まで、厚生年金会館出演がはねた後、
ご来店されたのでありました。
( 一ノ関の“ベイシー”さんも早大ジャズ研のOBでした。 )
思い出すなあ・・・あれから30年・・・皆さんお元気かなあ?
そしてこの時、VAN再建を目指して必死に頑張っていた私は、
「ジャズとVANとはお友達、世界に広げよう友達の輪!」
として、バードマン幸田店長と宣伝部長タモリさんには、雑誌企画、TV取材、アイビー・イベント、kentパーティ等、数々のご協力を頂いたのでありました。
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平凡パンチ、1980年7月14日号に掲載された特集からPICK UP!! |
VAN再建に対してのご協力の程、誠にありがとうございました。
改めて心より御礼申し上げます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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