青春VAN日記69
本社営業の巻 その12(1976年6月)
< VANは風俗(その国独自の伝承、慣習、CUSTOM)をつくる >
私は凡才であります。
したがって、国立・早・慶出身者のひしめく我が社内において、それ相応の業務成績を上げるためには、皆と同じ仕事をしていたのでは、うだつはあがらないのです。
( 幸いにも我社は、社長自らが“他人とは違う事をしなさい”と教える個性重視の気風が満ち溢れていた。だから仕事も服装も頭髪もひげも自由だったのですが。 )
そんな凡人の私が仕事で遅れをとらないためには、まずは他社員よりも業務に時間量を多く掛けるしかないと思った。
そのために、入社以来いつも“職住接近”での生活を心がけていたのです。・・・そして本社勤務をきっかけに、今回も“引越し”を決行したのでした。
新住居は代々木でした。しかも山手線内側、明治通り沿いの“フラワーマンション”!・・・の裏の木造アパートでした。
ここなら青山まで歩いても通えるのだ。
しかも神宮外苑も表参道も代々木公園も新宿御苑も近所である。
というよりは、それらの真ん中に住むことになるのである。
休日余暇は「COME ON SPORTSMAN」だ! 夢は大きくふくらんだ。
そして私個人も、日本の社会風俗も、そのライフスタイルは大きく変化していった。
世はまさに、“ヘビアイ”時代(ヘビーデューティ・アイビーの略)となった。
当時、VAN・SCENEの広めたアウトドア・スポーツファッションスタイルのことを、雑誌メンズクラブではこう名付け、呼んでいた。
考えてみれば、過去1世紀ほどを振り返ってみても、この時ほど、着るもの(ウェア)や使うもの(ツール)の機能性・合理性が追及された時代はなかったのではなかろうか。
その結果として、従来はファッションアイテムとは成り得なかった実用一点張りの製品、いわゆる実用品がヘビアイ・ファッションとして大きく注目され出したのである。
これは注目すべきことであった。そのアイテムは
《 ジッポーライター、スイス・アーミーナイフ、ノースフェイス、エディバウアー、シエラ・デザイン、トップサイダー、LL・ビーン、コンバース、ナイキ、カンパニョロ、シマノ、ローレックス・・・ 》
等々枚挙にいとまがない。
そしてこれらの価値観の原点にあったものは、アイビー・トラッド精神なのです。
思い出してください。トラッドとは「機能こそファッションである」・・なのです。
したがって、メンクラでは、これらのファッションのことを“ヘビーデューティ・アイビー”と名付けたのであります。
VANの“ヘビーデューティ”と共に、世はまさに自然回帰、健康ブーム、の時代となっていきました。
高度経済成長がもたらした、各種公害やイタイイタイ病等の被害によって、やみくもな発展の限界に気が付いた有識者達は主張し始めた・・・。
“ 人間は自然のままならば善である。
現代の社会組織によってのみ邪悪にせられる ”
自然に帰ろう!(ルソー)・・・
日本のライフ・スタイルの変化は始まっていた。
たとえば車の世界では「ガソリンを大量に消費し、たくさんの排気ガスをまき散らす外車や大型高級車に乗ることは、これからの世界で果たして“カッコ良い”ことなのであろうか?」・・・
石津社長のお話を聞いた“本田宗一郎”さん
( VANとHONDAは青山町内会だった )は、消費者の価値観の変化に気付いた。
“HONDA”社では、高回転・高馬力から低公害・低燃費へと路線変更し、世界基準の低公害CVCCエンジンを開発し、名車“シビック”を大ヒットさせた。
たとえばオーディオの世界では「これからの若者のプレイは、アウトドア指向によって、行動範囲を室内から屋外へと移すであろう」・・・
石津社長の友人であった盛田社長率いる“SONY”社は、若者のライフスタイルを研究し“ウォークマン”を開発して大ヒットさせた。
( ・・・なぜKent・HONDA・SONYのロゴは字体が同じようなのだろうか? )
たとえばお酒の世界では「西部劇のように強い酒を一気に飲み干すことが、果たして“カッコ良い”ことだろうか?
そんな不健康な事をして身体を壊すより、おいしいライトなアルコールをゆったりと味わう事のほうが素敵な事ではないか?」
サントリー社の佐治敬三社長は、友人であった石津社長のお話を聞いた時、ウイスキー主体から、ぺリエやキールなどライト感覚へと路線を変化した。
そして石津社長はとうとう喫煙をやめ、巷では喫煙有害論までが登場してきた。
(“ファッションとはライフ・スタイルのことである。”
・ 石津謙介 )
石津社長率いるVANとは、かくのごとく只のファッション企業ではなく、日本の“衣食住”生活文化全体の“オピニオン・リーダー”であり、
文字通り“先駆者”だったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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