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青春VAN日記68

本社営業の巻 その11(1976年5月)

<野球大会・腕よりファッションで勝負>

季節は春を過ぎ、陽気が良くなると、誰でも身体を動かしたくなってくる。5月の連休ともなると、スポーツ愛好家の多いVAN社内では、じっとしていられない多くの社員たちが、水を得た魚のように活動を始める。

そんな訳で、組織改変以来、その営業数字を競い合っていた青山営業部内では、営業1部と丸井グループとの間で“野球大会”でケリを着けてやろうという話が持ち上がっていた。

言い出しっぺは、丸井グループ・石川主任と営業1部の金替さん達であったらしい。

左、金替氏、と元VAN SPORTS事業部、佐々木氏 
1987年Vanguardsの試合終了後撮影


それぞれが仲間内に、我こそはという自称“運動自慢”社員を揃えていた。野球の話が始まりだすと、どちらも“俺達の方が絶対強い!”とゆずらない。

とうとう販売部の武宮さんや販売社員まで巻き込んでの大掛かりな話になってしまった。

( 文科系社員にとっては、全くありがた迷惑な話ではありましたが )

話は即進み、決戦場所は、恐れ多くも多摩川のグラウンドでありました。

練習を始めた営業1部チームは、なんと全員がお揃いの野球ユニフォーム姿である。

( いかにも上手そうである )

・・・投球練習を始めた金替さんはと見てみると、まるでプロ選手並の投球フォーム。しかも、玉がめっぽう速い。素人が手を出せる玉ではない。

いっぽう、我が丸井グループの選手達は、全員がラガーシャツ。(野球なのに?)しかも、正規の野球経験者はゼロ。たよりになるのは、草野球でならしたスポーツ万能・少林拳の佐野君と、極真館空手指導員の山本さん、筋肉男・二田水君ぐらいなもの。

丸井グループ、1976年撮影 
例によって、ラガーシャツ軍団である。

体育実技の授業で野球を専攻していた私にしても、自信は全く無い。

・・・( 石川主任はたぶん口先だけだろう? )

後はほとんどが文科系社員である。
販売社員達の若さだけがたよりである。

( これじゃ勝負にならないよ!石川さんも突っ張らなきゃいいのに。まったく )

ところがゲームが始まってみると、予想外にいい勝負になったから面白い。

なぜか?

まずは、1番バッター石川主任。

金替さんのスピードボールにびびりながらも、バットにボールが当たってしまった。

ボテボテの内野ゴロ。当然アウトだろう。・・・と?
ところが、うまそうに見えた相手の三塁手がトンネルした・・・。

あせって投げたボールを、こんどは一塁手がキャッチミス・・・。
どうやらスポーツ万能の金替さん以外は見掛け倒しらしい・・・。

さて、一塁めがけて全力疾走しているはずの、石川主任はと見ると、なんと、足がもつれて転倒し、ベース手前で転びまくっていた。

( ダメダコリャ−。)

後は推して知るべし、試合というよりは、爆笑大会となったのでありました。

どうやらVAN社員というのは、能書きとファッションだけは一流らしい?

さて、今春、ヴァンヂャケットが「SCENE」を発表して以来というもの、世はまさに急激な“アウトドア・スポーツ”時代となっていった。

1975年VAN PRESSより、『野球は見るよりする方が楽しいのです。』
いろいろなチームを紹介しています。読みにくいですがご容赦を。

VAN社は、すでに何年も前から

COME ON SPORTSMAN!」とか

WE LOVE SPORTS!」とキャンペーンを打ち、

「週に一日はスポーツを!」と主張して、

“見るスポーツからやるスポーツ” へと提案を続けていた。

いろんな媒体を使っての宣伝活動を展開し続けた結果がこれである。
日本の若者の風俗はすっかりと変化した。

スポーツせざるはヤングにあらず。(マージャン学生は消滅していった)

余暇は各種スポーツに打ち込むことが、若者のステイタスになっていた。

こんな社会風俗を創ったのは、VANなのである。

さらに、今年になってからの「SCENE」ブランドの宣伝活動はすごかった。

連日のテレビコマーシャル。メンズクラブ・ポパイ等々の毎号「アウトドア」特集。アウトドア・スポーツの世界は、春の陽気と共に若者達の間に一気に広まった。

休日の神宮外苑近辺では、どこからでも、パコーンパコーンとテニスの音が聞こえ始め、草野球場はいつも満員で予約が取れない状態となり、絵画館周回コースでは、洒落たロードレーサーのサイクリスト達や、スケートボードの若者、カラフルウェアのランナー、ジョガー達が急増し、

( いつも絵画館前で練習している早稲田の瀬古選手は走りづらそうだった。 )

代々木公園・表参道では、ラガーシャツ、ブッシュショーツ・スタイルにデイパックを背負った急造バックパッカ−達までが闊歩するようになった。

それにしても、まるで10年前の“アイビーブーム”の時を思いださせるような、劇的な若者風俗の大変化であった。

こんな事が出来た企業は、ヴァン・ヂャケット以外には無いのである。

身内のことながらも、つくづく我が宣伝・販促部の力量には感心する。



  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく










“VAN SITE”SEISHUN VAN NIKKI 68
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