青春VAN日記85
本社営業の巻 その28(1976年冬)
<社内状況A>
さて、青山本社内は混乱状態に陥ってしまった。
デモがあったり、ストライキがあったり、ロックアウトがあったり・・・と、
人事の三間さんや清山君達も、対する組合の皆さん達も、お互いが会社を愛するがゆえの行動であり、立場の違いでぶつかり合う心中は本当に苦しかったと思う。
だが、大切な現場を受け持つ私達営業や販売は、何より重要な得意先との日常業務を抱えており、お客様の信頼を損なうような行動だけは絶対にとってはならないと心に決め、仕事を放り投げる訳にはいかずに連日最前線で奮闘を続けていたのである。
社内が戦場なら、社外も戦場であった。
その混乱の最中に、ふと気付いた事があった。
一般の労使紛争ならば、企業の代表である社長は、組合社員達から非難されたり、つるしあげられたりするのが普通なのだろうが、それが無いのだ。
社長を個人攻撃する社員を私は見たことがない。
会社苦境の原因は、もちろん我社経営陣にあるが、
介入してきた大商社のせいでもある。
そして、いいかげんな発注をしては大返品を繰り返す有名デパートにも、
いいかげんな予算で進行した我社員達自身にも責任がある。
つまり労使紛争の対象となる“象徴”が不明瞭なのである。
私達社員は皆が知っていた。
私達の社長は私利私欲の経営者ではないことを。
社長は財産や地位には、全く執着することの無い方なのである。
数年前に我社が莫大な利益を上げた時も、いっさい私物化することが無く、何回も臨時ボーナスを出しては、すっきり社員達に還元してしまった方なのである。
そして経済界のお歴々が集まる某高級ホテルでの会合に、運転手付き黒塗りの大型車が居並ぶ中を、自ら運転する小型車“シビック”で乗り付けた大企業の社長がいまだかつていただろうか。
そして、仕事にクラブ活動に遊びにと、社長の姿はいつも社員と共にあった。
私達社員は皆、石津社長が大好きだったのである。
先輩社員達は、プライベートでは親しみを込めて“おやじさん”と呼んでいた。
・・・翻って考えれば、
果たして近代企業の歴史の中で、会社を倒産させてしまったにもかかわらず、路頭に迷わせてしまった自分の会社の従業員達からいつまでも慕われ続け、御本人の傘寿や白寿のお祝いには日本中から元社員が集まってくれるような、・・・
そんな社長がいただろうか。
お亡くなりになった後にさえ、たくさんの元社員が同窓会を開いているようなそんな会社があっただろうか。
社員でもないたくさんの方がその倒産を惜しみ、再建にご協力たまわり、あまつさえ、消費者のお客様達から「VANありがとう!」とまで言われた企業が、果たしてこの世に存在しただろうか?
今でも私達旧VAN社員達は、皆が口にする。
「 石津社長と一緒にVANで働けたことは、生涯の宝だった。
・・・・・社長ありがとう! 」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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