青春VAN日記70
本社営業の巻 その13(1976年6月)
<私のアウトドア・ライフ>
街中に登場したヘビーデューティ、アウトドア、自然健康指向の流れの中で、私とても、じっとしてはいられなくなってしまった。
実は私は、子供の頃から自転車に乗るのが大好きだったのです。
学校帰りには、町の自転車屋の店先で、組み立てをジッと見ている子供でした。
親に買ってもらった市販の山口自転車を、油まみれになって分解・修理しては、近所の野山を走り回っていた。パンク修理も自分でやった。大切な自転車のことを、けっしてチャリンコなどとふざけた呼び方はしなかった。
当時出始めた少年用自転車・その後の仮面ライダー号・電子フラッシャー号などには、全く興味がなかった。邪道だと思った。
東京オリンピックで甲州街道をロードレーサーが走って以後、興味を持ち始めたスポーツ用自転車の世界。
町の本屋には各種・自転車雑誌が出始めた。
グラビア写真のきれいなサイクル・スポーツ誌で見る“スポーツ車”はあまりに素敵だった。
しかし、あこがれのロードレーサーは値段が高くて手が出なかった。
あれから10年。社会人となった今こそ、夢は実現可能である。
私は、さっそく、永年欲しかった自転車を買いに出かけるのでありました。
神田アルプス、柏ケルビム、上野横尾双輪館、渋谷ベロウ、新宿谷津田輪業、フレンド商会、クリタスポーツ、そして356別館となりの小倉サイクルまで、私は都内近郊の有名店を見て廻り、研究したのでした。
そして、私が購入したのは、昨75年のツールドフランスで、あの偉大なるメルクスを破って優勝したテブネ選手(プジョーチーム)が乗っていたプジョーP]10でした。
輸入品が組み上がってきた日は、うれしくてなかなか眠れませんでした。
レイノルズ531フルセットフレーム、ストロングライト49チェーンホイル、フィリップハンドル突き出し85mm、ブルックス・プロフェッショナル皮サドル、マファック・コンペティションブレーキ、サンプレックスディレイラー・スーパーLJ。
スーパーチャンピオンリム、ウォルバータイヤ、 レオタードクイル型ペダル、・・・白いフレームには栄光のチャンピオンストライプ。
ヘッドチューブに輝くライオンマーク。
あまりの美しさに、ベッドの横に置いて、毎晩、飽きずに眺めておりました。そして私の休日は、東京サイクリング三昧となったのであります。
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絵画館前 サイクル・ロードレース |
まずは手始めに、神宮外苑、新宿御苑、皇居コース。
やがて銀座・築地・晴海、湾岸コース。
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原宿駅 |
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神宮球場 |
足が慣れてくると深大寺、小河内ダム、そして秩父まで。
自転車で走りながら見る東京の風景は、今までとはまるで違って見えました。自分の足で走ることにより、東京がより身近なものとなってゆきました。
( ああ、休日の交通量の少ない東京は、すべてが私の庭になったのです! )
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国立競技場 |
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表参道 |
そして挙句の果てに、ついに毎日の通勤まで、愛するロードレーサーで通うようになったのであります。
その自転車通勤する私を、本社営業部でじっと見ている人がありました。
さあ、私を待ち構えていたのは いったい誰だったのでしょう?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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