青春VAN日記73
本社営業の巻 その16(1976年6月)
<第1回パール・ボウル>
日本の若者達にアメリカン・フットボールを定着させた
VANヂャケット。
そして、その社員達で構成された社会人最強のチーム
“東京ヴァンガ−ズ”。
この年初めて、社会人実業団優勝チームと全日本学生リーグ優勝チームが対戦し、フットボール日本一を決定する、“第一回パールボウル”が開催されることとなった。
さて、我営業部にも“東京ヴァンガ−ズ”のスター選手がたくさん働いている。
ボス藤島キャップを筆頭に、重戦車・川口選手、グリーンマシーン・山下選手、岩崎信ちゃん、元・日大アメフット主将の福島龍一くん、グリズリ−三浦君、そして二枚目葛西知明君、好青年・添田譲二君、・・・。
これは社内盛り上げ係りの私としてもじっとしてはいられない。
さっそく社内応援団に参加した。応援団長は人事部の清山君である。
そしてチアガールは慶大応援サークルの“かわい娘ちゃん”達。
「さあ!盛り上げるぞ!」
全社挙げての応援である。356別館前に集合した社員・数百名は、手配のバス10台に乗り込み、一路、後楽園球場を目指すのであった。
1976年6月16日。
第1回パールボウルは、日本初の人工芝となった後楽園球場において、初のナイター・フットボウルの試合として行われた。
対するは、学生王者・“日大フェニックス”である。
ヴァンガ−ズの楯林さん、福島君の後輩達である。
負けるわけにはいかない!
試合前予想では、練習量豊富なフェニックスが圧倒的に優位であった。
しかし日夜業務に励む社会人チームとはいえ
後輩達には負けたく無いはず。
( V社ではスター選手でも業務上の特別扱いはせずに、通常勤務に励 んでいた。 )
夜風の心地良い後楽園球場は、自慢のスペクテイターを身にまとった若者たちでいっぱいであった。日本の先駆者ヴァンガ−ズの出場ということで、メディアの取材もすごかった。メンズクラブの“街のアイビーリーガーズ”取材陣を筆頭に、カメラをかかえた各媒体のスタッフ達が、そこかしこで待ち構えていた。
我こそはメンクラ・“街アイ”デビューを果たしたいというアイビー・グループの若者達は、おもいおもいのコスチュームに身を凝らし、写真を写してくれとばかりに盛り上がっているのだった。
そしてキックオフ。 試合は始まった!
第一クォーター
我ディフェンス陣は、日大のショットガン攻撃をつぎつぎとくい止め、タックルをビシビシ決めてゆく。
山崎マモちゃんも日頃とは別人のようにカッコいい。
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MAMORU YAMAZAKI?
・・・・別人?・・・・ |
これはいけるぞ!早くもVAN応援席の社員達は総立ちである。
第二クォーターも接戦であった。重戦車川口がボールを持った。
「 いいぞー! 」
「 行け−!突っ込めー!」
「 三浦ぁ〜・・・!フェニックスを食べちゃエー!」
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背番号79のファイト・マンは人事部人事2課の岡崎君(別の試合にて) |
「 福ちゃん〜、先輩OBの命令で後輩に負けるように言えー!」
「 山崎〜、借金かえせ〜!」
「 おと〜さん、頑張って〜!」「 パパーまけるなー!」
「 コンクリートってな〜に?(コンプリートの間違い)」
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フィールドゴール、
コンプリート!(Complete) |
もう応援はメチャクチャである。
ゲームは一進一退である。応援にも一段と力がはいる。
しかしながら、後半戦に入ると、ヴァンガ−ズに疲労が出てきたようだ。
サイドラインに並んでいる選手の人数、層の厚さがまるで違うのだ。
オフェンスとディフェンスの交代の要員人数がヴァンガ−ズが20名ぐらいなのに、日大フェニックスは100人は居る。
とうとうタッチダウンされてしまった。くやしい!
結果は、6対21で負けであった。
しかし、我選手達は、日頃、残業しながらもここまで来たのである。
エライ!実に立派な戦いぶりであった。
応援席の社員は全員が立ち上がり、盛大な拍手で選手達の健闘を称えた。
汗にまみれた選手達の顔は皆美しく輝いていた。
私はこの素晴らしい仲間達を一生忘れない。
VAN社全員が一丸となれた素晴らしい一夜であった。
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VAN PRESSのトピックスの中に第一回パールボウル結果が。(黄色枠の中) |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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