続・青春VAN日記80
この度の東北・関東大震災で被害を受けられた方々に、心よりお見舞い申し上げます、と同時に、容易ではありませんが、いろいろな人々から、また、国を初めとした行政全体での支援を基に、一日も早く元気を取り戻し、復興される事をお祈り申し上げます。
私共は、今回幸いにも震度5弱程度ですみました。
私事ですが、この地震が起こった時、片側2車線に広め(4m程度)の歩道がある下り坂を車で走っていました。最初ハンドルが取られ、後輪が揺れるような感じで、まずパンクを疑いました。間髪を入れず横に振られた為、まさかタイヤが緩み車軸から外れそうになったのか?・・と、とんでもない事が頭を過ぎりました・・が・・前方の走行車線がうねり、街路樹と電柱が大きく左右に振られるのを目の当たりにしてやっと地震だと気が付きました。鈍いですね。・・・多分この間30mぐらい走ったと思います。時速50kmほどでしたので、長く感じましたが、3秒程度の時間です。次の恐怖は停車する場所が見当たらないのです。なぜなら、前方には街路樹と電柱が300m以上つづき、倒れ掛かってきそうな場所ばかりで、焦りました。・・・・・それでも何とか事なきを得る事ができました。 |
ケント社の巻 その47(1984年夏)
<アイリッシュセッタークラブ・イタリア旅行③>
幼いころ、地球が丸いということを覚えたが、心底から納得した訳ではなかった。下側になった人間が落ちないのは、どうしても不思議なことだった。といって、もし地球が平らであるとしたら、その端はやはり崖かなんかになっていなければならず、やはり不可解だった。
それが、年を重ね、いつしか知らないうちに地球が丸いのだと疑わないようになった。それは、あまりいつまでも地球の形にこだわっているとこの世では、病院に入れられると思ったからだ。
実は、恥ずかしながら、海に行って水平線を見た時も、そう言われてみればそうかなあ、ぐらいにしか思えなかった。
この地球の丸さを心底納得出来たのは、初めて飛行機に乗った時だった。
昔のギリシャ・ローマ人は、飛行機が無くてもちゃんとこの事を知っていたというから、なんと頭が良かったのだろう。
狭い機内にすっかり疲れてグッタリとした頃、アリタリア機はようやくローマ空港に到着した。
思えば出発したのも夜であったが、到着したのも、同じ日にちの夜だった。時差のせいで一日をもう一度繰り返すようで、実に変な気分だった。
まずは、夜中のホテルにチェックインし、体内時計がすっかり狂ってしまった一同は、朝食か夜食かなんだか分からない軽い食事を済ませ、明日からの(今日からの?)ミーティングをするのだった。
H・D・P誌・EDITOR 花房孝典氏
「・・日本のアイビーも、第3次ブーム化現象から定着期に入りまして、まずは御同慶の“イタリー”であります。
(ペンは剣より強しの三田出身のするどい花房さんも時差ぼけだろうか?)
めでたし、めでたしと思っていたら、海の向こうから聞き捨てならぬニュースが入ってまいりました。
なんとヨーロピアン・ファッションの一大聖地であるミラノで、アイビーが大人気・・という耳を疑いたくなるような情報で・・、ミラノはプレッピー風のジュニア・ファッションが大流行とか?
我・編集部ファッション班の間では議論百出・・・編集部は真っ二つ!とにかく取材すべえ、という結果になったのであります・・・。」
現地参加のフランス食文化研究家 宇田川悟氏
「明るい日本の将来を確信できた60・70年代に、アメリカ直輸入のアイビー文化を引っ提げて彗星の如く出現し、多くの名言を残し、“ファッションの神様”の名を欲しいままにした、石津謙介氏を一度取材してみたかった・・・。」
スポーツプランニングハウス・ホリ 代表 堀俊二氏
「う~、僕らの校長先生である会長と、ぜひ旅行してみたかった。そして、カンパニョロ、チネリ、デローザ、マジー、ロッシン、コルナゴ、コロンブス、クレメン、ユッチンソン、レジナ、二ジー、アルピナ等々、数えきれない名機を生み出した近代自転車競技の本場イタリアをぜひ訪れてみたかった・・・。」
メトロゴルフ㈱ 瀬谷洋介社長
「アイルランド旅行で石津先生の人間性に惚れてしまった。もっともっと触れてみたい・・・。」
「僕たちは 会長ファンクラブの後援会員で~す・・・。」
(近藤先生、宮川常務、大泉課長、斎藤・愛甲氏・私 )
「さあて、まずはともかく眠りましょう」
時差ボケで、生あくび状態のメンバー一同は、各人各様の思惑を胸に、夜のローマのサボイアホテルでヘップバーンならぬ枕を抱いて、短い夢の世界に入るのでありました・・・。
・・・目覚めるとローマの朝は、快晴のイタリア晴れであった。
さあ、“ローマを見ずして、ローマを語るなかれ”だ!
市内観光に出発だ! なんでも見てやるぞ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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