続・青春VAN日記124
ケント社の巻 その91(1987年初春)
<1型男の酒話>
私達の世代に物心が付き始めた頃、大人の“象徴”は酒とタバコだった。
雑誌やスクリーンで見るその格好に若者達は憧れた。
「ドライマティーニをドライでね。」
「ウォッカ・マティーニをシェイクでたのむ。」
「魚に赤ワインか!迂闊だった。あいつはスパイだ。」
「このシェリー酒は1851年物だ。」・・・(ジェームスボンド)
酒の飲めない男はカッコ悪いとされた時代だった。
酒は、大人社会入門のツールだった。
酒が飲めないサラリーマンは仕事上でも不利な事が多かった。
だから、格上の男を目指す若者達は映画のマネをしようとした。
しかし、ジョニーウォーカーやジャックダニエルやナポレオンにはとても手が届かなかった。
故に、学生時代の愚かな私達は、歓迎会・打ち上げ・各種コンパと、味も判らずに安い焼酎やトリスや合成酒を飲み(男は黙って○○ビール)、立派な大人になるために・・・?
科学的な?辛い?酒の勉強・訓練をしたものだった・・・。
(※安い酒でも、新宿の場末で仲間達と飲んだ“チューハイやホッピー”は、とても美味く感じた。懐かしい青春の味がした。)
酒とは、
・酒とはエチルアルコールを含んだ飲料のことである。
・日本の酒税法ではアルコール分を1%以上含む飲料の事である。
・酒は製法によって、醸造酒・蒸留酒・混成酒に分類される。
・酒は中枢神経を麻痺させ一時的快楽をもたらすが・・・、
中毒症状をもたらし、取り返しのつかない人生の失敗や
ガンや成人病をもたらす。
(すべからく薬と毒とは表裏である)
人間と酒の関係は古い・・・、
・シュメールの粘土板にはビールのことが記録されている。
・ハンムラビ法典の中にビール売りに関する規定がある。
・ツタンカーメンの墓の壺からはワインが検出されている。
・殷、周時代の青銅器の多くは酒器である。
・ギリシャ神話には酒の神バッカスが登場する。
・古代ローマ帝国はヨーロッパ中にワイン生産技術を伝えた。
・ウイスキーの語源は古代ゲール語のUISCBEATHAである。
・古事記の時代、巫女が穀物を口に入れて噛み砕き、
壺に入れて発酵させて酒を作り、“醸す”(かもす)の語源になった。
・・・等々、人間の歴史とはいつも酒と共に在った。
嗚呼、世は酒に連れ酒は世に連れ、・・・酒は涙か溜息か・
しかし、懲りない若者達は何度二日酔いの失敗を繰り返してもとても“酒は飲むべし飲まれるべからず”の境地には到達出来なかったのであります。
やがて、各種パーティやレセプションの場を数多く経験し、酒飲みの多い九州や四国の出張や、数々の接待の場で鍛えられ、酒の席での数々の失敗を繰り返しながら一人前の社会人になったつもりの私でした、が・・・、35歳を超えた頃から酒の席が苦になりだした。
つまりは体力の衰えが始まり、酒が弱くなってきたのだが・・・、特におおぜいの酔っ払いが騒ぐ下ネタ芸や下品な内容の宴会には耐えられなくなった。
また成金・有名人の高級ブランド品評パーティにも嫌気がさした。
ましてや得体の知れないホステスやコンパニオンなどの女性をエサにして金を使わせる高級クラブ等は、・・・愚の骨頂だと思った。
(※私の女性観は吉川英冶の宮本武蔵と同じく、“神仏と女性は尊ぶべし、けっして溺れるべからず”なのです。)
そして石津社長は、70年代に男の酒の飲み方をも提案した。
・・強い酒を一気飲みして体を壊す飲み方よりも・・美味しいライトな酒をゆっくりと味わう飲み方にしよう!
私達に品格ある大人の酒の飲み方を教えてくれたのは、やっぱりエピキュリアン・石津社長だった。
「せっかくの生命を頂いた一度の人生ならば、より充実したものにしようではないか。
人の生活3要素とは“衣食住”である。
“衣”の世界を楽しむためにTPOやコーディネイトの常識があるように、食や住の世界にも楽しむためのセオリーがある。
いわんや酒の楽しみ方にも、長い人間の歴史が選別・淘汰した最上の味わい方というものがある。これは自然の摂理である。
たとえば、日本料理の米や野菜や魚には、醸造酒の日本酒が合う。
西洋料理にはワイン、中華料理には紹興酒、ソーセージにはビール、・・・といった具合である。
何を食べて何を飲もうがそれは人の好き好きであろうが、ボクは、水割りを飲みながら鮨を食べている様な連中とは、話はしたくないな・・・。
酒にもTPOがあるのだ・・・。」 |
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1987年1月17日、
“石津会長新年会”が代官山“aL”にて開催された。
石津会長のお声がかりで集合されたお客様は、日本のトラッドシーンを創り上げて来た、錚錚たる顔ぶれの皆様方ばかりである。
「今回は、皆が美味いと思う“酒とつまみ”を持ち寄って来なさい。
全員で、味比べ飲み比べの大会をやろうじゃないか!」 |
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・・・出たー、会長の少年の様な遊び心!
店の中央にある大テーブルの上には、蘊蓄の尽きないメンバー方々が持ち寄った世界の名酒・珍酒が所狭しと林立し、各地の名産物がズラリと揃い、そして、石津会長が御自ら腕を揮われた手料理の数々が並んだ。
(お手伝い役の私も琉球泡盛クースーを持ちこみました。)
さても会長流楽しいパーティの秘訣とは、
・サプライズの有る興味をそそるテーマ作り、
・くだけた中にも品格あるマナーとおもてなし、
・校長先生なのにぜんぜん偉ぶらない楽しい接客、
・誰をも唸らせるグルメ会長の手料理、
・豊富な話題の魅力溢れる一流紳士のお客様達。
まさしく、日本一素敵な石津会長のパーティでありました。
追伸
元V同期のコルシーニ担当で
青学社交ダンス部長だった達人、あの包国君が、自由が丘ひかり街3Fで「モヒートヘブン」という店名の“大人のショットバー”を営業されています。
VAN話の出来るお店です。ご利用下さい。
(カネクニ君のモヒート、美味いだろ~な!)
モヒートヘブンへはこちらから。 ( Webサイトです ) |
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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