続・青春VAN日記134
ケント社の巻 その100(1988年秋)
<秋の日のヴィオロンのため息②(男と女)>
未だに、女性の本質も自分自身も良く分からない私でしたが、それにしても、世の中とはウマく出来ているものではある。
人の好みは十人十色・百人百様であり、蓼食う虫も好き好き。
思い切って覚悟さえ決めれば、人間はなんとか相手を見つけて所帯を持つ事だけは出来るもののようであった。
しかし、その先の人生は悲喜コモゴモ。
今までに私は、何十人もの友人結婚式の司会をさせて頂いたものだった。
しかしそれぞれの新婚夫婦達の・・、その後とは・・・。
ともあれ、なんといっても女性とは素晴しいものである。
彼女らの働きは人類の存続に関する限り、男よりはるかに偉大だ。
女性はかいがいしく料理をつくる。赤ん坊には乳をのませ育てる。
おまけにその形態は優美で、その発声はタエなるもので、その心情はまことにやさしい。
(※注意、物事には必ず例外がある。)
さらに女性の足はすらっと美しく、髪はなよなよとエモ言われぬ風情があり、いとも簡単に男を惹きつけては虜にしてしまい、ついには愛の巣などを営むようになって、まことにメデタイのである・・・が、
(※注意、深層心理に悪魔や魔女が潜んでいる人間も存在する。)
さて、かつてのV社の“青春の達人”だった友人達は、今やその大多数が幸福な家庭を営んでいるように見えた・・・が。
①・・私の友人に、いたく女人の髪に愛着する男がいた。
彼に言わせれば、髪こそ女の象徴であり、なんとなれば女にはハゲアタマはごくごく稀ではないか、というのである。
そして優雅なる髪を有する女人がおり、彼はマナコくらんで求婚した。
あの絹のような髪を撫でさすることができれば、どんな苦労もいとわないつもりだ、と言った。
そして数年後、事は彼の意図に反する事になった。
彼女はその優雅なる髪をダンナよりずっと大事にしたからである。
彼女は朝に一時間、夜に一時間、髪の手入れをする。
無数のピンをぬきとるかと思うと、延々とほぐしたりすいたりした挙句、金城鉄壁にクリップやピンやらでかためて寝てしまう。
もはや一本の髪の毛に触る事も、かなわなかった。
この友人と一夜酒をくみかわした折、彼は言った。
「ああ、あいつがせめて髪の毛20本ぐらいでも俺を大事にしてくれたらなあ。」
それからなおしばらく酒をくみかわしていると、突然、彼は激情におそわれて叫んだ。
「よ~し、俺は今夜バリカンを買ってあいつの頭を丸坊主にしてやる!」
・・・しかし、坊主になったのは蛮行を反省させられた彼の方だった。
優雅なる彼女の髪は今もますます優雅にうねっているのである・・・。
②・・女性のあのふっくらとした肌は大理石のように美しい。
あの頬のういういしさを見ろ、彼女と結婚して頬ずりする事が出来たら、俺は死んでもいい。・・という友人がいた。
これもまことに似たような結果になった。彼女は、毎晩“パック”なるものをほどこすことを彼は知った。これを見て、抑えがたい戦慄がかれの背筋を伝わった。
「目玉と唇だけが生々しく出ていてね、君は“13日の金曜日”という映画を見たか。あれですよ。もう一人で寝るしかなかったよ。」
③女優のようにお洒落で美しくファッショナブルな女性を妻にした男がいた。
彼はパーティ食事等の外出には常に自慢の妻を伴い、周囲に見せつけてくれたものだった。
数年後会うと、彼はくたびれた服の痩せ細った貧相な男になっていた。
「あいつはねえ、高級ファッション・装飾品・一流レストランと、とにかく金のカカル女だった。湯水のように金を使ってくれた。少しは家計も考えてくれ、家事もやってくれ、と注意したら、連れて行ったパーティで知り合ったIT企業の青年実業家の所へと出て行ってしまったヨ。」
④「女性の外見にこだわるのは愚かだ。女性の魅力はなんといってもあの優雅で優しい声だヨ。女性の声は小鳥のさえずりのようで、それだけで心がなごむよ。」という友人がいた。
この友人はヒバリの様にさえずる美声の女性と結婚した。
・・1年ほどして行ってみると、彼はうかない顔をしていた。
「君、ある波長の声というものは、脳の代謝障害をひきおこすらしい。最近頭痛がして困るのだ。」
「そんなこと無いよ。彼女の声は実にうるわしいよ。」
「だが結婚前にくらべると、2オクターブほど上がったのだ。君、SF映画に怪物を超音波でやっつける話があるが、どうも近頃彼女の声はピーチクパーチクと超音波に聞こえるんだ。」
その後、その男は内耳炎をこじらせ、耳が遠くなってしまった。そしてその後の彼は、以前よりはるかに幸福そうな顔をしていた。
⑤「やはり顔立ちとか声なんぞに惹かれるのは間違いで、なんといっても性格だな。おっとりとして、ほのぼのとした感じがいいなあ。」
そして優雅な良家のお譲様と見事結婚した友人がいた。数年後出会ってみると、彼はすっかり暗い表情に変わっていた。聞いてみると、彼女は普段は実にかわいらしい妻なのであるが、(・・実は、ヒステリーであった)ひとたびダンナの帰りが遅くなると、たちまち目がつりあがる。形相が変わってしまう。
彼女はそれから全神経を集中して第六感を働かすと、ダンナがどこで飲んでいるか、たちまち感じ取るのである。
ついにはハダシのまま街にとびだすと、山姥の如く店に駆け付ける。飲んでいるところに狂気の如くおどりこんできて、「すぐ帰ってよ。でないとあたし海にとびこんで死にます!」
彼は、二度と自分の時間を持つ事はできなかった。
⑥すこぶる従順で、夫には全く逆らわないつつましい女性と結婚した男がいた。
同僚達は皆うらやましがった。
うっかり帰宅が遅れても文句ひとつ言わない。どんなに遅くなってもちゃんと起きて待っている。彼が玄関をあけると、ひざまずいてカバンを受け取る。
上着を脱がせる。風呂もわいている。
ある夜、一緒に飲んで遅くなって彼の家に行くと、彼女は起きて待っていたようであった。
玄関を開けると、スーっと中から音も無く彼女が出てきて、カバンを受け取り、茶の間に座ると、スーっと茶が差し出された。なんとも褒められるべき妻である。
・・・しかし彼女がひっこむと、友人は声をひそめて私に言った。
「僕はこのごろ、幽霊の存在を信ずるようになったよ・・・。」
⑦私のある友人は心理学の心得があったゆえ、ちゃんと心理テストなどをほどこし、危険な気質の無い女性と結婚したハズだった。
ところが彼女は、毎晩のように夜になると・・・・・・・・、・・・いやいや、もうこの辺にしておきましょう・・・。人生いろいろ男もいろいろ、女だって色々咲き乱れるの・・である。
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いまや昭和の時代もどんづまり。
私達の昭和世代は、・・あなたは男の子なんだから・・、・・あなたは女の子なんだから・・と育てられた。
学校も“男女別学”、体育も保健も家庭科も別授業が普通だった。
そして男の世界では、社会での“男の約束、義理人情、兄弟仁義、や仁・義・礼・智・信、ロイヤリティ(忠誠心) “等々と、“男の責任と義務”を勉強させられた。
女の世界では世界の動向や社界の情勢などよりも、良き家庭婦人になるための、家事・裁縫・料理・育児等の“女の責任と義務”や貞操の概念があり寂聴や白蓮は稀だった。
これらは、昔の男中心社会だった歴史の中で出来た遺物だったかもしれないが、男はプレステージ感覚を、女はコンフォーミティ感覚を社会から植えつけられていたのかも知れない。
なんでも男女平等・効率社会とは今の時代の流れであろうが、男は男らしく女は女らしく、の高倉建さんや小百合様が懐かしい。
しかしながら、天照大神や卑弥呼の時代から、また欧米社会の如く、本来、女性が強いのが自然界の“種の保存や優性の法則”なのだ。そして女性は男を操る色々な超能力や演技力等の女の武器を持っていた。
・・女性とは「心優しく美しく・守ってやるべき・か弱い生命体」とのプロパガンダ教育と、清純な美智子様や小百合様を見て育った昭和の単純男子の立場たるや、それは新撰組に囲まれた鞍馬天狗か田嶋陽子女史に絡まれたビートたけし氏のように危なかった。
そして“V社の青春の達人達”も、女性達の超能力の前に、桜の花の散るが如く見事に玉砕して行くのでありました。
誰が何と言おうとも女性は強く偉大であります。
彼女らは母親になり、子孫を創る事が出来る。
これこそ真に偉大なことであって、男どもはいかに逆立ちしても、ニンシンすることは出来ない。
つまりは女性が人類興亡の舵(家事)を握っているのである。
母親というものは大地であり太陽であり海であり、神である。
神と争っては、へラクレスでも勝てない。
最高の人生は女性無くしては有り得ない、・・・が、最低の人生も女性無くしては有り得ない。
弱き者よ、汝の名は“男”なり。
やっぱり「男はつらいよ」・・なのでありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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