続・青春VAN日記53
ケント社の巻 その20(1983年夏)
<石津謙介アイルランド漫遊記2・ダブリン>
旅の記録といえば、まずはスナップ写真なのでしょうが、
この年、初めてSONYのビデオカメラが市場に出回り出した。
これは!と思い飛びついたのだが、実用的な性能ではなかった。
大きさは30cm程もあり、重量が2kgもあり、20万画素数。
まだまだ旅行などに使えるシロモノではなかった。
そこで私はウォ―クマン(カセットデンスケ)を活用していた。
コンパクトな小型にもかかわらず、広帯域のTV・FM放送受信・ステレオ録音機能までが付き、しかも音質は格段に向上していた。
・・当時の私は、事あるごとに記録を録音に残した。・・
●新宿“J”のパーティ、
●ヴィーナス・アメリカ横断旅行
●VAN社員旅行
●石津会長やOB達の懐かしい声
●会長傘寿パーティー・・・
・・・・・・等々。
これが藤代先生いわく“横田の足跡録音記録”であります。
今となっては音声記録だけのほうが、かえって自由に昔の1シーンが甦り、目を閉じれば総天然色シネマスコープで思い出すことが出来ます。
( これが青春VAN日記連載の、私の秘密兵器なのです。 )
・・せっかく、横田君の『記憶力は凄い!!』ということになっていたのに・・。でも、これでこの日記シリーズが、創作では無く、事実を忠実にトレースした話という事が読者の皆さんに判っていただけるかも!
さて、成田を飛び立った御一行は、トランジットの香港、デリーを経由して、ようやく乗り換えのハブ空港ロンドンに到着するのでした。
<悪名高きヒースロー空港>
“偉大なるアングロサクソン”の玄関口がこれで良いのか!?
トランジットのヒースローのバゲージカウンターで見たものは、鍵が壊され中を開けられてしまった私達の旅行カバンであった。
幸い全員が貴重品は手元に持っていたので問題は無かったが、外国での治安の悪さに身の引き締まる思いだった。
会長曰く
「これが世界に悪名高きヒースロー空港だよ!
世界で一番泥棒が多いんだ。
中でも金持ち日本人のバッグは、ベルトが巻いてあったり、ネームタグが判りやすいから、狙われやすいんだよ。特に高級サムソナイトやヴィトン等は狙われやすい。
・・ほら、横田君のバッグは開けられてなかっただろう。」
「はい。・・私のは交通会館セールで買ったバーゲン品です!」
(やはり“分相応”コーディネイトは正しかったのだ!)
そして私達は、ヒースローから小型機に乗り換え、あまりに長い空の旅をようやく終え、目的地ダブリン空港に到着した。
<歴史の街ダブリン>
「わー!まるで北海道みたいだ!」
「そのとおり、大きさも気候も北海道と比べるといいかもしれない」
「会長、私はアイルランドの気候が判らず、ワードローブの見当がつかなかったのですが、この街にはTシャツ姿もあればツイード姿の人も同時に居ます。世界にはこんな気候風土があるんですねえ!」
(日本の夏とは湿度が違っていました)
まずは市内観光のバスから眺めたダブリン市街の風景は、古い歴史を感じさせる石造りの建物や運河や橋が素晴らしかった。
ジョージビクトリアン建築様式の建物はきれいに高さが揃い、街の看板・表示類は実に味のあるものだった。
伝統文化を大切に扱い、歴史を大切にする人々の気持が表れていた。
これがトラッド思想の文化なのである。
「ダブリンとは古代ゲール語で“濁った黒い水”という意味です。先史時代にはすでにドルメンなどの巨石文明が存在し、その後、ケルト人が侵入し住み着きました。
432年に聖パトリックが到来しキリスト教を布教。初期キリスト教を信じ、平和なアイルランドであったが、その後8世紀にはヴァイキング襲来、12世紀にはノルマン人の侵入が相継ぎ、抑圧の時代が始まった。
そして宗教改革とイギリス化、プロテスタントの征服、イギリス合併、愛国者オコーネルの独立運動、ペストの流行、19世紀のじゃがいも大飢饉によるアメリカ移住開始、イギリスとの独立戦争・・・と混乱が続き、現代にも“北アイルランド紛争”に代表されるカトリック系ナショナリスト対プロテスタント系ユニオニストの対立が続いていますが、人々は心から平和を愛する国民です。」
・・・と、ガイドのちふささんの説明は、実に判りやすかった。
続いて石津会長がマイクを握って、即席ガイドをされた。
「アイルランドでは、この言葉を必ず憶えておきなさい。
それは“スローンタ”。ハワイで言えば“アローハ”と同じだね。
イタリアでは“サルーテ”。フランスでは“サンテ”。
健康に気をつけて、と言う意味で相手を思いやる言葉なんだよ。
乾杯の時にも、女性を口説く時にも使える便利な言葉だよ。
明日、タラモアデュー社のアイリッシュパブに行ったら、さっそく使ってみようではありませんか!
・・・それと、皆さんに申し上げておきますが、今回の旅行では、僕は一般の観光コースに行くつもりは全くありません。
お土産屋や免税店にも立ち寄りません。
そんなところに行っても何の勉強にもなりゃせんですから。
・・・僕流儀の旅行の楽しみ方を皆さんに提案します。
・・・さしあたって明後日はホテルの近所のバス停から、各自、思い思いのダブルデッカーに乗って終点まで行ってください。
行った先の土地でなにか一点買物をしてきてください。
そしてディナーの時には、見も知らぬ土地で見たことを、一杯やりながら報告しあおうじゃありませんか。
・・・ただし、バスの路線番号だけは忘れちゃダメですよ。帰り道が分からなくなりますから。
でも、心配は要りません。必ず帰れますよ。アイルランドは世界一親切で安全な国ですから。
“スローンタ”を忘れずに、小さな冒険を楽しみましょう!・・」
出た!遊びの達人!石津会長らしさが全開だ!まるで少年のような遊び心といたずら心!
これだから、会長を知った人はとりこになっちゃうのだ。
そしてメンバー達の打ち解けた後は、私もマイクを握り“デタラメ・バスガイド・シリーズ”を始めてしまったのでした。
( 修学旅行以来のオフザケです )
「♪え~、右手に見えます大きな建物は、1650年、三代将軍家光公が、開祖家康公の偉大な功績を称えオコーネル氏と共に建立したダブリン東照宮でございます・・・。
え~左に見える共同井戸は、かつてこの地を訪れた弘法大師が、ジャガイモ飢饉の難儀に苦しむ農民達を見て、仏の御慈悲を南無阿弥陀仏、と杖で地面を突くと、あら不思議、清冽な水がコンコンと湧き出し・・・(うそデ~ス)、・・さあ皆さんで、青い山脈をいっしょに歌いましょう・・・。」
「うっ・・・このグループの人達は、いったいナンなのだ?
観光コースやお土産屋廻りは拒否するわ、オカシなバスガイドをやりだす男はいるわ、実に変った日本人達だ・・・。」
アイルランド生まれの日本人ガイド・ちふささんは、目を白黒させて首をかしげるのでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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