続・青春VAN日記3
破産財団の巻 その3 (1978年 年末)
破産直後の社内には、
第一組合(総評全国一般系労組)と第二組合(ゼンセン同盟系労組)の社員達、合わせて数百名が残っていたが、二組労組の社員達は、その後2、3ヶ月の間に全員が退職金を受け取り、退職の道を選んでいった。
VTで使用された退職金明細書用封筒 |
これに対して、残っているのは一組労組メンバーの人達だった。
当初は「破産業務はさせない、あくまで会社再建」の要求を掲げ、社屋内にバリケードを築いていた。
V社の破産業務を進めるうえで、最も大きな障害はこの労組問題だった。
破産から10日程して、破産管財人の岸星一先生が初の労組団交にやってきた。
この初老の弁護士先生は、なんと、お供の人一人連れていなかった。
緊張感ただようバリケードの中を、たった一人で、風呂敷包みひとつで、入ってきた。丸い眼鏡の奥にはやさしそうな目が微笑んでいた。
これには、百戦錬磨の労組幹部達も驚いた。・・・只者ではない。
聞けば、過去には完全破産してしまった企業を強制和議にもっていき
会社を立ち直らせた実績のある先生とのこと。
・・・信用の出来る立派な弁護士先生だった。
岸管財人は言った。
「 組合員全員解雇、破産業務推進、をはっきりと申し渡す。
が、もし債権者の利益になり、債権者と折り合いがつくならば、強制 和議という復活の道が無いわけではない。
ヴァンは死に体にみえるが、死中に活を求めることもないわけではない 。
在庫や商標権の価値を下げないようにするためにも、ヴァン・ブランドが生きて行くという形が出てくれば、一番良い。
全ての債権者にとって、有利かつ平等に破産事件を解決することが、
管財人の役目です。
債権者に出来るだけ多く弁済するためには、ヴァン・ヂャケット
または石津謙介氏が持っていたVANブランドの価値を落とすことなく、できるだけ高い値段で第三者に売り払う。
そのためには旧VAN社員が新会社を作り、この新会社に商標権を買い取らせることも有力な方法のひとつだ・・・。
皆さんやってみませんか? 」
・・・この先生は、ただのお役人ではない!
本当に社員の幸福を考えている。
・・・この人の言う言葉は信用できるのでは・・・!?
労組内は激しい議論となった。
「 もしこのまま破産拒否の姿勢をとり続けて、将来仮に労組がブランドを保有することになっても猫に小判だ。それにブランドの価値は時間がたつにつれて下がる一方だ。これではヴァン再建を掲げて闘争している組合が自分で自分の首を締めることになる。」
・・・そして労組は管財人への協力を決断した。
労組の協力が得られると、岸管財人は、すぐに在庫量の調査と在庫品販売に乗り出した。
こうなれば実作業は私達残務社員の腕の見せ所である。
破産から2ヶ月後の12月16日から24日まで、私達は青山356別館において恒例の「ファミリー・セール」を開催した。
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上は、1978年のものでは有りませんが、再興を目指すVAN社員が企画・運営した“Van New Family”と銘打った新ファミリー・セールの案内状です。
この場合会場は356ビルではなく、VAN新館の隣にあったPXで行ったようです。主催元は法人称が取れたヴァンヂャケットとなっています。 |
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“VAN健在”を内外に思い切り示すことが出来たのである。
セールにはいろんな方々が来てくれた。
青山町内会の、かついち御夫婦、青山ケンネルさん、ビューティ細木さん、米屋のてっちゃん、モデルクラブ・アダムス井手社長御一行、景山民夫さん、メンクラ・ポパイ・平凡パンチ誌さん、後藤健男さん、馬場啓一さん、ワイルドワンズさん、浜野安広研究所さん・・・等々多数。
そして延べ1万人を越したVANファンのお客様達。
皆さん!ほんとにありがとう!
岸先生は実はこの破産事件を手がけるまで、「VAN」という名前はどこかで聞いた事はあったが、それが何であるか知らなかったという。
この大人気のファミリー・セールを見て、岸先生はVANの凄さと価値を思い知らされたという。同時にこれは新会社を設立すれば十分やっていけることを確信したという。
とにかく想像していた数を遥かに上回る若者達が殺到した。
倒産した会社のブランドめがけて集まる連日数千人の若者達、水を得た魚のように生き生きと販売する残務社員達を見て、岸先生は感想を述べた。
「これは、ただのブランドではない!存続させるべきであろう!」
・・・天はまだ我々を見捨ててはいなかった!
岸先生が、破産財団VANを担当された事は、
再建への偉大なる一歩であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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