続・青春VAN日記104
ケント社の巻 その71(1985年夏)
<アイリッシュセッタークラブ・アメリカ横断旅行⑤>
<ニューヨーク>
♪Such a bad thing to run away
from my mother
Right into the arms of a lover
I should walk away from you in my brand new
shoes
Because I’m just too young, too young for the
blues
I’m a baby and your kiss is so tender
I’m a big fool if I ever surrender
I’ll come back some day when I learn the
rules
Because I’m just too young, too young for the
blues・・・
・・・マジソンのカフェでスイッチを入れたウォークマンのFMから聞こえて来たのは、心地よい、スィンギーな4ビートの曲だった。
ELLA FITZGERALDの「TOO
YOUNG FOR THE BLUES」だった。
・・・誰しもある、若き日のほろ苦い思い出・・・。
ニューヨークで聞くエラは、なんとも素晴しい!
石津会長のお話
「ここしばらく、ボクはニュー・アイビーと言う事にこだわっている。
・・で、なぜアイビーの上にニューをつけたかということが問題になってくるのだけれど、なんとなく今、アイビーと呼ばれているファッションと区別してみたくなったからだ。
今のアイビーは、この責任の一端はボクにもあると思うんだけれど、どうしても、”○○でなければならぬ!”式の押しつけが多くて、ディティールだとか、ブランドだとか、ファッションの各論に陥りすぎている。
これはボクが、かつての服の基本を何も知らなかった戦後の若者達に対して、基本を教えるためにやむを得ず執った手段の1つなんだが、その結果、本家ブリティッシュ・トラッドとさえ一線を画くそうとする数多くの日本独自のピュア・アイビー信奉者を作ってしまった。
これは、なかなか元気でいいのだけれど、どうもマインドを忘れているような気がする。
あれから1つの世代が過ぎ去っていった。
現代の若者達は今、かつてとは違う、満たされた時代を生きている。
・・・20年後の今、改めてボクが言いたいことは、”アイビーをファッションで語るな”ということだ。
アイビーとは、クラシック、オーセンティック、コンサヴァティブ、と言うような言葉が思想を語り精神を現わすように、心理であり、ライフ・スタイルのことなのだ。
生活をエンジョイしよう、というアイビー・ライフスタイル論が、日本ではいつの間にか、生活を楽しむことではなく、アイビーを正しく着ることが正しいライフ・スタイルである。と言うように取り違えられてしまって、アイビーの公式コードを正しく守ることがアイビーの条件にされてしまったのだ。
つまりファッションとしてのアイビーと、ライフ・スタイルとしてのアイビーが混同されてしまったのである。
ファッションにしろ、ライフ・スタイルにしろ、本来はもっとフリーに楽しむべきものなのだ。
そこでボクは楽しむアイビーというものを提案するために、あえて頭に”ニュー”をつけたのだ。
・・・かつてこの新大陸に、新天地を求めて移住してきた英欧出身の多くの移民達が、なぜこの新天地に懐かしい故郷の地名を当てはめ、なぜ、あえて“ニュー”を頭につけた新地名にしたのか・・・を、”ニュー・ヨーク”の地で、改めて考えてみようではないか・・・。
・・・最近はヨーロッパでもアイビー・ファンがふえたみたいで、パリやミラノに行っても、英国調やアイビー調のウェアを売る店が目に付く。
そして彼らはアイビーを単なる一つのファッション・ソースとして考えている。
そして、・・・それは正しい。
ところが我国では、頑固なピュア・アイビー信奉者達がいて、世界に例を見ない日本独自の古典アイビーの世界が確立している。
これも今や、日本が世界に誇るファッションの1つかもしれないが、ボクとしては、少々やりすぎたかなと、反省もしている・・・。
・・・ボクが言いたいことは、
昔からのものを頑固に守り続けるのも結構だが、時代の移り変わりがもたらす変化、新しい素材、今までなかった着方などを謙虚に認める寛容さを身に付けて欲しい、ということだ。
・・・1型トラッドのヨコタ君分かるかい?
ものにとらわれず、トレンドにも惑わされずに、自分の目でいいと確かめたものを、自由に身につければよい。
それが“ニューアイビー”ということであり、今”ニューヨーク”での”ニューアイビー”は米国最古の紳士服店・ブルックスのアイビーに対しての、ラルフ・ローレンやジェフリー・バンクスのことなのだよ・・・。
・・・さあ、それではPOLO SHOPに行ってみようか!・・・」 |
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(※果して、この世に幾歳生きる者の中で、自分が憧れて入った会社の創設者であり、日本メンズウェア界の神とも言われる石津会長の御話を頂きながら、ニューヨーク・トラッド、いや今や世界トレンドの“POLO本店”を訪れる幸運に会した者が何人いるだろうか! 私達一行は、業界一の幸せ者であった。)
ラルフローレン・トラッド集大成のフラッグ・シップ店とは、かつて見たロンドン・サヴィルローでのPOLO SHOPや、NYや東京の高級百貨店内でのPOLO SHOPとは異なり、英国貴族風の大邸宅をそのまま利用した大型店舗だった。
そして内部は、究極のライフ・スタイル別の商品展開であった。
4階建ての石造り大邸宅の中の商品レイアウトは、ブルックス店型のアイテム別商品展開の売場構成とは異なり、・・ホール・ロビー・居間・寝室・読書室・趣味室・キッチン・食堂、さらにはバス・トイレに至るまでが、それぞれの部屋の使用目的を生かした、それぞれのTPOの、全生活POLO商品を展開していた。
(※VAN社のライフスタイル別・チョップ展開ポリシーと同じであった。)
そこには、衣類だけではなく、家具、食器・ステーショナリー、バス用品、化粧品、洗面用品、各種小物類に至るまでの全てが・・・。
そしてトイレのブラス製水道蛇口から便器の形に至るまでの全用具がラルフ・ローレンの世界であった。(・・POLO棺桶は見当たらなかった?)
・・・この店とは、すべてのトラッド好き人間にとっての、夢と憧れを具現させた理想の家であり、
トラッド=ライフスタイルの究極の店舗だった。
アメリカン・トラディショナルのMoMAだった。
上の写真は
“RALPH LAUREN”銀座店のディスプレイ他からのものです。
なお、RL銀座店は1987年のオープンですが、
その店内の雰囲気及びディスプレイは
NEW YORK本店のイメージとディスプレイをほぼ踏襲したものでした。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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