続・青春VAN日記64
ケント社の巻 その31(1983年夏)
<石津謙介アイルランド漫遊記13・ケルン>
1983年、ケルン・メンズファッションウィークは、ケルンメッセで開催されていた。世界のメンズウェアが一同に会する大イベントである。
晴海の国際見本市のように広大な会場には、世界中の紳士衣料や雑貨用品が星の数ほど出品していた。
さすがに日本のビッグマン石津会長は、この会場で顔が知られていた。
かつてのカルダンの時代からの世界とのお付き合いなのだ。
会場のあちこちのブースで、声を掛けられ握手をする会長であった。
( 私達お供2名は、会長の後ろでひたすら笑顔をつくり、愛嬌を振りまいておりました・・・。)
それにしても、いったい世界にはどれだけたくさんのアパレルやブランドがあるのだろうか。もちろんこの会場に出展しているのはその中のほんの一分の大手なのだろうが、とても数え切れない。
もちろん、ポロやアルマーニ、リーバイス、バーバリー等の日本市場にも展開しているブランドが目立つが、ヨーロッパの土地柄や流行のせいか、デザイナーズ系の服が多いようにも感じられた。
この会場には世界各国のフォーマル・ビジネス・カジュアル・アウトドア・グッズ等のメーカーが所狭しとブースを連ねており、世界ファッションの勉強には、絶好の機会であった。
欧州の地で世界の紳士服を目前にして、改めて考えてしまった。
ファッションとはなんだろうか?
人間が生きていくのに必要な三要素は、衣・食・住である。そして地球上の生物の中では、人間だけが衣服を身にまとっている。
他動物の生存に必要なのは、食・住のみである。だから、人間にとっては“衣”が三要素の筆頭に挙げられるほど、人間の証明でもある。
しからば、ファッションとはなんだろう?
日本の多くの消費者達の考える答えは、身に付ける衣服の事だろうとか、特にカッコイイ服の事ですとか、・・・女性に至っては、オシャレの事だとか流行ってる事とか・・。
例によって、きわめて抽象的であいまい感覚の世界である。
はたして、モノ(衣服)の事を言うのか、人の行動(装い)の事を言うのか、それとも風俗現象の流行(トレンド)の事なのか、各人各様の解釈で実に不明確である。
よって、かつてのメンクラ読者時代の私などは、トラッドは、軽薄な流行ファッションなどでは無い!いっしょにしないでくれ!とまで思っていたものだ。
答えをくれたのは、VANと石津謙介先生だった。
「ファッションとは、ライフ・スタイルのことである。衣食住、全てにわたっての“人間の生き方”のことである。」
そして欧州の地で見た世界のメンズファッション・スタイルには、2つの大きな流れがあった。
それは、言うなれば、アングロサクソン系とラテン系のスタイルであった。
アングロサクソン系の服は、もともとが西欧社会における、着る人の身分・地位・家柄・属性を表現する、人を表すツールであった。
その服は人々の生活と歴史の中から生み出されてきた伝統の素材や、色柄、型を使用したものであり、すべてのデザイン・ディティールには、より良き社会生活を送るための、目的・機能と言う物があった。
つまりは、社会の必要性が生みだした服である。
イギリス・スタイルは、伝統を重視するものであり、たとえばウィンザー公が世界に流布させたような格調高さというものを漂わせ、その衣服には社会でのルールやマナーまでもが含まれている。
アメリカ・スタイルは、例のナチュラルショルダーを特徴とし、サック・スーツを規範とするビジネス・スーツの基本形ともいうべき知性と教養を表現するWASP社会の制服とも言えるものだった。
しかるに、アルマーニなどのラテン系スタイルは違う。
真っ向から、色・型・素材に派手さ・目新しさを主張する。スーツやジャケットであっても、男の性を振りかざしセクシーさや個性的なデザイン・スタイル・モードを主張する。
つまりはデザイナーという個人が創作した服である。
上着の肩におもいきりパットを入れてみたり、ゴージラインを思い切り下げて胸が丸見えのⅤゾーンにしてみたり、ダブダブの上着やスラックスを組み合わせたり、勝手な位置にボタンを付けたり、おかしな柄の新テキスタイル生地を使ってみたり・・・。
これらのデザイン・形には、どのような生活機能があるのだろうか?
あるとすればその目的は、人目を引く、ということだろうか。
どう見ても実社会の場で紳士の着る服とは思えない。
これらの服の対象は、ビジネスではなくプライベートであろう。
私には女性の目を引くための遊び人の服としか思えなかった。
いうなれば、禁酒法時代の米国のギャング・ルックや、かの日活・渡り鳥スタイルや、東映・仁義無きスタイルなどを彷彿とさせる、つまりは伊達者・芸能人・遊び人・水商売など、自由業に生きる人のための、社会性よりも個性を優先する服に見えた。
私は、正統とか伝統(オーソドックス)が好きな常識派人間なので、ついぞアバンギャルドなものが理解出来ない。
「あの人、不良っぽくて素敵!」などという女性の感覚は理解に苦しむ。
自ら不幸な人生を求めているのだろうか?と思ってしまう。
映画であってもアウトロウよりも、好青年の若大将の方が良い。
おもえば、ファッションの歴史は、いつの時代も“正統と異端”、
“不易と流行”のせめぎ合いだった。
学問の世界であるならば“正統は論理・感覚は異端”である。
日本のトラッド愛好者達は、ファッションを、感覚としてではなく論理として考えた。(くろすさんは“トラッド道”と考えた。)
男の格好良さは、ヌーベルバーグよりスタンダードと考えた。
明治以後、日本が手本にした英国や昭和の米国は、世界の政治経済文化のスタンダードと信じるから憧れたのだ。
世界を動かすWASPの中心であるオックスブリッジやアイビー校は、世界の学問のスタンダードであったから格好よいのだ。
男の格好良さとは、感覚やフィーリングではない。
行動と実績なのだ。
しかしながら、ラテン系世界は違うようだ。
イタリア男は、仕事よりも女性や家族との私生活を優先すると聞く。
ゲルマン系統の英国やドイツと比べると、軟派のイメージを感じる。
それが常識や良識にとらわれない自由奔放なファッション要素を発展させているのかもしれない。
(機械好きといわれる英国人やドイツ人は、機械や道具や兵器等の究極の機能美にすぐれているが、ラテン系は芸術的感覚美に秀でているように感じた。)
ラテン系ファッションはデザイン・スタイル・モードの感覚の服である。
アングロサクソン系は、機能と思想で着る論理の服である。
などと、屁理屈で結論付けてしまったが、広い会場を巡ってみると、そんな単純には、国や地方別だけで簡単に区分け出来るファッション世界の現状でもなかった。
クロスオーバーやファジーなどのカオスの時代が始まっていた。
かつて英国のスタンダードなクロージングが、アメリカ東部に渡ってトラディショナル・ファッションになった様に、今や西海岸に行けばウエストコースト・トラッドになり、ハワイではハワイアン・トラッドになり、フランスにはフレンチ・トラッドが出来、イタリアではイタリアン・トラッドが存在し、
・・・なんと日本においては、逆にトラッド原型1型モデルさえもが存在していた。
(※翌年、会長に同行したミラノでは、ドォーモの名店街に、なんと“KENT”という我社と同名のトラッド店が存在し、見事にボタンダウンをディスプレイしていた・・・。)
トラディショナル・ファッションとは、なんとフレキシブルなのであろうか。
よって、ファッションの世界を、語学の勉強に例えたならば、デザイン・スタイル・モードの世界は“会話”トラディショナルの世界は“文法”・・・と言えるかもしれない。
やはり、トラディショナルが、ファッションの基本文型であった。
『 伊矢早 南友・・・・・!!! おそれ入り・・・
否・・家早 南友だったかな・・? 』 |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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