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続・青春VAN日記61

ケント社の巻 その281983年夏)

<石津謙介アイルランド漫遊記10・ロンドン>

ロンドン到着の1日目、心躍る私達はさっそく市街に飛び出した。何台も連なる赤いダブルデッカーや黒塗りのオースチンタクシーで混雑するピカデリーサーカス近辺には、自動車会社のショールーム、航空会社、銀行、商店が集まり、たくさんの人出で賑わっていた。

ハイドパーク寄りには豪壮なマンション、格式高いクラブなどが並び、リージェント通り方面にはリリーホワイツ、スワンエドガー、シンプソン、フォートナムメイソンなどの有名店が、そしてバイロンも住んでいたオルバニーの古いビルなどが並んでいた。



そして、この建物の北に延びるのが、かの“サビルロー・ストリート”
であった。

日本においても星野醍醐郎・堀洋一氏の名文でお馴染の、英国テイラーの代名詞であり、日本語の背広の語源ともなった通りである。

トラディショナル・クロージングに携わる私としては、何はさておきこの通りを見てみたかった。

青春時代に初めてメンクラで覚えたサビルロー・ストリートの地名。
世界の一流紳士がいったいどれほどこの地で紳士服を誂たことか。

軒を連ねる歴史ある格調高いビスポークテイラーの数々。
・・・HUNTSMANNORTONSONSGIEVESHAWKES,・・・


なんと、通りには黒の塗装も目新しいPOLOSHOPも存在した。
・・・今、私は、このサビルローに立っているのだ。
万感の思いに、ウインドウの前で立ちすくみ続ける私でありました。


続いて、リージェント・ストリートを歩き、アクアスキュータム・オースチンリード・ダンヒル・スコッチハウス、バーバリー店等を見て廻りましたが、その伝統ある店舗は、どれも素晴らしい物でした。
(・・・しかしながら服の買物はいっさいしませんでした。
なぜなら
・・・出かける前に会長は、仰いました。


この地での既製服は、体型的に日本人の“前肩”には合わないから、やめときなさい。買物するなら伝統の“グッズ類”が素晴らしい。

特にスウェイン・アドニ-&ブリッグ社製の傘は良い・・・。



・・・しかしながら、フォックスもデンツもダンヒルも、目玉が飛び出すくらいのプライスで、とても私如きには手の出るものではありませんでした。・・・質実剛健の小生には分不相応也、残念!)

ピカデリーの北の地区がロンドン最大の繁華街であるソーホー地区。
その中に“カーナビ―・ストリート”があった。

リバティデパートの裏手で、通りは歩行者天国になっていた。
私たちビートルズ世代にとっては、記憶にも新しいチェルシーと並ぶ“モッズ・ファッション” の発祥地である。

しかしあの熱気の60年代から20年を経過した街にはべスパ集団の姿は無く、観光名所の竹下通りのような若者ブティック街に変っていた。

残念ながら、ここには私が欲しくなるような物は何も無かった。

そして、ソーホーには、あのエラの唄“ストンプ・アト・サボイ”で有名なサボイ・ホテルもあった。(エラ・イン・ロンドンに出てくるサボイはNYのサボイホテルなのだろうか?)


ピカデリーサーカスを南に500m程歩くとトラファルガー広場だ。



大英帝国海軍ネルソン提督のトラファルガー海戦での大勝利を記念した広場である。“西のネルソン・東の東郷”と賞された提督は、こんな顔をしていたのか、と思わずはるかな高さの銅像の顔を見つめた。


広場の北面がナショナルギャラリーだ。大勢の観光客達が広場の噴水まわりにたむろしていた。この国立美術館館内には、昔、美術の教科書で見たことのある名画がたくさんコレクションされていたが、残念!
絵画知識の浅い私には、ラファエロもモネもドガもダヴィンチも、よく分からず、あまりにももったいない経験をしてしまった。


さて、大泉、鳴島、愛甲、私の若手4名は、地下鉄TUBEに乗って、ハイドパークにある女王陛下のハロッズ・デパートを勉強しに行った。

玄関に掲げられた王室御用達の紋章があまりにも素晴らしい。
(私は、これが一番欲しかった。ちなみにケント社員エンブレムは、このプリンスオブウェールズ紋章をアレンジしたものデス。)



ハロッズはヨーロッパ最高の格式を誇り、ハロッズにないものはない!といわれる世界のデパートの手本である。ドアボ―イ一人をとっても実に格調高い。お客様達も洗練され垢抜けしている。その販売接客も実に見事であった。


銀座松屋・大泉課長のプロの目が光りだした。


最高品質の陶器類、ガラス製品、鞄類の品揃えは、美術館の様であった。ずらりと陳列された高級紳士靴は美術品のような美しさであった。


さらに特筆すべきは、食料品、特に肉類の売場は、まさに一見に値する食肉文化国ならではの見事な物だった。

(・・・銀座松屋の大泉課長は、この10年後、地下食品売り場の部長となり、都内に名だたる松屋食品売り場を作るのでした。ああ、松屋の赤飯弁当、うまかったなあ・・・!)


かくして、ロンドン滞在1日目は終了するのでした。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく









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