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続・青春VAN日記63

ケント社の巻 その301983年夏)

<石津謙介アイルランド漫遊記・12 ケルン>

ドイツ・ケルン市にて開催される“メンズ・ファッション・ウィーク”。

今期、石津会長は日本大使館をとおして招待されていたので、急遽ロンドンからケルン市会場へ直行する事になった。

ツアーメンバーはロンドンにそのまま滞在し、ケンコレの愛甲社長と私の2名が、一泊二日で会長のお供をすることになった。

それにしても、この助さん格さん達の語学力は実に頼りない。空港カウンターでは、チケット購入にも四苦八苦してしまった。

見かねた会長が笑いながら助けてくれた。欧米では搭乗券カウンターの受付嬢も、非常に愛嬌がいい。

受付にも機内にも、ベテラン嬢が第一線に出ているようだ。そして後方を指導している。

若い女性が表に立つ日本とは、反対の仕組みらしい。私達のたどたどしい英語にも丁寧に応じてくれる。私達は、旅行の達人・石津会長がどういうふうにアプローチするのか期待して見ていた。

すると会長はいきなりの英語で、なんと、

「ボクは、ミスター・ルフトハンザ氏に会いに来た!」


伝票を見ていたベテラン受付譲は、フッと顔をあげて、ニッコリ笑い、すぐにミスターで言葉を受けた見事な返事をかえした。

「ミスター・ルフトハンザはたいへん温厚な立派な紳士でございます。私もミスター・ルフトハンザを心から愛しておりますの。ですからどうぞドイツにいらっしゃって、こころゆくまでお会いになってください。」

・・・すると会長は・・・。

「君、そんなにミスター・ルフトハンザといい仲か。彼は最近結婚する という話を聞いたが、ケルンの大聖堂で君と結婚するのかい?それじゃさっそくケルンにお祝いに行かなくちゃ。」

ベテラン受付譲はまた笑って、「いいえ、いかに立派な紳士といえどもミスター・ルフトハンザは50歳。わたしは独身ですけどまだ21歳(?)、ですから結婚はどうもね。」

と、応対した。そう言いつつも、もうケルンへのチケットを手配している。

・・・う~ん、こんな“イカシタ”会話が日本にあるだろうか?出来るとすれば、日活映画の“エースの錠”ぐらいなもんだ。日本のサービス業のマニュアル応対接客術とは次元が違う!


会長はケルン行きの機内でも面白い話をたくさん聞かせてくれた。

「実は、ボクは若い頃に“男の服飾”で熊井戸さん達とドイツに来たことがあるんだよ。みんな若いから夜も良く遊んだものだよ。ドイツには有名な“飾り窓”というのがあるんだが、熊井戸さんが、これをすっかり気に入ってしまったようで、さあ、帰国するぞと言う日になっても、僕達の前に姿を現さなかったんだ。
すわっ行方不明か!ってなもんで、あの時には大騒ぎになったなあ!
結局、熊井戸さんは飾り窓にいたんだよ。

(・・・時効だけど東京では内緒だよ)・・・。」



727は小一時間もかからずケルンに到着した。荷物も持たない私達に、通関は実に簡単だった。
ケルン・ボン空港のタクシーは全部がベンツだった。
バスもトラックもゴミ収集車も皆ベンツだった。

ベンツ=高級車、の、日本人の偏見はもろくも崩れ去った。
・・・が、空港でベンツのタクシーに乗り込んだ私達は、ケルン市街に向かい有名なアウトバーンを走り出した。すると、その速度たるや!

「・・・ひえ~、いったいなんなのだ、このスピードは!」メーターを覗くと、なんと180kmを表示していた!リミッターは付いてはいない。そして制限速度規制も無かった。

東京の神風タクシーどころの話ではなかった!
恐るべしドイツ国、恐るべしベンツ車、恐るべしタイガー戦車、Ⅴ1号!

まずは市内で、宿泊施設を探す。イベントシーズンでホテルはいっぱいだった。いきあたりばったりながらも、会場近くの市電の走る街角に小さな民宿ホテルを見つけることができた。

会長
「・・・イベントには、明日、朝から伺う事にしよう。とりあえず、腹も空いて来たことだし、今日は市内に出かけて、まずは、腹ごしらえをしようじゃないか。」 



さっそく午後の市街に繰り出す御老公一行であった。浪々と流れる広大なライン河の向こう側には、巨大なケルン大聖堂がその全貌を見せていた。ここは旧市街のアルトスタッツ。
ライン河沿いのホーエンツオレルン橋(だったかな?)のたもとである。

愛甲「・・会長、ケルンといえば、フランス語のオーデコロンの語源は、このケルンと聞いております。何故この地で“4711”等のコロン(香水)が発達したのでしょうか?」

会長「それはね、街の中を河が流れ、川端に柳の木があれば柳川になる。(・・・おっと、ちがったオットーメーヤー、これは牧尾社長のパターンだった。失礼しました・・・筆者)

・・かつてのライン河はアルプスの名水が流れる清冽な川だったんだ。だから、その水を元に香水を作ったと言われている。それを、当時はろくに風呂にも入っていなかったフランス貴族達がにおい消しに愛用してケルンがコロンになったらしい。だからいい水を使っているこの一帯はビールの名産地でもあるんだよ。」


横田「なるほど。」

会長「まあそういうことにしておこう。ボクはコロンよりビールだな。」

・・・ついに会長の鼻が活躍を始めだした。そしてレストランやビアホールの建ち並ぶ旧市街を発見した。どの店も、歩道にまでテーブルと椅子がはみ出し、ソーセージを焼くいい香りがしてくる。どこからかアコーディオンかバンドネオンの音か、歌声も聞えてくる。実にオープンなストリートである。

なぜか子供の頃読んだ“ブレーメンの音楽隊”の童話のさし絵が思い出される。

会長「おお、ここだ、この店が良い。ここにしよう。」

・・・そして私と愛甲氏は、昔むかしに第二外国語で履修した独逸語を、初めて実使用する不幸に恵まれたのでした。

「グーテンタック、マイネ フロイントリッヒカイト」(おっ、いいねえ!)「イッヒ リーベ ドイチ」(さすが!)「デル、デル、デルヨウ、・・ショーベン、シャープ、ゲショーベン!」(・・・ダメダ、コリャ~。)

会長の超能力の鼻には間違いが無く、自家製生ビールとソーセージは抜群の美味さでありました。そしてライン河の橋を渡り大聖堂を見て、食後の散歩を楽しむ御老公一行でありました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく









“VAN SITE”ZOKU-SEISHUN VAN NIKKI 63
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