続・青春VAN日記79
ケント社の巻 その46(1984年夏)
<アイリッシュセッタークラブ・イタリア旅行②>
四千年前頃、ライン河からカスピ海に至るまでの地帯には、一群の蛮族が漂浪していた。その大部分は白色碧眼の北方人種であり、アーリア人と呼ばれていた。彼らは平地の森林開拓地の民族であった。
彼らはすでに青銅を使用しており、やがては鉄の精錬を発見した。又、文字の無い彼らはたいへん歌うことの好きな民族であった。彼らの使うアーリア語は、後日のギリシャ・ローマ文字や数字等の欧州諸国語の元になったという。
アーリア人は、かのナイルやメソポタミアの大河文明の成長中にも、中央ヨーロッパや西中央アジアの大地域に民族として広がっていった。
その一群はフランス・ドイツ地方や大ブリテンやアイルランドなどの西方に進出していった。そしてストーンヘンジ等太陽巨石文化を持つ原住系諸民族を次第に圧倒していった。
彼らは、ゲール系ケルト人やブリトン系ケルト人と呼ばれた。
また、ガリア地方からの南下を始めたアーリア諸民族の1群は、すでに地中海沿岸地帯に商業都市の勢力を広げ、沿岸各地に植民地を建設していたセム族のフェニキア人と激突することになった。
この波は、バルカン半島・イタリア半島においても同様であった。
アーリア人の進出は、やがて古代エーゲ文明を一掃し、ミケーネやクノッソスは忘却され、バルカン南部にはギリシャ都市国家群が成長し、イタリア半島には、都市国家ローマが出現した。
ローマの勢力拡張は紀元前5世紀に始まった。
既存のイタリア原住系エトルリア人は、この時、アーリア系のローマ人とガリア人とに挟撃されて歴史から姿を消した。ローマの中部イタリア地域征服はアレキサンダー遠征と同じ頃であった。
そしてアレキサンダー帝国崩壊の頃には、共和制国家となっていった。
なおも拡大を続けたローマ共和国は、ついには南部シチリア島に進出し、当時アフリカ沿岸からスペイン・地中海を支配していたフェニキア人の強大商業都市国家カルタゴを敵にすることになるのである・・・。
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そして、ジャ~ン!
ハンニバル、シーザー、ブルータス、オクタビアヌス、クレオパトラ等々オールスター総登場の大ローマ帝国となるのである・・・。
ローマ帝国の歴史とは、アーリア民族が、いかにして“ノア”の子孫であるセム族のエーゲ人、フェニキア人、エジプト人、ユダヤ人達の古代世界全体を征服していったか、という物語である。
そして、アーリア系のゲルマン・ノルマン・ケルト・ゲール・ブリトン・アングル・サクソン・ガリア・ギリシャ・ローマ等々の世界のアーリア系の流れの、現代に続く世界の覇者こそが、W・A・S・P(ホワイトアングロサクソンピューリタン)なのである。
私の世界史の参考書は学生時代のH・G・ウェルズ著“世界史概観”なのでとても古く、最新の歴史通説内容とは多少ズレているかもしれません。
しかしながら、ジュール・ヴェルヌと共に空想科学小説の元祖として知られるウェルズの「タイムマシン」「透明人間」「宇宙戦争」等の面白さは、少年の私を夢中にさせ、又、彼が後半生にはその卓越した小説技術を用いて「世界文化史大系」「世界史概観」などの歴史書を著述しているのを気付かせてくれました。
ウェルズの書いた世界史は西欧主観であり社会科学的傾向ながら、教科書歴史よりもずっと面白く私の世界観を養ってくれました。
・・・しかし、旅行や出張する度に、几帳面に予習・復習勉強してしまう、この団塊世代の習慣は、昭和の学校教育や旺文社のせいなのか困ったものだ。
石津先生は、“旅行は無計画に出かけるのが一番楽しい”と仰っていた。
<ローマは1日にして成らず>
それにしても、ヨーロッパはあまりにも遠い。最新鋭ジャンボ機でもトランジットや給油時間を含めると、とても1日以内では到着しない。
長い機内時間は、京成上野~成田・区間でも飽きてしまう私にはとてもつらい。(当時はまだエコノミー症候群の言葉はなかったが・・・)
はたして、“神風号”(同型・陸軍97式単発偵察機。昭和12年、朝日新聞社は同型機・神風号で東京~ロンドン間の最短時間国際飛行記録を樹立した。)や“ニッポン号”(海軍96陸攻同型機で、毎日新聞社により昭和14年、日本初の世界一周飛行を成し遂げた。同型機“大和号”は、昭和15年に画期的な、日本~イタリア親善大飛行を行った・・・。)
・・・その時代から明大グライダー部で空を飛んでいた石津会長や、東京五輪時のDC8機時代から海外旅行を経験された先輩メンバー方は、この長い機内時間をどのように過ごされているのだろうか?
とメンバーの皆様を観察してみると・・・・、
・・・会長の座席場所の御希望は、ファーストクラスでない場合や、御一人旅行の時は、開閉ドア前通路のスチュワーデスとの向かい側に席をとられる事が多いようだ。
これは私の様な下心ある男共とは違い、席の出入り行動が楽な事と、着席中の乗務員との現地情報話や世間話の会話が楽しめ、足をのびのび延ばせるし、乗務員に用事を頼むのも手っ取り早いからである。
(ただしスチュワーデスとお見合いになるので、気の弱い私にはムリ?)
席に座り、例によってスチュワーデスの救命用具の説明デモに“アホな”セリフをアテレコして遊んでいた私だったが、ベルト着用のサインが消えると、前方スクリーンでは映画の上映が始まった。
映画は、なんともタイムリーに“ローマの休日”であった。
アリタリア航空はエライ! こんな事がアリタリア!
まるでローマ観光の予習授業だ!
久しぶりに見るオードリーヘップバーンの美しさはこの世のものとは思われない。なぜ、かのスクリーン時代の女優はこれほど美しいのか!
(うわべの化粧法などではなく、豊かな表情・優雅さ・気品が違う!
・・ああ日本でも、吉永小百合様のような女優はもう出てこないのだろうか!)
「どうだい、飲んでみるかい?」
・・・なんと!石津会長におかれては、機内持ち込みバッグの中から、赤ワインの1ℓパックを取りだされた。
「ボクはこれが好きでねえ・・・。」
( 当時は、搭乗荷物の重量制限等があったが、機内持ち込み手荷物などは比較的自由で良かった。酒も持ち込めたし、座席でたばこも吸えた。
ヴィーナス・アメリカ旅行の時などは、パンナムの乗務員たちが、バンドメンバーをコックピットに招待してくれて、飛行中の乗務員室で皆で“バーバラ・アン”を歌った事もあった・・・。)
“ペンは剣より強し”の花房さんは、と見てみると、会長のおながれを頂いて、ヒゲの宮様のようなお顔はすでにピンク色。
なぜか、酒の飲めない宮川常務もピンク色(・・飛行機酔いか?)
愛甲氏は長編の落語テープなんぞを聞きながら一人で笑っている。
Vカンパニー斎藤氏は、グアム島救出後の横井庄一氏の様にひたすら眠り続け、ツアー新登場のV社サイクリングクラブの堀氏(米国自転車単独横断)は、後方化粧室前のスペースで、ストレッチ体操をしているのであった。
(元VanHeusenの堀俊二さんは、Ⅴ倒産後、南林間でカスタムバイシクルショップ“ラムズ店”を開業され、ポパイ誌のサイクル記事の担当もされていました)
・・・ああ、地球は、でかいなあ!
三度目の機内食は、はたして朝食なのか昼食なのか夕食なのか?
まだローマには着かないのかいな!
もう、今は昼なのか夜なのか、体内時計の日時感覚が狂い始めていた。
嗚呼!“ローマは1日にして成らず”
・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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