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続・青春VAN日記27

ヴァンカンパニーの巻 その11(1981年秋)

<ヴィーナスのおそい夏休み>

「あいえな〜!なんでこうなるの〜?」


羽田空港に集合した私達を待っていたのは、沖縄便・全便欠航の表示だった。

・・・「大門ちゃん、どーすんのよ〜」とジョージ永井社長。

これじゃ、あたしお嫁にいけないヨと座り込むコ二―さん。

WHAT YOUR NAME?」
??を連発する下平マチャアキさん。

「腹減ったよ〜」
???とジョ二―中西さん。

「山手線で行けばいいじゃん」
????とジミー那須さん。



ツアー旗持ちの大門氏は、と見れば、
雨よヤメー、風よ止まれ〜、おお八百万の神々よ〜ナンマイダ〜」


と西南の空に向かって祈祷をおこなっていた。


すっかり夏シーズンも終わりを告げた頃、と言うよりは秋。

プロデューサー大門俊輔氏より、店に電話がかかってきたのだった。

「お〜い元気かや、夏休みの旅行にいかネーかい。スケジュールが取れたんで、ヴィーナスのみんなで沖縄さ行くだよ。いっしょに行くべーよ。」

「うん、イクイク。」


・・・そして、その結果がこの有様であった。
突然に巨大な台風が襲来したのである。

「天気予報ぐらい、誰か見てこなかったのかいな〜まったく。」

「オラしらねー」・・・実にNO天気なお気楽グループでありました。


2時間ぐらい待ってりゃ、飛行機飛ぶんじゃないの?」


・・・しかし夜まで待っても、飛行機は飛ばなかったのです。
「♪あ〜すっかたなかんべさ〜、きょうはホテルにでも泊まるべ〜」

・・・(う、三橋美智也の唄を知っているとは、デキル!)


大門氏は公衆電話をかけまくりホテルを探すのでありました。

「おーい、部屋が取れたドー。品川プリンスだ。」 おー、一流だ!


なんとかホテルにたどりついてひと安心、と思ったら、予約出来ていたのは、シングルルーム一部屋のみであった・・・・。

もう動くのいやだよ〜・・・。
コ二―がベッドに、男どもは床でごろ寝となるのでありました。




さて翌日は台風一過。素晴らしい青空にめぐまれ、一行は、喜び勇んで南の空に飛び立っていくのであった。


ところが、・・・サプライズは、昨日の晩だけではなかったのです。
那覇空港に降り立ったこの一行には、なんと!南斗水鳥拳!
沖縄での行動スケジュールが決められていなかったのであった。

そこで、頼りになる救いの“シーサー神”が登場したのであります。
「沖縄アイビークラブの嘉手苅会長」その人でありました。


私が、失礼にも県庁勤務中のカデカルさんに電話を入れると、
あーありがたや!「・・・家で待ってて」とのこと。


なんと、私たち図図しい“アキサミヨー軍団”は、“キジムナー”のごとく壷屋にある御自宅に勝手にオジャマするのでありました。


「アイエナー!」と驚く母上様に応接間に通されると、窓からは公設市場の景色が見え、室内には沖縄の歴史書がずらり。
思わず、チャービラサイ軍団は沖縄の夏季合宿勉強にいそしむのでした。


「・・・1300年代、沖縄は三山に別れ、按司による覇権争いに明けくれていた。1429年、佐敷按司(あじ)・尚巴志によって統一され、第一尚王統が確立された。1500年代の第二尚王統の時代になると中央集権が確立、中国やヤマトの文化を導入、海外貿易を発展させ、大航海の黄金時代を築いた・・・。」

うーん、勉強になるなあ!
まさにカデカルさんの御宅だけでも、沖縄に来たかいがあるというものでした。(・・・悲惨な沖縄戦の歴史も勉強して、涙しました。)



勤務を終えて帰宅された昭和の謝花・カデカルさんは言いました。

「明日は、ヴィーナスの皆さんを南部ドライブにお連れしてからに、新原ビーチで海水浴しましょうね。してからに翌々日はアイビークラブのメンバー達と、ムーンビーチでバーベキュー・パーティーしましょう!」



VANざーい!」なんという御親切。


“きゆの誇らしさ 何をにぎやなたてる
 ちふでうるの花ね 露行逢たごと”(かぎやで風)
   (今日の喜びを何にたとえよう、花の蕾が朝露にあたっているようだ)


沖縄は人情の島でありました。まさにカデカルさんは、歴史ある“沖縄のおもてなし外交”を代表する那覇市壷屋の“あいびー親方”とも言うべき方でありました。


おかげで、ヴィーナスの面々は、ファンに取り囲まれる事も無く、
美しい沖縄の海を充分に満喫することが出来たのでした。


新原ビーチの美しい珊瑚礁の海で海水浴。
砂浜で久高島を望みながら食べた“レインボーかき氷”の美味かった事!

珊瑚礁の新原ビーチ


南部ドライブでのウチナーそば、サータアンダギー、チャンプルー、ふーちばじゅうしー!

オキマートでのあちこーこー、ゆがふ牛乳、むーちー、シークァーサー、パイン!

58号線のステーキハウス、A&W、ブルーシール、チャーリータコス、・・・!

ムーンビーチのバーベキュー、オリオンビール、泡盛くーすー、かちゃーし大会!

糸満摩ブニ


「くぬまーま、なぁうひぃぐぁーやてぃん、沖縄んかいうーいねー
やまとんかい けーららんなゆん・・・」

   (このまま沖縄にいると、東京に帰れなくなってしまいそう・・!)


沖縄自体がニライカナイ(海の彼方の理想郷)でした。
沖縄アイビークラブの皆様方に心より二へ−デービル。


“ヴィーナス・沖縄行き当たりばったり旅行”
守禮の門にて
1981年10月1日

沖縄アイビークラブの面々とムーンビーチにて





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく

        










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