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続・青春VAN日記41

ケント社の巻 その8(1982年)
<青山トラ次郎・営業旅情⑦>

長崎本線に乗る。
牧尾社長と昨日の“柳川話”に花が咲く。

「社長、柳川と言えば、私は江戸前の浅草どじょうの“柳川なべ”を思い出すのですが、柳川市と何か関係があるんでしょうか?」

「無い。町の中を川が流れ川端に柳の木があれば柳川という地名になる。日本中には柳川という地名はいくらでもあるじゃろうが。
江戸の柳川鍋は、たしか日本橋の柳川という料亭がどじょう料理を出したのが始まりだろう。その時使った鍋が柳川焼だったから、などというのは後日のこじつけ話じゃろうて・・・。」



それにしても、近くて遠きはローカル線である。
線路がまっすぐには
走っていないのである。
ここでは関東のように平野が続くことが無い。


曲がりくねった線路では、スピードも上がらず時間が掛かる。車窓からの景色は、田園、山、川、海の風景と見事に変化するが、昔は鉄道模型好きだった私でも、さすがに飽きてくる。



退屈しのぎに、トイレのついでにドア横にある地図をじっくりと見ていると、“” ・・・あることに気が付いた。

筑後平野に、“大和とか山門”とか、“やまと”という地名があるのを見つけたのである。なぜ九州に“やまと”の地名が在るのだ?(・・京都も在った)

この時ひらめいたのは、大好きな戦艦大和ではなく“”だった。

・・そうだ!この地は“幻の邪馬台国”だったかもしれないのだ。60年代“邪馬台国の謎”が松本清張まで登場してのブームとなった。

私も古代史のロマンに胸をときめかせたものだった。
邪馬台国論争は、新井白石・内藤湖南の近畿“大和説”だけではなく、本居宣長の“筑紫説”、近藤芳樹の“菊地山門説”、そして管政友の“筑後山門説”・・・と諸説紛々であった。

夢中になって読んだのが、井上光貞先生の「日本国家の起源」だった。
・・あの、学生時代に胸をときめかした古代史ロマンが甦ってきた。

「夫れ楽浪海中に倭人あり、・・・分かれて百余国をなす・・・。」
「建武中元二年、倭奴国奉貢朝賀す。・・光武賜うに印綬を以ってす。」「倭人は帯方の東南大海の中に在り。・・・名づけて卑弥呼と言ふ。」


・・そうだ、私は今、“古代日本国発生の地”を旅しているのだ!


委、倭、倭面土国、和、大和・・なぜ“わ”が“やまと”なのか?

邪靡堆、夜麻登、倭面土、邪馬台、山門、大和・“やまと”の国とは?

倭人伝の末盧国は?伊都国は?奴国は?投馬国は?邪馬台国は何処・?

記紀にしるされた日本の源、日ノ本、日の国、火の国、肥の国とは?


日の国(肥の国)に向かい合うという意味の日向の国とは?


豊前・豊後等の国名と宗女・壹与(トヨ・豊磯城入姫?)との関係は?

耶馬溪の耶馬とは(頼山陽の命名とも言われる)?


いったい、筑紫、熊本、阿蘇地帯が、日本の始まりだったのか?


そして記紀伝承と中国資料との関係は?

国造り―天の岩屋―八俣の大蛇―国譲り―海日子・山日子―神武東征
―八咫烏―倭健命―草薙の剣―朝鮮征伐―難波のお宮・・。





はたして天孫降臨とは?実在する高千穂、天岩戸、高天が原とは?


卑弥呼とは尊称か?姫御子か日の皇女の意味か、それは誰か?

神功皇后か、百襲姫の命か、倭日姫か?・・はたまた天照大神か?

神武天皇が、もし天照の弟でスサノオの兄・月夜見の命だったら?

カムヤマトイワレヒコの尊称のヒコとは、肥の子・日子の意か?

尊称“ミコト”の“尊”、“命”、の文字違いの意味は?














素戔鳴尊と大国主命の“国譲り話”や、神武天皇東征物語り、
景行朝・倭健(ヤマトタケル)の筑紫征討の意味するものは?

北九州邪馬台連合と熊襲勢力と出雲勢力と畿内大和朝廷の関係は?

神武天皇・天皇家は北方騎馬民族出身か?

仲哀妃・神功皇后新羅征討に始まる朝鮮出兵は何故?

任那は邪馬台連合か、大和朝廷の日本領か、三韓の独立国か?










高句麗・好太王碑に記される楽浪攻防戦。応神の戦時出費に
疲弊した民のカマドから上る煙の少なさを嘆き、
心配した仁徳天皇の有名な話。


そして宋書倭国伝の倭の5王とは誰か?



その後の“百済にあらずば人にあらず”(“くだらない”の語源?)
と言われるほど、朝鮮半島出身者(帰化人)が
エリートであった時代とは?







そして蘇我氏の台頭・・・・。


うーん、だんだん思い出してきたぞ!
退屈に思えた九州出張の旅が、急激に興味深い旅に変化した。
車窓外の松林の木陰からは、白の貫頭衣を身に着け、みずら頭を結い、草薙の剣を下げた、ヤマトタケルの顔が見えたような気がした。

(なぜかミコトの顔は高須さんだった!?)

・・・一生の内に、日本の起源と言われる九州各地を見て廻れる機会は二度と有る物ではない。ましてや自費では考える事も出来ないことだ。せっかくの出張の機会は、今後は有効に使う事にしよう。

出来るなら、三雲、須玖遺跡や志賀島等も見てみたいものだ。
よし!転んでもただでは起きないぞ!

出張がだんだんと楽しくなっていった。(本社には内緒)




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく









“VAN SITE”ZOKU-SEISHUN VAN NIKKI 41
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