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続・青春VAN日記91

ケント社の巻 その58 (1984年秋)


<銀座の酒飲み話>


84’秋の商戦も始まり、私の日曜祭日店頭販売手伝いも開始した。


松屋様ミスタートゥデイ売り場で、当社員の矢作・中嶋君達と接客していると、松屋紳士服・大泉課長がやって来られた。


「どお、今日は飲みに行かない?」

「いいですねえ!・・・じゃ、靴売場の倉持課長も誘いましょう!」


思えば、私が新入社員時、ケント上司の下田課長の初指示で都内各Kentコーナー全店巡りをした時には、松屋店VAN売場には先輩の柴田キャップや松本さんがおられた。

そして、紳士服売場・松屋社員のバリバリの若手が大泉さんだった。


一方、倉持さんは、私が大学1年時に初めて新宿京王デパートでアルバイトした時に仲良くなった1学年年上の早大生であった。

卒業後、松屋に就職して人事課に配属された倉持さんの所へは、私は銀ブラのついでに何度か遊びに来ていたのだった。

私のVAN就職が内定した時も、喜んでくれたセニョール倉持さん若き日のケーシー高峰に雰囲気が似ていたので)でした。

大泉さんと倉持さんは、なんと松屋様の同期社員でありました。



終業後、松屋裏の社員通用口で待ち合わせた3人の行く先は、近所の焼き鳥の名店“鳥銀”だった。

思えば、この店に初めて連れてきてくれたのは忘れもしない旧V販売時代、委託直営店の在庫管理でお世話になっていた営業管理の仲根由起子先輩でした。銀座での棚卸し作業の後でした。明るくて優しい素敵なお姉さんでした・・。)


「乾杯!・・・あいかわらず美味いなあ、ここの焼き鳥!

・・・ところで大泉さん、店頭ファッションショー大成功でしたね!
お客様から販売員モデルに声援が掛かり、大いに盛り上がりましたね!



「いや、これも取引先皆様のおかげです。今や、ミスタートゥデイ売り場の売上と顧客率は、
都内百貨店の中で紳士服売り場TOPの立場になりました。 これも石津先生のおかげと感謝しています。

ところで、横田さんは、当社の倉持とはお知り合いなんですか?」



「・・それがさあ・・・!」

今やチャーチの靴を見事に履きこなす、倉持さんが喋り出した。

「・・・こいつは、面白い奴でさあ・・・、学生時代、おれが京王デパートのカーペット売場でバイトしていたら、こいつは配送課のアルバイトで、小滝橋の商品センターから届いた店頭納入品を、手押し台車で商管から店内の各売場に届けていたんだ。

彼はアイビースタイルがキマッテいてねえ!
俺もアイビーにはちょっとウルサかったから思わず話しかけてね、それで仲良くなったんだ。


ま、アイビーがキッカケの“縁は異なものオツな物”かな。

・・・休憩室で仲良くなったアルバイト学生達には、東大生から早慶・MARCHと各校の学生が揃っていたが、その話題は、安保問題では無くて、もっぱらサービス課奉仕係の花、美人エレベーターガール達の事だったのヨ。


“~なんとか、彼女達と合コン出来ないものダロ~カ?”・・・と、なんとも青春に悶々とする軟派なバイト学生達だった。

「そこで、俺がこいつに言ったんだ。

「おまえヨ~、ちょっと手紙を彼女達に渡してくれないか?」ってなもんで、俺がそそのかしたら、こいつがヤッテくれたね!

なんと、バイト学生達で作った“合コンのお誘い状”を、護美場所にあった空き箱や包装紙やリボンで豪華に包装して、男子禁制の奉仕係控室に、“納品で~す”と言って届けてくれたんだ。

「・・貴女達は夜空にキラめく星の如く、僕達の星であります・・・
アンドロメダとペルセウスの如く、今宵、星空の輝く下界で
私達と出会おうではありませんか!(・・・なんちゃってね)」

そして、大学生達のラブレターは、奉仕係の美人班長さんや
エレベーターガール達に大いにウケテ見事承諾を得る事が出来たんだ。

美人班長さんを筆頭に京王デパート1の噂も高い美女軍団。


・・・ハリウッド女優のように美しい河原さん、・・・日本人形のような豊泉さん、・・・ファッションモデルもしていた岡田さん・・・・・、


まだ品格があって静かだった緑の並木の原宿表参道でのデートは、それはそれは、まるで夢の様なひと時だったなあ・・・!


・・ああ!学生バイトがまだ学士様と呼ばれて大切にされていた頃の、古き良き時代の夢のような話なのさ・・・!」


「・・・倉持さん良く憶えていますねえ、僕も楽しかったなあ。実際あの頃のデパートってのは、夢と希望と遊び心が満ちていましたネ。

売場は遊園地のように面白くて
“全国駅弁大会などの催し物”は毎日が文化祭や縁日のようで、実に楽しかった。


60年代の東京都民の暮らしの活気と楽しさが溢れていた。
デパートは大衆の娯楽と文化の殿堂だった。

地域社会のコミュニティだった。・・・デパートというものは実に楽しかった・・・。」



大泉さんが頷いた。

「・・・なるほど、そういう関係だったんですか。僕も子供の頃、めかしこんだ母親に連れられて行くデパートは、実に、子供心にもワクワクとして楽しい所だった。


デパートというものは、親にとっても、いつもの商店街とは違った都会のお洒落な買い物に出かける高揚感があって、その興奮は子供にも伝わった。
子供達にとっても、エレベーターやエスカレーターは当時珍しく大変に興味深かった。

そしてデパートは・・・小さな動物園や釣り堀から植物園、お猿の電車やいろんな乗り物、そしてカブトムシ・クワガタ・オカヤドカリ等も手に入れる事の出来る、最高の遊園地だった。

近所のおもちゃ屋では見られない高級玩具や舶来プラモデルもあり、町の大衆食堂とは違う洒落た御馳走も食べられる贅沢な場所だった。

日常生活の中のドリームランドだった。

そして、社会やマナーというものを教えてくれる校外学習の場だった。楽しい思い出をたくさん作ってくれる小さな家族旅行の場所だった。

だから、そんな思い出が記憶の中にたくさんあったからこそ、私は今、百貨店に就職しているのかもしれない・・・。」


「・・私達は、結局、お客様やみんなの喜ぶ顔が見たい仕事をしている似たもの者同士、なんですね・・・サービス業に乾杯!」





名人職人の焼く“焼き鳥” は、客達の心を2倍にも3倍にも満たし、
名物“釜めし”は胃袋を満たし、銀座の夜は次第に更けてゆくのでありました。



・・・これも一つのトラディショナルなのであります。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく













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