続・青春VAN日記18
ヴァンカンパニーの巻 その2(1980年夏)
<ないしょの石津会長賞>
新社設立に向け、接客にもいちだんと笑顔の溢れるPICK-UP店の午後のひと時、突然、石津会長がお一人で御来店された。
あの破産以後、じかにお顔を拝見するのは久しぶりのことだった。
「あ!・・・会長・・・!」
突然の驚きに思わず胸がつまり、あとの声が続かなかった。
「横田君、元気かい?」
尊敬する石津会長に声を掛けていただいた!
・・・そして、髪に白いものが増えた会長のお顔を拝見すると、争議解決の喜びとともに倒産以後の会長の御苦労と御心中をお察しして、それだけで私は涙が出てきた。
石津会長は、昔から社員を職階や年令で区別はしない方だった。
若いもの、とくに現場で働く社員には親身になって肩入れをしてくれた。
99ホールでの若い販売社員たちを前にした訓話でも、
「君たちに質問すると、いつでも皆おなじような答えをする。
顔が違えば考えが違っていいはずだが・・・何故だ。
これは良くない。
そもそもお洒落というのは、他人とは違う事をすることだ。
勉強というものは、当初はマネをすることから始まるが、
君達はすでに学生ではない。
プロのVAN社員である。人とは違うことをしなさい。」
・・・と諭してくれたものだった。そして今、新社構想、再建準備等で御忙しい日々のはずなのに、会長御自ら、御一人で現場の店頭までお越しくださるとは・・・。
「先日、私の古い友人から電話をもらったよ。
その彼はVANの現状を観察がてらに、この店に買物に来たそうだ。
君に接客してもらったそうだ。
実に、他店には無い親身で楽しい応対だった。
久方ぶりに、気持ちよい接客をする店に出会った。
石津さんの所には、まだ良い社員がいるようだね。
と、お褒めの言葉をいただいたよ。
僕はうれしかったよ。2年間よくやってくれたね。ありがとう横田君。」
ああ、会長は、この間の、私ごときの行動を判っていて下さったのだ。
(・・・男は、己を知る者の為に生きる!
倒産後初の“ないしょ”の“石津会長賞”でありました。)
さて、数日後、婦人画報社さんより電話連絡が入りました。メンズクラブ記者の岡さんからでした。
「争議解決おめでとうございます。
つきましては当誌としては次回8月SPECIAL EDITION号で特別企画“メンズクラブ・グラフィティ”を計画しております。資料の御協力をお願いします。・・・それと、その中でのグラビアページ “みゆき族の伝説”の銀座撮影ロケに御協力を頂きたいのですが。・・・」
「わかりました。ご希望のアイテムとモデルサイズは何でしょうか?」
「いや、ちがうんです。横田さん本人に出て欲しいのですが!」
「エエ?エッー?・・・私がですか?・・・」
「ええ、モデルさんではなく、みゆき族をリアル体験した年代のショップ店長の皆さんに御出演願いたいのですが・・・。
VANの横田さん、CREWSの万里小路さん、J・PRESSの植松さん、
そして私、岡芳治とMC公募モデル山本和男の5名を予定しています。
なお、着用する服・小物等は全て当時風の自前でお願いします。」
ドヒャ−!・・想えば学生時代には、メンクラの街アイに出てみたいと思ったこともあった私でした。・・それじゃ〜出てみるか!
さっそく万里小路店長に電話を入れてみるのでした。
「コージさんどうします?何を着ていきます?」
かくして、スタッフは早朝の銀座みゆき通りに集合し、懐かしい青春時代の服を着て、昔を思い出しながらの楽しい撮影大会を繰り広げたのでありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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