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続・青春VAN日記48

ケント社の巻 その15(1983年)

<第一回ケント社展示会>

てんてこ舞いの一人販促の私には力強い味方がいた。

それは永遠のVAN販促社員の㈱イケダ・プランニング・サービス(池田 忠社長)と藤代先生だった。

この時すでに販促企画組織“IDEAKONA”を設立した藤代氏は通常一般の依頼業務としてではなく、まさに正規VAN社員、ケント同期社員の姿勢で、いつも一緒に動いてくれました。



社内に設営した展示ブース施工やキャンペーンテーマ考案も、
スワッチ制作、案内状・土産プレミアム類制作も共に考えました。

そしてまた、・・・Kent商品や印刷物の文字意匠、紋章デザイン、英文コピー、等々にも、活躍してくれました・・・。

さらにはノべルティ制作も、私と一緒になってやってくれました。

(※・・・80年代Kentノベルティシリーズは、ブラスシリーズ・文具シリーズ・グラスシリーズ・陶器シリーズ・トランク・スタンド・掛時計 etc ・・・私と藤代先生の合作です。)



そして83’FALL&WINTER展示受注会は大成功だった。



Kent展示会、一風景(1987年) 
この時はトロピカル・リゾートをテーマに展開

ご来社数は200件を越え、立ち上がり受注額は下代1億を越えた。


お客様は、小売業界の皆様だけにはとどまらなかった。
親愛なる関連業界の方々もお見えになった。


ポパイ、ホットドッグ、ブルータス、エスクァイア、男子専科様。


マガジンハウス、日経新聞、繊研新聞、日本繊維新聞、夕刊フジ様。

日航ウイング誌、CBSソニー社、MFUの古郡理事(元ヴァンガ―ズ)。

そしてメンズクラブ誌の守谷記者はモデルの北上純さんや綿谷画伯といっしょに来てくれた。

特筆すべきは、憧れの青春のメンズクラブモデル井手正勝さんと
Kent
至高のモデル・戸田昭さんのお二人が揃っておいでになったことである。


あの99ホ―ルでのファッションショーから7年を経年し、
一段と渋さを増したお二人の端正な容姿は、青春時代をメンクラ誌と共に過ごした私達にとって、まるで後光が射しているようであった。


ケント社内展示会場に、石津会長・くろす先輩・穂積先生方と、井手さん戸田さんの揃ったそのスーパーショットは、まるでかつてのメンズクラブ4060号辺りの“夢のグラビアページ”が目前に甦ったかのような1シーンであった。


(・・・その後の私は青山“アダムス”社に、用事をこしらえては、ひんぱんに御用聞きに出入りさせて頂くのでありました・・・。)


・・・さて、ケント社初めての展示会ご来場のお客様には、私個人は“今はまだその時期ではない”と考え、積極的なアプローチはさし控えていた大規模小売店様も御来社下さいました。



「横田さんはおいででしょうか?」

御来社されたのは、心斎橋そごう・紳士服三木課長だった。

思い返せば、VAN社の大阪創業時、阪急に次ぎお取引した百貨店が、そごうさんであった(1950年代)。

そのⅤ社との歴史は古い。


そしてあの倒産後に、いち早く“VANグラフティ展” を企画され、再建に御協力頂いたのも心斎橋そごうさんだった。

当時、三木課長の依頼を受けた私は、たくさんの旧商品や販促物を持参して、紳士服売場にVANグラフティ・コーナーを作ったものだった。

そして三木課長は、今新たにケント社の取引を希望されるのでした。


銀座松屋紳士服・橋本課長と大泉係長が御来社されました。

かつてVAN社が初めて東京進出を果たし、数ある東京の百貨店の中で最初にお取引頂いたのが松屋銀座店様だった。


石津会長と山中社長との関係は長い。

さらに、紳士服係長の大泉さんは、私の京王アルバイト仲間のあの松屋に就職した倉持さんの同期社員であった。


お二方は、銀座店におけるトラッド系紳士服集大成の売場作りである“ミスタートゥデイ売場計画”を熱く語られ、また、松屋様の数多いトラッド客層を結集しての“石津謙介アイリッシュセッタークラブ”設立の話をされ、ミスタートゥデイ売場にKent-Shop設置を希望されるのでした。

また、丸井・新渋谷店バイヤーが御来社されました。この年、新装開店となる渋谷店は丸井様総力をあげての新店舗でした。

バイヤーは新渋谷店の目玉としてのKent-Shop出店を要望するのでした。


どちら様もかつて勉強させて頂いた事のある旧知の百貨店だった。懐かしいよしみでの御来社は単純に嬉しかった。


しかしながら、ケント社内で、かつての百貨店現場業務の厳しさや苦労の現場を知る社員は私一人のみである。

いずれも過去のⅤ社との長い歴史と、倒産時の微妙な取引関係、複雑な人間関係、悪夢の取引条件や支払い条件問題が入り組んでおり、軽軽しく私個人の考えを述べるわけには行かなかった。


それにしても予想を上回る百貨店の反応の速さだった。
どちら様も、ケント社の将来を左右する最重要事案である。

その場は慎重にお話を伺い、社内役員会で前向きに検討したうえで改めて当方よりお伺いする事となった。

私個人の営業計画はすでに社長、専務、常務に提出済みであり、百貨店様との現場業務のきびしさと困難さも報告済みであるが、決定権は役員会にある。

少なくとも現在の我社は、営業・販売組織未完成の非力の状態であり、“人・物・金”全てにわたって、複数のKent-Shopを同時開店させる状況ではない。


私個人は石橋を叩いて渡る主義であり、借金と賭けは
嫌いである。


しかしながら、物事はタイミングと言う事もある。
人は求められているうちが花、という言葉もある。果たして、役員会はどう判断するのだろうか。


ケント社の将来はどっちだ!




以下は、1980年代に企画・製作された“Kent”ノベルティーの一部

グルーミング・セット パブ・ミラー大(W800×H550mm程度)
常夜灯(1925年スタイル、ステンド・グラスです。) ブラス・シリーズ
ダイアリー(布張り表紙) グラス・シリーズ、ビアマグ
懐中時計
クォーツですが、ケース以外、
文字盤デザイン、針、竜頭までこだわって製作

モーニング・ティー・セット
レター・ヘッド・セット ハンディー・ケース




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく









“VAN SITE”ZOKU-SEISHUN VAN NIKKI 48
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