続・青春VAN日記90
ケント社の巻 その57
(話は、1984年秋に戻ります)
“V社員達の結婚ラッシュ”
20歳代の後期から30歳代の前期をVAN復活活動に奮闘したV社員や関係諸氏達は、あれから数年、漸くV・ルネッサンスに成功し、なんとか安定した生活を送れる状態を迎える事が出来た。
その結果、近年のV社関係周囲は、結婚のラッシュ状態となった。遅ればせながらのお年頃を迎えたベビーブーマー達の結婚式は、近年の旧社員、新社員の皆様にとどまらず、
(石川昇さん、佐野雅夫君、藤井耕治君、持丸恵子壌、並河さん、大川・梅田君、)
取引先業者様や青山Kent店顧客様、
(青山・花茂の北野晃司さん、青山・翺の元木秀男さん
ブルーノットアイビークラブ代表の鈴木康人君・・・、
鹿児島天文館時報堂の吉永剛さんも見事御結婚!)
その波は、バンド仲間や学生時代の同級生にまで及んだ。
そしてその大半の司会者は、私であった。
雅叙園、白雲閣、明治記念館、八芳園、迎賓館、椿山荘、三越会館・・・、帝国ホテル、高輪プリンス、山の上ホテル、山野会館、新宿J・・・、結婚式司会の数はこの数年で30回を超えた。
そしてその結果か、
今や・・・、アイビー団塊世代が製造した70~80年代に生まれた子供達は、遅い第2次ベビーブームとなり、中でも、男の子達の名前には、“謙・健・賢・研・拳”などの“ケン”の字をつかった名前や、末尾が“ト”の字で終わる名前が増大したのであります。
何故だと思いますか?
それは、男子憧れのスーパーヒーロー・クラークケントや健さんの思い出や好イメージとともに、VAN・Kentで育ち、尊敬する石津会長のお名前やブランド名を、トラッド好きが高じて、自分の子供の命名に使ってしまったトラッドファンの父親がたくさんいたからであります。
あの鹿児島天文館時報堂の吉永さんのお子様の名前もケント君・・・、旧Kent営業の上条さんにいたっては、なんと“ケンスケ”である・・!
(かく申す不肖私の愚息も会長公認を頂き、1字頂いて謙人を名のります。)
当の子供世代の当人には、ケンの付く名が多い原因や理由は分からないかも知れませんが、・・・本人達も知らないうちに、実は、VAN・Kentのトラディショナルは伝わっているのです。
旧ヴァンヂャケットの強力な販促・営業戦略はまだ生きている???
近いうちには全日本“連合ケン人会”が開かれるかもしれない???
(・・・これも一つのTRADITIONALなのである・・・。)
そして秋冬商戦が立ち上がる頃、銀座松屋様紳士服ミスタートゥデイ売り場においては、トラッド各メーカー秋の新作公開ファッション・ショーが開催された。
大泉課長の司会で始まったショーは、各ブランドのデザイナーや企画社員のプレゼンで、各社の販売社員達をモデルに使った面白いものだった。
そして、各社のプレゼンテーターには、Jプレスの谷・元V社ヘッドを筆頭に、ブルックスB、POLO、ケンコレクション、マクベス・・等、各メーカーに元V社員の顔ぶれが揃った。
モデル役の各販売社員達の意気込みは凄かった。売り場後方では、なんと販売員達のウォーキングとポーズの練習が自主的に行われていた。
中には常連のお客様に勧誘の電話を掛けまくっている者もいた。(これも実は、旧VAN時代からの売場活性化策の手法の1つなのである)
・・・こうやって、松屋様紳士服売り場のトラッド販売力は、松屋山中社長の下、社員の皆様、元V社員各社OB達の協力の下に、日々強力になっていくのだった。
30年前、日本中に石津先生が種をまかれて始まった、トラッド仲間やOB達の“連帯の輪(和)”は、こうして、今も日々新たに、繋がり広がり伝わってゆく。
(・・・これも一つのTRADITIONALなのである・・・。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
1984年、“J”でのVAN JACKET社員たち
なんと写真中央には、あの Mr,“Muttulini”の顔も・・・・・!! |
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