続・青春VAN日記7
破産財団の巻 その7(1979年春)
<ああ偉大なるかなVANブランド>
「あれ?VANの店が開いてる!まさか・・・?」
シャッターが開いているのに気付いた通行中の人達が店に近よってくる。まず、看板のVANの三つ文字を何度も何度も確認して、ウインドウから中を覗き込み、そして顔の表情が次第に輝き始める。
しかしなかなか店内には入ろうとはしない。しばらくは固まっている。
中にいる私の存在に気付くと、ようやく目を輝かせてドアを開け入店されるのでした。
「あのう、本当にここでまた、VANの商品が買えるんですか・・・!?」中には、涙ぐむお客様までいらっしゃった。
開店を最初に気付いてくれたのは、町内のVANファンと若者達でした。
一番最初のお客様達は、外苑前郵便局の太田さん、㈱コーホクの木村元さん、㈱前田ブラスの溝口進さん、南部寿雄さん、青山・中国料理「翺」の元木秀男さん達、帝国ホテル・レインボーラウンジの小山栄一さん、
銀座画廊・青龍堂の稲垣哲行さん、青山花茂の北野晃司さん、
㈱トリンプ・㈱レナウン営業社員アイビー同好会の皆さん、
鹿児島天文館・時報堂の“若大将”吉永剛さん、
青山に事務所のあった西郷輝彦さん、谷村新司さん、
岡島刺繍(VANエンブレム)の岡島テルさん、
青春の椎名町の工藤孝さん鈴木さん・・・達。
続いて、神宮前アイビー町内会の鈴木康人君、鈴木康文君。鈴木栄治君。
ブルーノット・アイビークラブ、原宿アイビークラブ等のみなさん。
熱烈VAN少年だった浅見、青木、豊田、印南君などたくさんの若者・・。
そして青山での仕事の途中に立ち寄ってくださった、ポパイのモデル、木村東吉・御供さん、ライターの後藤健夫さん、メンズクラブ記者の岡さん守屋さん、正木カメラマン氏、MC若手モデルの山本・柴田・今村さん達。
いっさいの宣伝をしなかった(出来なかった)にもかかわらず、VAN・SHOP開店のニュースは、これらのお客様の口コミ活動のみで、あっという間に東京中に広まってゆくのでした。
(・・トラッドショップの開店に際しては、いろいろな宣伝・告知方法がありますが、人と人による口コミが一番良いと思います。
客数増加が自然な流れであり、興味の無い方は来店しない。真の愛好家・最高水準の顧客作りから商売が始められる。多額の経費を使って宣伝広告するなどは愚の骨頂。マーケットにおいて価値ある商品ならば必ず売れるのです。“売ろうと思うな、思えば負けよ”“最小費用による最大効果”なのです・・・。)
ひと月も経たないうちに、見る見るうちに御来店者数は増え、青山町内の奥様方・お父さん、学校帰りの若者、仕事中の社会人などジャンルを問わないお客様方までがご来店くださるのでありました。
そしてさらに一ヵ月後、ポパイ、メンクラ誌を筆頭にたくさんの媒体に記事が載るようになると、(・・だから宣伝広告費など無用なのです・・)その御来店客数はひたすら上昇し、店内は全国VAN愛好家達のメッカ、エルサレムの地と化してゆくのでした。
ああ偉大なるかな、VANブランド!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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