続・青春VAN日記77
ケント社の巻 その44(1984年夏)
<石津会長のイタリア観とは?>
「 日本語には“欧米”という言葉があり、ややもすると、歴史も文化も違うヨーロッパとアメリカを一つにくくって考えてしまうところがある。
アメリカ人の多くはヨーロッパの移民だから、似たようなものだと思っているのだろうか?
ボクの経験では、まるで別物である。
アメリカ人は、いろいろなルーツを持った人種のるつぼの国でありながら、ボクには逆に非常に画一的な人種に思えるのである。
アメリカ人と付き合うと、真に単純・明快な人物が多かったし、嘘をつかないし、裏切られたという経験もない。実にフェアであった。
そこえ行くと、ヨーロッパの人達というのは、グンと複雑になる。なにか、一つのカテゴリーには入りきらないのである。
ボクには、ヨーロッパの人達というのは、どこかで嘘をつくんじゃないかという不安がある。それも人をだますというよりも、なにかカッコをつけるために嘘をつくんじゃないかって気がしてならない。
間違いかもしれないが、ボクはそう思い込んでいる。
この違いは、多分に歴史的背景によるものだろう。
フランス人はプライドの高い中華思想をもっているし、イギリス人は、なかなか心をオープンにせず取っ付きにくいきらいがあるが・・・、
ボクは、彼らの考え方は、誇りを失わず、決して自分たちをレベル・ダウンさせないというところが、古い大国民の良さであり、日本人が学ぶべきことのひとつだと考えている。
その中で、イタリアとは、ボクにとってはなんども足を運ぶことになる最も印象的なヨーロッパの国だった。
他のヨーロッパ諸国と違って、非常に人間味にあふれている。
気がいい、というか、ものに無頓着というか、無責任とでも言おうか・・、
たとえば、街で、どこかにうまいレストランはないか、とたずねると、そりゃあもう、あそこ以外は考えられない、いや絶対だ、俺が保証する、と自信たっぷりに教えてくれるのだが、ほとんどの場合、行ってみるとボクにはちっともうまくない。
でも、そのイタリア人を怒る気にもならないし、その誇大広告的表現や適当さがとても愉快に思えてしまうのだ。
不思議に気分のいい連中なのだ。
・・・そして、その要因は、イタリア人の“個人主義”だ。
日本では、個人主義というと、どうも利己主義と混同されてしまうようだが、個人主義とは、つまり、自分の意志、考え方を持ち、すべてを自分で判断し、人真似しないで行動するイズムである。
近頃、日本の若者の、一番情けないと思っていることは、若い人達の間に入って発言をうながすと、なかなかそれに応じてくれないことだ。
紙を渡せばちゃんと書けるのになぜだろう。
発言しようとしないのは、恥をかきたくない、ということなのだろうか?自分が他人と異なった意見をもっていたら困るとでも思うのだろうか?
日本人には、なんでも人と同じにしておけばいい、というような風潮がある。・・・この辺が日本の、個人主義が発達していない部分というか、子供文化というのか、ボクには理解しかねるところだ。
ボクは常々言っているように、大人とは、自分の考えで行動出来る人のことだ。ファッションとは、他人と違う格好をすることだ。
・・・今回、“アイリッシュセッタークラブ旅行”では、ボクの好きなイタリアへ行って、陽気な“個人主義や人間味”をいっしょに学ぼうではありませんか・・・! 」
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・・・かくして、銀座松屋トラベルサービス様からは早速案内状が発送されるのでした。
<第二回アイリッシュセッタークラブ海外旅行・イタリア>
メンバー・参加者は次の方々でした。
石津謙介会長、
代官山aL 近藤先生
花房孝典氏(アイビーは永遠に眠らない)、
宇田川悟氏(ヴァン・ストーリーズ)、
V社・宮川常務、Vカンパニー斎藤専務
銀座松屋紳士服 大泉課長
そして松屋様公募のメトロゴルフ 瀬谷洋介社長、
某宝石会社 社長父娘様、他4名様、
さらに、元V社員の、イタリア高級ブランドにも興味あるケンコレ 愛甲社長、イタリア自転車に心惹かれるRAMSサイクル 堀俊治社長、(あの、V社サイクル仲間のホリさんです)
そして、イタリア男より植木等・高田純次氏の適当さに憧れる私でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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