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続・青春VAN日記62

ケント社の巻 その291983年夏)

<石津謙介アイルランド漫遊記11・ロンドン>

ロンドン2日目は皆でバッキンガム宮殿の見学に出かけた。連合王国の君主、エリザベス2世の宮殿である。今日は、あの有名な近衛兵の交代を見るのだ。

トラファルガー広場から西南へ、アドミラルティーアーチを過ぎると
ザ・モールの大通りに出る。ここから約1kmにわたって、両側に幅広いプロムナードを持ち、2列の並木を植えた道が真っすぐにバッキンガム宮殿へと延びている。

宮殿の門前には、あの洋酒や菓子の広告で日本でも馴染のスタイルの近衛兵が警護に当たっていた。宮殿正面上のポールにはロイヤルスタンダードの旗が上がっていた。

今日は女王陛下は宮殿におられるらしい。午前11時。門内から重厚な軍楽隊の演奏が聞えてきた。赤い上着に黒い熊の毛皮帽を被った衛兵が、掛け声とともに小銃を操作し交代のセレモニーが始まった。実に荘厳な儀式美である。



やがて門が開き、中からは勇壮な騎馬連隊がロイヤルレジメント旗を先頭に堂々と登場した。次に続く鼓笛隊の隊列は一糸も乱れぬ見事な行進であった。さらに続く吹奏楽隊たるや、その演奏はアメリカ風パレードの軽快な行進曲とは全く異なり、英国王室の重厚さを表現する、華麗かつ繊細な、スローテンポの、あたかも雅楽のような豪奢なものであった。

男子たるもの、この格式高い勇壮な行進に心躍らない者はいないであろう。これは音楽と景観が一体となった最高のエンターテイメントであった。

まさしく世界に君臨した帝国の片鱗を彷彿とさせる見事なものだった。

(今、当時の現場録音テープを聞いても、感動が甦る。
騎馬連隊の蹄の音に始まり、またその軍楽隊の演奏の見事さ。隊長の掛け声の勇ましさ、背景の晴天に映える宮殿の美しさ。そして時たま聞える会長やメンバー達のあげる歓声・・・・・。)


午後はテムズ川沿いに国会議事堂(ビッグベン)、タワーブリッジ、ロンドン橋、ロンドン塔を観光した。数々の映画やピーターパンにも出てくる、有名なシーンが思い出される。そして懐かしいジョー・スタッフォードの“霧のロンドンブリッジ”がどこからともなく私の脳裏に聞えてくるのだった。

Jo Stafford "On London Bridge"PART ( スタートは三角マークをクリック!! )




<日本と英国における消費価値感の違い>

ロンドンにある様々な一流店、高級品店を軒並み勉強させて頂いたが、買物をしている客達を見て気がついた事があった。それは、街中で生活している一般庶民の人々と、高級一流店に買物に訪れている御客様とは、身なり風体が明らかに違っていることだった。

たとえば日本の一流百貨店には、田園調布のお金持ちから下町のおばちゃんから貧乏学生まであらゆる客層が混然一体となって入店しているが、
ハロッズやサビルローやダンヒルで買物をしている客達は、はっきりと生活や文化程度の階級の違って見える客層だった。


日本国は昔から、能力ある人間には、まったくの下層民から最上位まで出世できる機会に恵まれた階級のない珍しい国であった。

秀吉は名主百姓から絶対権力を持つ関白にまで成り上がった。
戦国時代には、大名のほとんどが、怪しげな身分の出身であった。

明治時代、どんな青年でも頭がよければ東大に入って、特権的支配層になる事ができた。大衆は誰でも出身、身分にかかわらず立身出世する事ができた。


しかし、イギリス伝統社会は違っていた。立身出世の目安とも考えられる世界屈指の名門伝統大学。オックスフォード、ケンブリッジ両大学は一流中の一流大学として東大と対比されるが、そこには日本とは根本的な違いがある。

それは、両大学では、貴族や古くからの大金持ちのようなハイソサエティの者でないと入学できないのである。もちろん最近は開放されているようだが、それにしてもイートンやハローを出て入学したものでないと幅がきかないのである。

つまり、何が何でも由緒・家系が圧倒的にものをいう社会なのだ。

イギリスで決定的にものをいうのは大学ではなく、その出自・家系なのだ。

大工は大工であり、理髪師は理髪師であり、洗濯屋は洗濯屋なのだ。生まれによって身分が決まっているのである。親の職業は継ぐのが当然。何代も続いている職業や店舗が当たり前の、これが伝統社会なのだ。

大工の息子のヒース氏が超一流オックスフォードを出て首相になったことが、例外中の例外の出世頭としてニュースになるくらいなのだ。

WASPでないアイルランド移民がハーバードを出ているにも拘らず、大統領になった大富豪のケネディさえ、例外の大ニュースになったほどの家柄伝統社会なのだ。


したがって、身分・階級意識がなごりを残す伝統社会では、家柄・階層によって利用する店舗も商品もそれぞれ異なっているのである。



これは人種差別とは別の、それ以前からの風習なのである。




ゆえに、この西欧伝統社会においては、衣服は人を現すツールなのだ。
カソリックとプロテスタント、スコットランドにアイルランド、ゲルマン系とラテン系、貴族と騎士と商人・職人・農民・庶民、ギルドやフリーメイソン、保守党、自由党、労働党、共産党・・・。

・・・様々な要素が複雑にからみあい、入り組んでいる。

誰が何を着ても許されるような“自由と博愛と平等”は、“一億総中流化”“平和ボケ”の日本人の幻想にすぎない。(注:1983年当時)

ステイタスである一流高級品の数々や、家柄を表わす家紋である民族格子柄や、貴族一党の表札である紋章や、自分が兵役で所属した連隊旗柄のネクタイや、伝統校のレター付き外衣やスクールカラーなどは、本来、その立場にない者や、無関係者は身に付けないのである。
いや付けるものではないのである。それが伝統社会の風習だ。


もちろん日本国庶民である私は、けっして身分や階級制度を肯定するものではないが、ある一面、人間の衣服がまるで履歴書のようにその人物を語っていてくれれば、実に分かりやすい社会になるだろうな。などと妄想する私だった。


・・・それにつけても、英国文化を考慮することもないままに、高級店に、あたかもバーゲン会場のように群がる日本人ツアー客を見るにつけ、悲しい情けない思いをする私でありました。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく









“VAN SITE”ZOKU-SEISHUN VAN NIKKI 62
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