続・青春VAN日記36
ケント社の巻 その3(1982年)
<青山トラ次郎・営業旅情A>
・・2010年の今。いつのまにか旅から哀愁とロマンが失われ、ただ騒々しい団体さんの移動になり下がってしまった現代の旅の風潮。
若かったあの頃、海外旅行の折には、軽々しく“悪評高き農協スタイル”を批判した私であったが、孤独な出張の旅を何年も経験した後では、考えが変った。
「・・・あれは旅の理想のカタチなのである!」
“軍旗はためく下に”ではないが、“旅行社の旗はためく下に”右に動き左に走り、旅行社の人の命令を良く守り、胸にリボンをつけろといわれれば、ちゃんとリボンをつけ、ただひたすら旗だけを目印に歩き回る。
こんなに楽ちんで気楽な事は無い。
お金を出せば、旅のリスクを旅行社にすべて受け持っていただけるのだ。自分自身で、様々な旅の困難を考えなくてもいいのである。
そして3年間の長期営業出張や数度の海外出張を経験したその後の私は、自分から、どこかに旅に出かけてみようか、などとは言い出さない“お誘い”を待つだけのお気楽“集団農耕民族”と成下ったのである。
(21世紀、私もすっかり歳を取りました)
さて1982年、若き日の日本全国トラッド普及の意気に燃えていた私は、店長から営業への配置移動に対しても意気消沈することはなかった。
目の前に予想される困難が大きいほど、挑戦してやろうと思った。
“天よ、我に七難八苦を与えたまえ”と、まだまだ発展途上人であった。ただ、ありきたりの営業マンになるつもりは毛頭なかった。
やるからには、「他人とは違う事をやりなさい。」という石津会長のお言葉がいつも頭にあった。
<私の営業術>
私は、営業出張業務を自己鍛錬の“武者修業の旅” として考えた。
かつて古の“剣豪”達は、修行の一助として武者修行の旅をした。
いつ何時、野に倒れ、生きて帰れるかどうかも分からない“命がけの勉強”、“命がけのセールスプロモーション”である。
日本全国には、名を馳せた“トラッドの名手”が数多く存在する。
各地のトラッド名手にお会いし、一手教えを請い、稽古をつけて頂く。
中には“名人”“上手”“難剣使い”“豪傑”“理論派”“偽物”といろいろあるに違いない。
果たして、諸国遍歴の中で贔屓を見つけ一流のケント営業になるか、はたまた意趣遺恨を買い、夢破れ野に果てるのか、
石津宗家青山道場“ケント流”がいったいどこまで通用するのか?
かつて西武販売員時代の私は、販売における“接客・商談”は、故郷の剣聖・新陰流開祖上泉伊勢守の“剣の立ち合い”の心得と同じだと思った。
“接客・商談”が人間対人間の駆け引きの技術ならば、その道は“剣の道”と同じではないか、と。
ならばまずは“立ち合い”に際し、相手を読む。相手との“間合い”を計り“見切り”を付ける。しかるのち、相手に応じ、融通無碍・千変万化の技を繰り出す。
そしてその技は、人間を生かし幸福に導く“活人剣”でなければならぬ・・・と。
宮本武蔵も五輪の書に“立ち合い”での妙諦を述べているが、私には難解だった。
素人の私にも分かりやすかったのは江戸幕末期の剣豪、近代剣道の父、千葉周作の教えだった。
神田お玉ケ池“玄武館”北辰一刀流・千葉周作は、“修行の旅”については次のように述べている。
「諸国修行の身には心得べきことあるなれ、形はいかにもあれ、表はいかにも実直にして心根虎狼の如くに用いざれば、叶いがたきことあり。
対談には礼を厚くし、業にいたらば礼をかえりみることなかれ。
いささかも助けざるはたらき、虎狼の野獣を責るの心を用ゆべし。
かくして言葉は平和をもって礼を厚くせば、感服して怖じ恐るるものなり」 (津本陽、千葉周作より)
相手に接する時には、偉そうな高圧的態度を取ってはならない。
いたずらに反感や恨みを買う行動は、いらぬ試合後の闇討ちを誘う。
平生は 常に謙虚な温厚実直を心掛け、礼節を守り、いざ業のうえで渡り合うときには、虎狼のように容赦ない態度をあらわせば、相手は感服する。 というのである。
かつて私のVAN同期仲間の話でも、“一芸の名手は皆、腰が低い”と述べたが、少林寺拳法の佐野君や極真館指導員の山本さんにしても名手のひかえめな言動・姿勢には理由があるのである。
“腰が低い”とは、ただ頭を下げ口先をへりくだる事ではない。
“腰が低い”ということは、文字通り、相手の攻撃に備えて体の重心を下げ瞬時に行動できる体勢を取っていることでもある。
つまりは、 “隙の無い構え”の事なのである。剣による攻撃にも言葉による攻撃に対しても、体が伸びきった体勢や、ふんぞり返った偉そうな姿勢では、とっさの臨機応変の対応行動が不可能である。
いらぬ争いは避け、いざと言う時に瞬時に対応するためには、身も心も構えを低くする事が肝要である。
よって“名手”の身のこなしは皆“腰が低い”のである。
実戦に際しては、千葉周作はたとえば次の様に述べている。
「立ち合いをする相手には、得手、不得手というものがかならずある。相手に得手を使わせれば、試合はむずかしいものとなる。
相手が上段からの面が得手とあらば、こちらのほうがいちはやく上段にとり、面を打ちこんでやるのが良い。先方の得意技をこちらから仕掛けてやれば、相手はすくみ、自由に技を出すことができない。
これを、相手の先に廻る、と申す」
(千葉周作は、“先の先、後の先”など多くの技の実例を挙げている。その数々の“嵌め手”実例は、すべて近代ディベイト術の三段論法やYES・BUT方式等に意味共通するものである。)
さらに練習法については、
「剣の上達に至るには、道が二つある。理より入るものと、技より入るもの也。いずれより入るのもよいが、理をおぼえる者は上達が早く、技より入るものはどうしても遅れる事になる。
理より入る者は、その理を種々様々に考え工夫を凝らす。技より入るものは、必死に骨を折りさんざんに打たれ突かれてのちに、ようやく剣の妙所に思い当たるゆえ、上達に至るには、理詰めの者にどうしても遅れる。
されば、理を考えて稽古し、稽古しては理を考え、必死に修行するのが上達の道といえよう」・・と修行法も教えている。
(津本陽 千葉周作より)
剣の試合も、販売や営業商談も、プレゼンも、国家首脳会談も、人間対人間の、自分の信念を懸けた“かけひき”“立ち合い”である。
剣の道も、トラッド営業の道も、一つ也。
思えば私の営業術の元は、赤胴鈴之助、吉川英治の宮本武蔵に始まって、柴田錬三郎、五味康祐、南條範夫、山岡荘八、池波正太郎、藤沢周平、
そして剣道三段・抜刀術五段の津本陽・・・。
その多くは剣豪小説より学んだものであった。
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