続・青春VAN日記76
ケント社の巻 その43(1984初夏)
5月の展示会が一段落すると、VAN・Kent営業マン達の全国長期営業出張のシーズンが開始される。
通称“ビータ”である。既契約店様のさらなる受注と新規取扱店開拓の旅である。全国同好の士との楽しい再会であり、又、地獄のロードでもある。
・・・昨年の九州方面出張の折には、珍しい出来事もありました。
たしか延岡の駅あたりでの出来事だったか。
私が駅に到着し、重い荷物を抱えてホームに下車すると、なんと!南都雄二(たびたび登場しますがミヤコ蝶々の元旦那名です)!
駅のベンチに横たわり、ウンウンと苦しんでいる旅人を発見した。見れば、私と同業の営業マン風であり、傍らには商品見本とおもわれる特大のダッフルバッグが在った。
これは、旅の営業渡世稼業のはしくれの私としては、放ってはおけない!思わず近寄って、声を掛けた。
「どうしました?大丈夫ですか?」
えっ!・・・一瞬、目が点になってしまった。
なんとその方は・・・VAN営業の石川兼孝部長、御本人だった!
この広い日本の地方駅のベンチで、まさか東京の同じVグループの先輩とまさかこんな形でバッタリ(文字通りバッタリされていた)出会うとは!
この時の出張は、どうやらV社とK社のコースが同じだったようです。
石川部長は、大荷物を抱えた度重なる出張で、持病の腰痛が悪化したのでした。しかし旧V社営業1課時代には連日の深夜残業に耐えた根性の男・石川さんは、痛み止めの薬を飲むとそのまま営業を続けるのでした。
その壮絶な姿を見た私は、延岡SAGA先輩の店までお送りしたものでした。
(その後、後輩の私も石川先輩を見習い、見事ぎっくり腰になり、麻布病院通いとなるのでした・・・。
かくのごとく長期営業出張とは過酷にして・命がけの業務でありました・・・。)
さて、この頃、我らが石津会長におかれましては、昨年、初めての“自叙伝”ともいえる「石津謙介オールカタログ」を講談社より出版され(花房孝典氏の御協力)、その披露も兼ねての各地での講演も増え、また私の出張の機会も増えるのでした。
そんなこんなで、日本中に出張に出かける私には、一昨年の九州営業一周コースのごとく、日本中のKent取扱店のオーナー様や名物店長様との、たくさんの交流話や酒飲み話の思い出が出来たのですが、
・・・全店舗様とのよもやま話を書き始めると、それこそキリが無くなってしまうので、またいつか機会をみてのことに・・・。
それにしてもメンズショップの皆様との交流は本当に勉強になりました。
心に残る素晴らしい方がたくさんいらっしゃいました。中でも、人生の先輩である八鳥さん・森藤さん・花田さん方の接客姿勢は、まさしくメンズショップ道の“生きた鏡”ともいうべきものでした。
親切な銀蝶・樫村さんや鳩家の西岡さんの笑顔の応対術も素晴らしかった。
面倒見の良い兄貴の様な垂水NACの清水さん・アイビー博士の白神さん。
徳島の紳士・三田出身のJIRO竹田さんとのおでん屋での一夜、広島お好み焼き横町でのコーネル山口さん、そして営業マンの健康まで心遣いされる鈴鹿MONの小林さん、(MON様商談中に激しい歯痛に襲われた私は、小林様に病院まで送って頂いた)
豪快な商談の、神戸BONNY田中さん、渡辺貞夫さんそっくりの津山の金本さん・・・。
シビアな商談の岐阜HATOYA菱田さん、NAGASEさん、熱烈VANフリークの甲府356BROS五味さん、古川ミズノさん、お人柄最高の前橋エンゼル小暮さん御家族(最高のお母様)、自社ビル内においしいレストランまである宇都宮やまとの栃村さん、平塚浦川屋・宮代さん宅でのV社同期仲間達の七夕見物・・・、
・・・嗚呼!心あるメンズショップの皆みな様方に幸あれ!
さて出張中の私は、出先から本社に毎日の電話連絡を取り、売上報告や連絡事項の確認を取るのが常でしたが、ある日、専務からの連絡が入った。
「・・・今年のアイリッシュセッタークラブの海外旅行先が決定した。 今回は、会長御希望により、会長自ら名誉市民であるシエナ市を中心としたイタリア旅行とのことだ。ついては、8月、会長に同行してくれ・・・。」
・・・ちょっと待って下さい、喜んでお受けしますが、前回、社内には“なぜ、あいつばかりが”という声も聞こえました。他社員ではダメなのでしょうか・・・?
「これは、会長の御意向である。よろしくたのむ。」
(・・・石津会長・安心立命の私には、無論異議は無かったが、しかしながら社内の和もいささか気にはなっていた・・・。)
だが、社命とあらば是非もない。私は了承した。
1985年、“Kent”社倉庫にて |
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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