続・青春VAN日記88
ケント社の巻 その55(1984年秋)
夏も終わりを告げる頃、銀座松屋様特設会場において、アイリッシュセッタークラブの集いが開かれた。
クラブ員の海外旅行報告と会員達の親睦を兼ねるものだった。
集まったミスタートゥデイ売場顧客の会員皆様達は、石津会長のお土産話を頂いた。
「・・・さて、今回は、イタリアを旅行して来たばかりなので、今日は、海外旅行の話でもしてみましょうか。
今回の旅行は、イタリアに個人主義・個性を勉強しに行ってきました。
今までに何度も足を運んだイタリアですが、今回は、全く仕事を離れて会員の皆さん達と、ローマ観光やシエナのパリオ祭を楽しんできました。
そしてあのモードの街・ミラノでは、大勢の若者達がボタンダウンシャツを着ているのを見ました。
かつて私達が選択したアイビーが、今やアメリカと日本だけのファッションにとどまらず、個人主義のイタリアにさえも定着しており、今や世界的な風俗になっているのを見て、実におもしろいなあと思いました・・・。
ところで、海外旅行も今ではずいぶん簡単に行けるようになりましたが、自由化の流れの現在とは違い、かつての海外旅行は大変なことでした。
煩雑な諸手続きや準備があり、それこそ“水盃“を交わして覚悟を決め、壮行会まで開いて命懸けで出掛ける、何とも一大決心の物でした。
それでも、もともと楽天的で何事にも興味を持つ性格だったボクは、機会に恵まれて、世界中に出掛ける事が出来ました。
思えば、海外で見た事、体験した事が、たくさんのヒントに気付かせてくれて、その後のボクの人生に大きな影響を与えたのです。
また見知らぬ土地を旅することは、自己の確認作業でもあるのです。・・・ボクは、人様よりも多少のエピキュリアンであったかもしれない。
(※EPICUREAN=古代ギリシャの哲学者エピクロスは快楽を人生の最高善と説いた。現代では、道楽者、享楽主義者、美食家、好みのやかましい人の事を言う。)
ボクにとっては、“衣食住”が最高の道楽であり一種の生きがいなのだが、旅行によって得られた各地での豊かな生活知識や情報というものは、自分なりの“人生”というフルコース料理をより美味しく頂くための最高のスパイスだった。
・・・つまり、旅行での経験の中には、普段の日常生活や仕事に使えるちょっとした事で喜びや幸福感の味わいが増すヒントがたくさんある。
もうちょっと、こうすれば、世の中もっと楽しくなるぞってことがたくさんあるのです・・・。それが、ライフスタイルの研究、衣食住の知恵というもので、ボクは、今までに体験した海外一流国の習慣や知恵というものを、服飾を通して少しでも多くみんなに伝えたかった訳です。
旅行とは、人生をより豊かなものにしてくれるものです。
ボクが今までに海外旅行経験でつかんだ“旅行を最大限に楽しんでしまうコツ”を教えましょう。
ボクなりの石津流の旅行術をお話してみましょう。
ボクはいつも旅行には無計画に出掛ける。下調べはしない。
計画どおりの旅とは、ストーリーの判った映画を見るようなものだ。先入観を持たないで、自分だけの素晴らしい景色や人間を発見した方がその感動が大きく、喜びもまた大きいものだ。
無計画、勝手気ままに遊ぶのがボクの理想の旅のパターンだ。
去年も、アイルランドに行った折、休養のつもりでしばらくロンドンにいると、今ケルンで、これこれのエキシビジョンをやっているとの事で、ちょっと面白そうだからと気軽に飛んで行ってしまったが、ロンドンのエージェントで、ホテルを取ってもらおうと思ったら、そのエキシビジョン期間中はどこも満杯、とれませんとの返事。
ま、行ってみればなんとかなるさってことで、気楽に出掛けてしまったが、行けば行ったでなんとかなるもの、安い市内の民宿ホテルであっても、気の置けない連中がいっしょで、実に楽しかった。
おかげで充分にケルンを楽しみ、エキシビジョンも見る事ができた。
ただし、エキシビジョンはてんでつまらなかったけどね。
・・・ボクの旅の楽しさとはサプライズである。
ボクは、独りでぶらっと旅に出る、ということはあまりやらない。やっぱり、気のあった連中とワイワイやりながら出かけるのが好きだ。その方が、楽しさが倍増するからだ。
せっかくの旅行はどうしたら一番楽しめるかと、ボクはいつも考えているからだ。
ボクは、お土産は買わない。
人間は、自分が欲しいから、気に入ったから、という理由でのみ、買い物をするべきだ。人に言われて買い物をするようじゃ、これはショッパー失格である。自分の旅行なのに、他人のための重い荷物を運ばせられる事などマッピラである。
お土産とは、自分の旅の記念物。人にあげる性質のものじゃない。
ボクは、免税店や高級ブランド店には行かない。
ボクは買い物が大好きだが、スーパーマーケットがいい。
高級品だとか有名品を身に纏って虎の威を借るスノッブではない。
なぜ、ローマでスコッチを買うのか、ハワイでナポレオンなのか、香港でグッチなのか、・・・ボクには理解ができない。
ボクは、有名観光スポットには出掛けない。
もう、絵ハガキコースや他人の価値観のツアーには乗りたくない。他人の考えたスケジュールで動くのはマッピラだ。
世界中で自分だけが知るスポット、思い出を作る事に旅の意義がある。
旅の楽しさとは、“人”と会うこと、泊まること、そして食べること。
海外の“モノ”にこだわる物質欲や所有欲よりも、見知らぬ土地で味わう景色、人間、ホテル、食事が楽しみだ。
だいたいボクは外国に行っても、言葉の心配などした事が無い。言葉なんか、どうにでもなるという実に気楽な性格の持ち主なのだ。
だからどこの国の人とでも、初対面でも、平気でどんどん話をする。
どうせ向こうも日本語は出来ないのだから、引け目などはない。もちろんボクは正式に外国語の勉強などしたこともない。
英語は中学校の時、必修科目で習っただけで、あとはすべて独学である。
中国語、ロシア語は天津の仕事と暮らしで覚えた。
イタリア・スペイン・フランス語は、旅行している内に、片言でも喋るようになってしまった・・・。
言葉というのは、人間同志理解しあうための重要なエレメントだから、出来ないよりは出来た方がいいけど、お金を使って習うぐらいだったら、そのお金で直接、外国に行ってしまった方が早い。
1~2か月も生活して、必要にせまられれば、買い物や意志の伝達は自然に出来るようになるものだ。お互いが意志を伝達しようと夢中になるのは実に楽しいものである。
恥ずかしいなどと言ってたら、何事も上達はしない。
要するに、言葉ってのは、なんとかなってしまうものなのである。
(・・・6年間習っても会話出来ない私の英語学習はなんだったのだろう?)
1番早く会話できる方法は・外国女性のガールフレンドを作る事だ。口説こうと思って必死になったら、すぐに上達するものだ・・・。
第二の楽しさは、ホテルだ。
海外には、泊まる楽しみのあるホテルが多い。それは豪華さや規模の大きさのことではない。
小さかったり、決して特にきれいという訳ではなくても、お客をよろこばせる面白いスタッフや独自のサービス施設といったサービス精神があるホテルは実に楽しい。
外観がいい、ロビーがいい、お愛想のうまいマネージャーがいい、部屋に来るメイドの接客がいい・・・。
結局・サービスとは人間の質なのだが、おまけに食事が美味いとくれば、もう一日中、外へ出るという気がしなくなるのだ。
たとえば、ローマのヴィア・ヴェネトにある“エデン”というホテルやニューヨークの“アルゴンクィン・ホテル”、等がボクの好みだが・・・。
結局は、モノよりも人間が面白い。
みなさん、一度の人生を十分に楽しんでいますか。
来年はボクといっしょに旅行してみませんか・・・。」 |
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Algonquin Hotel photo by Google streetview |
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Hotel Eden photo by Website Hotel guide |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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