続・青春VAN日記26
ヴァンカンパニーの巻 その10(1981年6月)
<栃木出張旅行の巻>
6月23日の栃木市民会館は、ちょっとした見ものだった。集まった人間のほとんどがスーツ・ブレザーに身をかため、しかもそのブレザーが三つボタンの上二つ掛けとくる。
そのうえクルーカットのやたらと目立つ事。
もう栃木のアイビー青少年が全員集合した感じなのだ・・・。
(ホットドッグプレス・記事より)
6月に入ったある日、石津会長からお電話をいただいた。
「横田くん、ちょっと手伝ってくれないか?
今度、栃木のアイビークラブから講演の依頼があってねえ、君は司会も出来るから、いっしょに行ってくれたまえ。」
・・・やったー!会長から御指名をいただいた!
物心ついてから憧れ続けた会長の、講演出張に初めて同行出来るのだ。
再建後、ようやく元気を取り戻された会長の“お供”が許されたのだ。
私は雲に乗ったような気持で、待ち合わせの東武浅草駅で会長をお待ちした。気分はまるで“水戸黄門”の“助さん格さん”!最高の喜びであった。
石津会長は、最近すっかりと元気になられ、かねてからの御希望だった全国のアイビー・ファンとの交歓を始める事になったのだ。栃木はその第一回であった。
このパーティを主催したのは、栃木市にあるトラッドショップ「ブレイズ」のオーナー神島国彦さん。神島さんは店名と同じ名のアイビークラブを作ったくらいで、根っからのアイビーファンだった。そしてとうとう尊敬する石津会長を栃木まで呼んでしまったのだ。
神島さんは、自ら駅まで出迎えてくれて、本当に良くしてくれた。
開始までの時間は、江戸の風情を残す栃木市街の中にある市内一のうなぎ料亭で終始会長の接待につくしてくれた。
さてパーティは、石津先生によるファッション講座、アドバイス、市内床屋さん「センス」の池田氏によるアイビーカットの実演、ロックンロール・ショー、ファッションコンテスト・・・と、アイビー一色に染まり、熱気ムンムンであった。
お客様達をモデルにしたファッションアドバイスでは、トレーナーやブレザーの着こなし方、マドラスチェックについての話など、アイビー大好き人間が目を輝かす内容の話が連続し、集まった人達は大感激であった。
振り返ればみゆき族の時代には、アイビーは不良の着る服と言われて、石津社長は警視庁にまで呼び出しを受けたものだった。
そして社長は日本全国各地に、アイビー説明・VAN普及の旅を続けていたものだった。
それが1981年’今やアイビーは全国P・T・A推薦の服となり、全国の公立学校までが制服にブレザーを採用する時代になった。
・・・石津謙介とVANが日本を変えたのだ。・・・
その石津会長がこうして元気になられ、日本中のアイビーファンのためまた全国行脚を開始された。
・・・みんなが待ち焦がれていてくれた。・・・喜んでくれた。
「石津会長、頑張れー!」
「会長!私は日本中どこまでも、お供いたします・・・!」
以下は1981年“HOT DOG PRESS”7月10日号より
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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