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続・青春VAN日記68

ケント社の巻 その351983年秋)

<全日本ウインドサーフィン選手権②>

珊瑚礁のあまりにも美しい海の水平線に真っ赤な夕日が沈む頃、
名護湾の白い砂浜を見下ろす防風林に囲まれた緑の芝生の会場には、特設ステージを前にして、全国各フリートからの選手500名が集合していた。

・・・オープニング・パーティの開始である。


「よし!スタート!」
新庄君のキューで私はステージへと元気良く飛び出した。

皆さん、元気ですかー!

VANエンブレム付きブレザーにチビボータイのアイビー司会の登場である。・・・すると、いきなり客席から選手たちに声を掛けられた。



「あ~、VANの店長だ!俺、ポパイで見た事があるぞ!」
・・・しめた! “つかみはOK!! よ~し盛上げるぞ!

会場には、湘南葉山の石渡選手や松永みどり選手達の顔もあった。
前大会での私の司会を覚えている選手もいるようだった!

こうなれば、横田節の全開だ!新庄君にも笑顔が全開となった。

ウインドサーフィン選手には、サーファーとは違いトラッド好きが多いのは、驚きであり喜びだった。おかげで選手達とすっかり打ち解ける事ができた。


さて、沖縄の10月は真夏である。夏空の炎天下、いよいよ競技が開始された。

ウインドサーフィンでは、次のような競技種目が行なわれる。

スラロームレース
選手が1対1で行なわれる。海上に浮かぶ6個のブイの間を出来るだけ短時間で素早く正確にスラロームし、優劣を競う。


ロングディスタンスレース
浜に艇を並べ、号砲1発、ル・マン方式でスタートする。
200艇以上が一斉にスタートする様は圧巻の一語につきる。全長2030kmのコースの順位を争う。

フリースタイル
自由な発想とバランスの極地を追求する。海上のサーカスだ。ジャイブ・スピンタック・ジャンプなどの秘技は感動をさそう。

オリンピックトライアングルレース

ウインドサーフィン競技種目の中の1番のメイン競技である。海上に、一辺約1kmの三角コースを設置し、スピードを競い、順位を決める。唯一、体重別クラス制を採用のヨット風レースである。



出場待ち調整中の選手や、双眼鏡をかまえる観客の溢れるビーチでは、新庄君と私のBGM放送が行なわれた。

選手達が、海上沖合いに向けスタートする前の午前のビーチでは、軽快な、ビーチボーイズ・カラパナ・カシオペア等の楽曲を・・・、
競技後のゆったりとした時の流れる美しい黄昏のビーチには、美しいストリングス音楽を・・・。


「♪・・・先ほどまでの、ビーチのにぎわいは跡形も無く去り、午後の浜辺には、ただ打ち寄せる波の音のみが聞えてまいります。北緯26°、東経128°の彼方。亜熱帯の島 沖縄の地には、ただヤンバルの風が優しく吹き抜けるばかりです・・・。
・・・ジェット・ストリーム。この午後のひと時、どうぞ役員・関係者の皆様におかれましては、美しい音楽のひと時でおくつろぎ下さい・・・。」
城 達也・・か!!! ???

(日本航空が冠スポンサーの選手権大会でありました)

あっ・・・なるほど・・・

 copyright “Jetstream”


黄昏の浜辺には、潮風とパーシーフェイス、フランクチャックスフィールド、マントヴァーニーなどの名曲が流れるのでした。

当初の業務予定には無かったこの木陰の下でのアドリブ公開DJ放送は、運営に一息を付ける役員の皆様には好評でありました(・・・と思う)。



さて、ちょっとした空き時間が出来た時には、私も、ウインドサーフィンに初挑戦してみるのでした。

マガジンハウスの内坂君(VAN同期)のボードを貸していただき、
新庄コーチの丁寧な助言“乗っちまえばなんとかなるよ!”にも拘らず、ひぇ~なんたる難しさ!セールを立てる事さえうまくいかない。

いったい何回“沈”したことだろう。

それでも1時間後には、なんとか立つ事だけはできた私でありましたが、しかしながら、今度は思う方向に進めない。ただ風に流されるだけ。

かくして、一人前の“漂流者”が出来上がるのでありました。



また、夜に空き時間が取れると、名護市内に食事に出かけました。

夜の国道58号線を5kmほど北上すると、北部最大の街・名護市です。

まるでユーミンの歌の様に、58号線は夜空に続く滑走路・・・。

右に見えるビール工場は大会スポンサーのオリオンビール。

『※・・・本土のラガービールと比べると、苦味が少なく大変うまい。ビールというものは、世界各地に名品があるが、それぞれの地の気候風土環境の中では、その地のビールを飲むのが一番うまい!
ニューヨークではミラーやクアーやミクロ、
ウエストコーストやハワイではバドワイザーやプリモ、ドイツではハイネケン、中国ではチンタオ、北海道ではサッポロ、沖縄の潮風の中では絶対オリオンビールである。
(ルートビアはA&W、アイスはブルーシール)あまりのうまさに東京にも取り寄せて飲んだが、排気ガスとコンクリートの中では、沖縄で飲んだ感動は味わえなかった・・・。』


そして“ひんぷんガジュマル”の先にある“レストラン飛鳥とオキマート” は、僕らのオアシスだった。
ソーキそばやチャンプルーはおいしかった
が、前田ヒージャー(ヤギ)料理店は、もうけっこうでした。




・・・・・・・・・・・・・・・・つづく








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