続・青春VAN日記8
破産財団の巻 その8(1979年初夏)
<VAN外編・ヴィーナスの話@>
予想を越える人気となった店に、ある日、一人の音楽プロデューサーがご来店されました。
DIAMONDHEADSと名乗る大門俊輔という方でした。
「 私は、学生時代からVANのファンです。私の話を聞いてもらいたい。」
アイビーや音楽談議に花が咲くと、とある計画を話されるのでした。
「・・・実はVANブランドの力を見込んでの話なんですが、
・・・私は、ある新しいポップス・グループの世話をしております。今までこのバンドはBOURBONレコードからニューミュージック系のLPを売り出しておりましたが、どーも今ひとつパッとしません。ここいらでバンドイメージをはっきり確立させて売り出したいのです。今時代の流れはアメリカン・オールデイズだと思います。そこでひとつVANさんを見込んで相談に乗って欲しいのですが、バンドのビジュアルやファッション面で御協力いただけないでしょうか?
音作りの方は、湯川れい子さんやブルーコメッツの井上大輔さんにお願いをしようと思っています。
横田さんコーディネイターとして協力してくれませんか・・・!?」
ヴァンヂャケットには音楽シーンと共に仕事をしてきた歴史がある。
ファッションと音楽とは切り離せないという世界を創り上げてきた。
かつてのブラザースフォー、ブロードサイドフォー、マイク真木さん、渡辺貞夫さん、ミッキーカーチスさん、布施明さん、ワイルドワンズさん、矢沢永吉さん・・・達。
・・・私も一度やって見たかった仕事だ。
これはアメリカン・ファッションのキャンペーン活動になる。なによりもVAN健在の宣伝になる。それに、ヒットすれば、再建に向けての大きな力になるだろう。
・・破産している我々には、もう失敗しても失う物などは無いのだ。・・
「一緒にやりましょう!」
私とて中学生の頃は“ザ・ヒットパレード”を欠かさずに見て、
♪〜ユエンナキバラ、ハーンドッグとか
♪〜こきょうをはなれてはるばるGIさ〜♪
などと歌っていたこともあるのだ。おまけに渡辺プロが幡ヶ谷の飛行館ビルにあった頃に大好きなザ・ピーナッツの後援会に入っていたこともあるのだ。
まずはバンドのサウンドや、メンバーの人柄、体格サイズを知らねばならない。と、すっかりその気になってしまった私は、さっそく都内某スタジオで練習中のバンドを訪問するのでありました。
・・・ウマイ!めちゃくちゃ上手い!さすがプロ!学生バンドとはレべルの違う上手さであった。
バンドの名前は“VENUS(ヴィーナス)”と言った。
この当時のポピュラー音楽業界のVENUSのコピーは次のようであった。
「女性二人、男性4人の洗練されたハーモニーが心地良く聞く者に響いてくる。80年代の日本ポップスシーンをリードするグループである。自ら作詞・作曲して曲作りを行なう彼らは、ぽっと出のシンデレラ・グループではなく、キャリアは長い。現在、日本においてはVENUSのようなスタイルのグループは唯一のもので、貴重なグループの一つだ。今、ヴィーナスの時代が始るだろう!」
そして<メンバー>は次の人達であった。
MI-CHAN (永井光男)ドラムス・リーダー(元・ブルージーンズ)
MACHAAKI(下平正明)キーボード・ボーカル・作曲
JOHNNY (中西隆士)ベース・ボーカル
KAZUMI (竹屋一水)ギター・ボーカル
SACHI (石川幸子、のちコ二―、)ボーカル(元・スクールメイツ
AKEMI (阿部明美)ボーカル
さて突然のこのお話、いかが相成ります事でしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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