続・青春VAN日記1
破産財団の巻 その1(1978年 11月)
企業とはなんと儚いものであろうか
今まで30年間に渡り、多くの若者に夢を与え続けてきた憧れの会社
“ヴァン・ヂャケット”は、なすすべも無く破産してしまった。
6年前、私達新入社員が栄光の“ヴァン・ヂャケット”の喜びの入社式を迎えた日に、一体誰が今日のこの日を予想しただろうか。
当時最高倍率の難関を越えてようやく掴んだ憧れのVAN社員の肩書きも虚しいものになってしまった。
今はただ、生活の保障も無い、木枯らし吹く青山路頭に迷い漂う、
わずか80人の破産財団ヴァンヂャケット残務処理作業員の一員である。
それでも、まがりなりにもVANの名の付いた団体に所属していられることだけが、私のささやかな慰めだった。
VANの破産事件はマスコミ業界にとっては格好のニュースとなった。
当代一の人気企業でありトップ企業の、
業界戦後最大規模の破産である。
なぜ?なんで? 社会の注目度は圧倒的に高かった。
あらゆる新聞・雑誌・テレビ等においてトップニュースとして報道され、その後も長期にわたって無数の特集記事・番組が組まれることになった。
石津社長やVANをモデルにした数多くのドキュメント風小説も発売された。
中には、話の結末で主人公(誰が読んでも石津社長そっくり)が、
青山本社屋上(どう見てもVAN本館)から飛び降り自殺して終わる、
というような悪質な内容のものまであった。
活字の中には、石津社長やV社経営陣に対する誹謗中傷的文章も目立った。
しかし、今までのVANの航跡・業績をかんがみ、その多くは好意的なものであったし、社会全体の反応としてはVANと石津先生を暖かく扱うものが多かった。
それらを代表するものは、メンズクラブ・平凡パンチ・ポパイ・ホットドッグを筆頭とする、かつて石津先生の教えで育った元アイビー少年・現トラッドOB達が活躍する媒体であった。
いわばVAN世代の先輩達であった。
そしてこれらの特集や記事を目にした、日本中のVAN世代の男達は悲しみの中から立ち上がり、動き出すのだった。
日本中の石津学校の元・生徒達は、
映画界・音楽界・広告業界・放送業界・芸能界・小売業界・教育界・医学界・・・と、至るところから出現し始め、
VANを思うその熱意は、やがて“聖地・青山”に結集を開始することになっていくのである。
まずはこれらの方々の好意的な特集記事によって、私達・残務処理社員や関係者諸氏、全国各地のトラッド・ファン達は、どれほど励まされた事だろう!
中でも、VAN愛好家の馬場啓一氏の書かれた「VANグラフティ」の一文は、すべてのVAN世代の気持ちを代弁していた。
「 VANのような会社は今後二度と現れないだろう。
そして、ああいう時代ももう二度とくるまい。
内部にいた人間ならともかく、
外部にいて客としてお金を払っていながら、
倒産した後も、まだそれを一冊の本にしたくなるほど
愛着のある会社が、
いま一体、ほかにあるだろうか・・・・・・・・! 」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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