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続・青春VAN日記113

ケント社の巻 その80(1985年夏)

<アイリッシュセッタークラブ・アメリカ横断旅行⑭>

憧れのハワイ航路

「ヨコタ君、人生や旅行の楽しさとはサプライズだよ!」(会長お言葉)

・・と、アイリッシュセッタークラブ一行の皆様がサンフランシスコの次に向かうのは、 “憧れのハワイ航路”でありました。

♪は―れた空~そーよぐ風~・港出船のど~らの音高く~・・・。

「ハワイまで、あと2時間で到着か・・・!」

機内サービスのカルフォルニア・ワインを飲み過ぎた私は、ほろ酔い加減の心地良さに、ついウトウトと寝てしまうのでありました。
すると、なんと、いつものパターンの如く・・・、またまた、夢を見始めてしまう私なのでありました。


(※夢話の前に・・・、私は戦後の平和教育で育った反戦・平和主義者であり、子供が飛行機に憧れるのと同様に、単なる零戦や大和の愛好家でもあり、おかしな他意は無い事を御理解下さいませ。)


<ハワイへ向かう機内で見た夢>

昭和161126

択捉島・単冠湾を出港した海軍機動部隊は、一路ハワイを目指し「第一警戒航行序列」を組み、南下を続けていた。


機動部隊が東京第一放送の電波で開戦命令を受け取ったのは、122日の夜8時であった。

「新高山登レ、一二〇八」
それから五日間、艦隊は荒波の太平洋を一隻の船にも出会う事無く、総員戦闘配置のまま、二十四ノットの速度を維持してハワイまであと六百マイルの地点まで到達したのであった・・・。

昭和16128

・・・私は、第一航空艦隊旗艦・空母赤城の制空隊員の小隊長、横田少尉であった。司令官は南雲忠一海軍中将である。

私の愛機は、皇紀2600年(昭和15年)に制式採用された最新鋭戦闘機の「三菱零式艦上戦闘機A6M2b」である。栄一二型発動機(940hp)を搭載した明灰白色の塗装も美しい機体は、530Kmの最高速度、3,350Kmの航続距離、20mm機関砲搭載・・・、世界一の格闘性能を誇る三菱・堀越二郎技師設計の傑作機である。



現地時間午前三時三十分、第六警戒航行序列を組んだ南雲機動部隊は暗闇の中を、風上に向けていっせいに回頭し、発艦速力とした。

やがて夜空がしらじらと明るんできた。東北東からかなり強い風が吹きつけて、上空では鉛色をした積乱雲が風に吹き流されていく。

搭乗員待機室では、南雲長官からの激励の艦内放送が始まった。

「皇国の興廃この一戦に在り、各員一層奮励努力せよ!」

杯を交わし、飛行長・増田正吾中佐よりの訓示を聞いた一同は、「搭乗員整列!」の号令に、待機室から飛び出し飛行甲板に整列する。

艦は冬季太平洋の荒波にかなり揺れているが、これほどのことならばわが海軍飛行隊の発艦には支障は無い。

「横田、俺のぶんまで頑張ってくれよ!」
声を掛けたのは、上空警戒隊に配置され、攻撃隊からは外された
高須啓冶中尉。南西方面艦隊司令官・高須四朗中将の御親族である。

「わかった。そのかわり俺が帰って来なかったら、遺書のことは頼むぜ!」

後甲板では、エレベーターで上げられた九七艦攻・九九艦爆・そして零式艦戦がびっしり並び、整備員の手で最後の点検が行われている。飛行甲板では艦爆、艦攻、艦戦の隊別に搭乗員が整列し、もう一度、増田飛行長の簡単な訓示を聞いた。

きっと、他の五隻の空母の飛行甲板でも同じような光景が展開されているにちがいない。

「発艦準備!」
その声で、搭乗員はいっせいに乗機にむかって駆け出した。

自分の愛機である零戦に乗り込もうとすると、整備員がハチマキを差し出した。

「これをつけてってください」

「ありがとう」


横田少尉はそれを受け取ると、飛行帽の上にまきつけた。パラシュートは背に負っていない。どの搭乗員もそうだった。

コックピットにもぐりこむと、エンジンを始動させた。キーンという音とともに機体は振動し始め、プロペラが回転しだした。間もなく“赤城”の艦上は耳を聾するような“ゴウゴウ”としたエンジン音の波に包まれた。


うねりが高く、艦は前後左右に大きく傾いている。
このため、なかなか発艦の機会がつかめずに、合図が出ない。
予定より20分遅れて最初の零戦が発艦した。

発艦は飛びやすい順に、艦戦、艦爆、艦攻の順番になっている。
横田は五番目に発艦位置についた。乗員や整備員が、艦橋やその下で手や帽子をちぎれんばかりにふっている。「たのんだぞー!」マストにはZ旗と戦闘旗が強風にはためいている。

・・・「搭乗艦の名が、我が故郷の山の名と同じであったのも、何かの縁かもしれん。これが生涯の見おさめかもしれんな。」
そう思うと胸が熱くなった。

整備員が車輪止めを外した。横田少尉は前方の発進係に眼をやった。艦の動揺のなくなった瞬間を見計らい、発進係は合図の小旗をふった。同時に、横田は愛機を滑走させた。

我が機動部隊の六隻の空母から発艦した各機は上空を一周すると、所定の編隊を形成しオアフ島をめざして南下した。

第一次攻撃隊は水平爆撃隊と雷撃隊からなる第一集団・計89機、と急降下爆撃隊からなる第二集団・計51機、そして制空隊からなる第三集団・零戦43機の合計183機である。

第一次攻撃隊の総指揮官は九七艦攻に搭乗の“赤城”飛行隊長の淵田美津雄中佐である。

未だ夜も明け切らぬ未明の時間、遠くオアフ島最北端の岬がうっすらと見え出す頃、上空を覆っていた雲の隙間からは幾筋もの朝日の光線が差し込んだ。

淵田隊長はその美しさに絶句した。
「・・・“グロリアス・ドーン”だ!(日本の壮麗なる夜明けだ!)・・我が海軍旗(旭日日章旗)と同じや・・・!」

横田少尉も感激した。
「これは、ギブソンギターの“サンバースト”と同じだ!」

やがて朝日に映えるオアフ島の海岸線が視界に入って来た。茶と緑の色で覆われた島はまだ完全に眠りから覚めていないようだった。

午前七時四十九分、真珠湾上空に達した淵田中佐は風防を開け、奇襲のための編隊隊形をとるように合図の信号拳銃弾を放ち、攻撃隊全機に対し、「全軍突撃」の「ト連送」を下命した。

「トラ・トラ・トラや!」



「通信員、“赤城”に打電せよ!」「ワレ奇襲二成功セリ!」




・・・・・「横田さん、そろそろ真珠湾が見えてきましたよ!」

カデカルさんの声に、ジャンボ機の座席ですっかり熟睡していた私は、ハッと起こされるのだった。

「おお!あれこそが真珠湾の米国太平洋艦隊だ!つっこめー!」

                               (参考・トラトラトラより)
                               
                                    つづく    







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