続・青春VAN日記12
破産財団の巻 その12(1979年夏)
<PX店のオープン>
破産下に開店し、旧在庫商品販売にもかかわらず好売上を記録し続ける青山PICK-UP店は業界の注目を一気に集めることとなった。
都内の百貨店・小売店様からはたくさんの調査部隊がやって来た。
(・・あの倒産時には、こちらの願いにもかかわらず“山のような返品”をした大規模小売店様までもがである。・・・嗚呼!・・・)
“VAN商品は売れるぞ!”PICK-UP店がこのことを証明したことにより、倒産時にVAN在庫をジッと保持して下さった全国の心ある小売店に対しても、値崩れや混乱等を防ぐ事が出来た。なおかつ新たなニーズを作ることが出来た。
ヴァン破産財団には、破産時の100億円の旧在庫商品がある。と情報を聞きつけた多くの倒産品買取り業者(バッタ屋)も集まってきた。
かくして小売業界の中でもVAN商品を再要望する声が高まっていった。
だが、私達は“ただ単に在庫商品の換金化が出来れば良い”という様には考えていなかった。
再建を目指す以上、製造および小売販売業として復活を目指す以上は、“宝”であるVANブランドのイメージダウンは避けなければならない。そして残務社員達の雇用を作り出さねばならない。
他業者の在庫処理手段を用いれば、量は処分出来ても、二束三文である。そしてブランドイメージは完全に破壊されるだろう。
それにもまして、他社への利益を生み出す為の納品作業、手間取る集金、悪夢の返品作業、などはまっぴら御免である。
かけがえの無いVAN商品は、私達VAN社員自身の手でにおいを残して売れば、イメージを保ちつつより良い値段で現金化することが出来るし、現場業務を知らない残務社員達の経験も積めるのだ。
・・・しかしながら、いかに好調PICK-UP店といえども単独1店舗では、その売上消化能力は年間2億円程度のものである。
そして、旧在庫中の低ランク・B級商品群を処分することが出来ない・。
“そうだ!青山に、もう1店舗、店を作ろうではないか!”
PICK-UP店では売れないB級商品やトラッド以外のその他商品群を、よりディスカウント価格で販売する常設ファミリーセール店を出そう!
この案については、さすがにPICK-UP店の成功を目の当たりにした残務社員・組合員達の中に、反対する者は一人もいなかった。
かくして、1979年7月、VAN356別館向かいの青山センタービル地下に、約200坪のディスカウント“PX店” が例によって静かに開店した。この開店によって、財団はさらに多人数分の雇用と経験の場を作ることが出来たのである。
宣伝しない“PⅩ店”の開店情報は、親愛なる雑誌各社の手によって、あっという間に日本中の若者達に知れ渡ることになった。時はちょうど夏休みのシーズン真っ盛りであった。
青山通りを挟んでのVAN2店舗展開は、大きな集客現象を引き起こした。町内は、メンクラ・ポパイ・ホットドッグ誌を片手にした日本中からの大勢の若者達で溢れかえり、その売上数字は驚異的なものとなった。
業界は動顚した。破産企業の売上が、業界のトップクラスの売上になったのである。(VAN社356跡地での東京出店を目前にしたブルックスブラザース社もこの青山エリアの集客状況をきっと喜んでくれたに違いない。)
青山通りは“VAN TOWN AOYAMA”の再現となった。青山はまさに日本のアイビー・トラッドの“聖地”となった。
全国アイビーファン達の“青山巡礼”のビッグウェーブは“VAN再建への偉大なる第二歩であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
|