続・青春VAN日記93
ケント社の巻 その60(1984年秋)
<私の営業・PART2>
さて、展示会が終了すると、秋の長期出張シーズンが始まる。
私の営業目標は、従来店の充実とさらなる新規取引店の開拓である。が、1トラッド好き社員の私には特に確固たる営業理論や方針があった訳では無かった。ただトラッド普及の熱意で動いていた。
私の目指すのは、生活の原風景に溶け込む生業(なりわい)の姿。
各地・各家庭を訪れて減っている薬を補充して廻る“富山の薬売り”や全国を旅して人情の世界を生きる“売人・車寅次郎”のような、紙風船を持って旅する、営業の原点の姿・薬売り(金売り)吉次。
再び登場 |
日本トラッド営業マンであった・・・。
・・・かつての学生時代に経験した経済学や経営学の講義とは、聞き慣れない学術用語や専門用語、知らない学者名の羅列で、その難しくも長い授業は、眠気を催すには最適のものだった。
アダム・スミスの国富論、マルクス・エンゲルスの剰余価値説やワルラス、メンガ―、ケネー、マルサス・・・・・(ウ~眠い。)
近代経斉学のケインズ、サミュエルソン、そしてヴェーバーのダイナミックス理論などという書物は、目次と序文を生噛りしただけで文字は読めても意味不明、どうしたらここまで理屈っぽい難解な文章が書けるのだろうか、と感動したものだった。
あまりにも不勉強で、単位スレスレの卒業をした私であったが、入社以来、10年間の販売・営業業務を経験後にフト読んでみたら、その感想は違うものだった。
配置された職場で未経験の困難や苦境に追い込まれた時や、担当した業務で壁に突き当立った時に、古い教科書を開いてみた。
(ユーミンの“卒業写真”歌詞と同パターンである)
すると、学生時代には難解なだけだった文章が、実業経験をしてから読んでみると、なんと、少し理解が出来るようになっていた。
・・・それらは、経済社会で生きるための珠玉の知識の数々だった。
偉大な先人達の知恵が、初めて身近なものとして理解できた。
例えてみるならば、学問とは実社会の地図のようなものだった。
・・・富士山の雄大な姿や、夕映えに輝く美しい姿というものは、地図上の等高線やデータからでは想像もできない。
地図とは単なる平面に様々な線と数字が書かれ、高度が色分けされただけのものだった。そして富士山の持つ美しさや雄大さというものは、すぐれた芸術家の感覚によってしか表現出来ないものと思っていた。
地図の大切さが分かっていなかった。
しかし、それだからと言って、地図とは無駄な物では無かった。・・・名画や写真を見ただけで、はたして登山が出来るものでしょうか?・・・ 地図が無ければ、山には登れないのである!
その基本的な勉学の認識が、学生時代の私には足りなかったようだ。
(※つまりは、経済学とは、資本主義社会の地図やガイドでありました。それなのに、あの堅苦しい文章やむずかしい表現にビビってしまい、あの頃は、実にとっつきにくい物としか理解できなかったのです。
ああ、実社会でこんなにも役立つ物と分かっていたら、もっともっと真面目に勉強しておけばよかった。・・・少年易老学難成・・・残念!!)
ああ、温故知新!先人達の知恵!トラディショナル!
学問や本とは、人間にとってなんとありがたい物なのだろうか。
かくして、遅ればせながら私の経済観は形成されていくのでした。
しかしながら、かつてV社で“他人とは違う事をしなさい”で育ち、“流行ではなく風俗を作るのだ”と教えられた私のトラッド営業は、世間一般流行の経済効率主義やもうけ主義とは異なるものでした。
売上数字よりも交友関係や人の情を第一に考えるものでした。
思い出すままに、いくつかを挙げてみれば・・・、
「売ろうと思うな、思えば負けよ」
サービス業とは喜びを売る仕事である。不幸を売ってはならない。
売りつけるのではない。買って頂くのである。
搾取であってはならない。
押し付ければ、客は去ってゆく。
もし世の中が必要とする商品ならば、必ず売れるものである。
要らぬ商品を要らぬ人に、押し付けてはならない。
「リスクから逃げるな」
リスクの責任を取る覚悟のある者だけが、信用という最高の報酬を手にする事が出来る。
若いうちの苦労は拾ってでも引き受けろ。
売上リスク・人員リスク・在庫リスクを相手方に負担させるのは、一見、得したように見えるが実は損している事でもある。
不公平である以前に、信頼を失い自分の可能性を狭める行為だ。
「自分だけが儲けてはいけない」
世の富や財は有限である。誰かが多く取れば、必ず誰かが損をしてしまう。
その因果とはいつか必ず自分にも巡って来る。
私は大金持ちにも貧乏人にもなりたくない。普通が一番。
利益や知識や富は、独り占めしないで他者にも与えた方がよい。
他人が真似したら、また、新しい物を作ればいいのである。
“技術は人のためにある” “利益も人のためにある”
“無い物を作れ・人と違う事をやれ”
( 参考・本田宗一郎・石津謙介 )敬称略
「商いとは、飽きないである」
仕事とは、日常の毎日の生活活動である。軍隊や武士のような戦いに明け暮れる非日常な業務ではない。良い人間関係や楽しさが無ければ決して長続きはしない。
人生で勝ち続けることはあり得ない。一人勝ちは絶対続かない。頂点とは下降線の始まりだ。
負けるが勝ち! 情けは人のためならず!
トラッド営業とは、お客様との信頼できる人間関係を作る仕事でもある。
力を尽くした仕事での、心あるお客様方との出会いの喜びは、何事にも代え難く生涯の宝となる。(必死の時ほど、いい出会いがある)
喜びや面白さを仕事に作れなければ、仕事は続かない。
“会社を愛し、人を愛し、勤めを愛する”
( 参考・三愛・市村清 ) 敬称略
(※愛とは、求めるものではなく、尽くし与える喜びである・・・。)
ある時、ある月販店売場主任様から、当社にクレームの電話が入った。
売場における販売員の出欠勤や態度に対する文句だった。
「あいつをクビにしろ、メンバーを変えろ、謝罪に来い・・・。」
私が電話を替わった。
「大変申し訳ございませんでした。これから私がお伺い致します。販売員には私から注意致します。私に御一任下さい・・・。」
(※管理職とは、部下の責任を取るのが仕事である。・・宮部昭太郎ヘッド)
・・・実は、その店の主任マネージャーの上司の方とは、かつて本部でお世話になった“人間を大事にする”熊谷さんだった。
・・・翌日、売場には何事もなく、販売員配置にも変更ひとつ無かった・・・。
またある時には、ある新宿の月販店様から怒りの電話があった。原因は、商品投入のダブル・ブッキング事件であった。
私の出張中に、ある管理職が、非常識にも、その月販店の目の前にある伊勢丹様に商品を出品してしまったのだ。
小売店様同士にもテリトリーやマナーというものがある。
(70年代には、1地区多店舗展開は、当たり前だったのだが・・・。)
あまりの事に、帰社した足でそのまま新宿へすっ飛んで行った。
すると、・・・なんと!伊勢丹様の紳士バイヤー責任者の方とは・・・、10数年前に、私が池西Kent時代に接客させて頂いていた・・・、当時大学生だった常連の顧客様の一人であった!
嗚呼!不幸中の幸い!縁は異なもの!世間は狭い!
・・・当社員のモラルを欠いた不始末に、ひたあやまりにあやまる私でありましたが・・・、先様におかれては“あの懐かしいKentの横田店長が来てくれた”と云う事で、なんとか事無く、溜飲を下げて頂く事が出来たのでありました。
トラッド屋の商売は、目先の利益よりも、長いお付き合い・・。
信用が第一!損して得を取れ!(・・・宮部昭太郎ヘッド)
これも一つのトラディショナルなのでありました。
Mr,MIYABE
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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