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続・青春VAN日記109

ケント社の巻 その761985年夏)

<アイリッシュセッタークラブ・アメリカ横断旅行⑩>

嗚呼ニューオリンズ2

蒸し暑いニューオリンズの朝は、昨晩のアルコール分を洗い流す熱いモーニング・シャワーと・・、よく冷えたフレッシュジュースとミルクとフルーツの、フランス風コンチネンタル・ブレックファーストから始まった。

・・・私達の旅は、メンバー全員での農協型団体行動はとらない。
スケジュールのメイン行動以外は、それぞれの趣味と目的で勝手に動く。


・・・私の本日の予定は、仏・スペイン統治時代のバルコニーのある古い街並みの散策である。

セント・ルイス大聖堂の鐘の音の聞こえるジャクソン・スクェア界隈で ストリート・ミュージックや大道芸を楽しむ。

ミシシッピ河畔で、オールマン・リバーを聞く。

空腹を感じたら、クレオール・レストランでジャンバラヤを食べ、カフェ・ドゥモンドでコーヒーとスイーツを楽しむ。 

そして時間があれば黒人住宅街やサッチモ公園も見るつもりだった。
(※会長と花房さんは、ジャクソン・スクェアを見た後は、例によって美味い物探しに、クレオール料理の食べ歩きに出かけるらしかった。)


そして、夜は皆でプリザベーション・ホールだ。

(※私はバーボン街の音や、ストリートミュージシャンのオールマン・リバー等を
ウォークマンで足跡録音していた。今、JIM BEAMを舐めながら30年前の古いテープを改めて聞いてみると、アルバム写真で見るのより10倍も、さらに懐かしい情景が走馬灯の様に甦ってくる。・・嗚呼!)



メンバー達は三々五々、それぞれの目的先に向かって市内に出発した。

オリンズ・ホテルを出ると、4年前のヴィーナス旅行の時に見たあの懐かしい景色が目の前に広がってきた。思わず、同じ場所を探して写真を取る私でありました。

さて、ジャクソン・スクェアは多くの人出で賑わっていた。
1番目に付いたのは、米国内のローカルからと思われる観光客達だった。
オジさんオバさん達の格好は、同じ米国人であっても、北部と南部の違いで、ニューヨークとはスタイルが全く異なっていた。

男性達は、テンガロン・ハットのウエスタン風スタイルである。
女性達は、かのジャンバラヤの唄の“ブレンダ・リー”のようなひと昔前のハリウッド映画のような髪型・服装だった。

(※西麻布のメイ牛山・ハリウッド化粧品なんちゃって!懐かしい!)



まるでケンタッキーやジョージアのアメリカの“故郷のお父さん・お母さんスタイル、であり、温かい郷愁を感じさせるものだった。

・・・素晴しい!とても素敵だ!

「ああ、この人達は皆、自分達の故郷に愛着と誇りを持っている!」
“アメリカン・カントリー・トラディショナル”だ!


南部の生活の中で創り上げられて来たカントリースタイルは、机上のファッション商品とは違い、簡単には時代遅れにはならない。


パリコレやオートクチュール等の虚構のデザイン服とは次元の違う、額に汗して自然の大地や動物と共に暮らしてきた南部の人々の、伝統と機能と郷愁の“格好良さ”なのだ。

彼らの“シワや日焼けした顔”は “人生の勲章”だ。これは北部と異なるもう一つのアメリカ永遠のスタンダードなのだ。

(※まるでV60年代キャンペーンの“ディスカバー・アメリカ”だ。)

摩天楼で目にした都会人とは違う、逞しい日焼けした人達だった。

(※う~ん、マンダム!
TVで見たコメディ“じゃじゃ馬億万長者”を思い出してしまった・・。この人達は、間違っても、ギャングやKKK団の人では無さそうだった。)



改めて “格好良さ”や“衣服”について考えさせられた。

アイルランドやイタリア旅行の時にも感じたのだが、私は危険溢れる先進の大都会よりも、地方や田舎が好ましく思えた。ローカルやレトロやノスタルジーとはなんと素敵なのだろう。

※最新の性能のデジタル・オーディオよりも、昔の管球アンプ等の方が音に味がある。
一昔前のアナログ・ライブ録音レコードの方が味が有る。


最新のスポーツカーよりも、昔のビンテ-ジカーの方がスタイル・エンジン音
・乗り心地に味がある。
最新のデジタル映像映画よりも、実写版総天然色テクニ・カラーの映画の方が味が有る。

政治家も女優も学校も旅行も洋服も野球もトマトもしかり・・・。

皆、昔の方が、味があったような気がする???

・・・新しい物好きとは若者や発展途上国の特徴であるが、
私のこれらの懐古嗜好は、歳を取り若者で無くなっていく兆しなのだろうか?流行の最先端には興味を失い、古い物の方が好きになってしまった・・・。


セント・ルイス大聖堂の前に広がるジャクソン・スクェア界隈には、4年前のあの時と同じく、美しい鐘の音が響き渡り、似顔絵書き・切り絵・ホットドッグ売り・大道芸人や、たくさんのストリート・ミュージシャン達が店を広げていた。


私は、その中でも年配に見える黒人のTPのおじさんに1ドルチップを渡して、会長のお好きな“オールマン・リバー”を演奏してもらった。

遠く聞こえる聖堂の鐘の音や外輪船の汽笛(霧笛?)の音とあいまって、そのトランペットの管の響きと、川面の遠くを見つめる会長の横顔は、まるで薬師寺三重塔の“凍れる音楽”の様に、私の記憶に残るのでした。


7代大統領になったジャクソンの銅像を見た後、私は、会長と花房さんの遅いランチに同行して、クレオールレストラン“スタンレー”で、あの唄にも歌われる“ジャンバラヤ”を初めて口にするのでした。

見た目はピラフやチャーハンやパエリアのようでしたが、味はとてもスパイシーでオイスターやロブスターと一緒に食べても、とても美味いものでした。

思わず、“♪グッバイジョー ミカルゴ― 見―よマイヨ―”???と、歌っている私でありました。


食後のデザートは、カフェ・ドゥモンドでカフェオレとドーナツでした。なんでも、フランス移民がタンポポ系の植物の根っこから作ったコーヒーとかで、ヌーベル・オルレアン時代に出来たウンヌンと言う名物でした。

そしてミシシッピ―の黄昏が夕闇に変わる頃、川面に映る夕日を楽しんだ私達は、いったんホテルに戻り、シャワーを浴びてから・・・、あの伝説のプリザベーション・ホールを訪れるのでありました。

PRESERVATIONとは、伝統を守る、保存するという意味である。
植民地時代の風合いを色濃く残すミシシッピーの街に誕生した、ニューオリンズ・ジャズの伝統を継承する“ジャズ小屋”である。

この18世紀の古い建物は、19世紀の米英戦争の際には酒場であり第二次大戦後はアートギャラリーの店であったという。

1960年代初頭、オーナーは、仕事が無くて困っている戦後の年配のジャズミュージシャンを雇ってギャラリーで演奏させた。

すると、多くの人がアートよりも懐かしい音楽目当てで来場するようになったという。そしてこの場所は、アメリカ音楽業界にも珍しい、飲食の提供もダンスも無い、純粋なニューオリンズ音楽を聴かせるホールになっていったのだという。


戦後の日本のミュージシャンにも、ジャズ発祥のこの地を訪れてこのライブ演奏のジャムセッションに加わった人は少なくない・・。


「うわっ、本当に古い小屋だ!アンクル・トムが出てきそうだ!」
戦前の木造小学校の古い教室のような年代物の狭いホールには、年季の入った何の変哲もない木製ベンチが並んでいるばかり・・。

ステージらしいステージは無く、部屋の片側にいくつか置いてあるアーリーアメリカン調の古い木製椅子に腰掛けたお爺さん達が、すっかりメッキの剥がれ落ちた古い管楽器を、爪の白さが目立つ黒い指で演奏していた。

PA設備も照明装置も何も無いセピア色の電灯だけの灯り中で、あの南北戦争の軍楽隊の放出楽器を手に入れた黒人達が始めた管楽器のニューオリンズ・スタイルの演奏をしている。


・・・月光値千金、オールマン・リバー、聖者の行進、セントルイス・ブルース、3コードだけのブルース・・・。

ああ!部屋中の壁にも床にも空気にも、JAZZが滲み込んでいる!

私は、やっぱり、流行の最先端よりも・・・、ローカル、レトロ、ノスタルジー、の方が好きだ。

トラッドの世界が素晴しい!


OH! WHAT  A WONDERFUL TRADITIONAL WORLD



                            
     
                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく


木陰の私、その1 木陰の私、その2
フレンチクォーター風景





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