続・青春VAN日記2
破産財団の巻 その2(1978年 12月)
私達、破産処理作業の主だった業務は、VAN資産の建物、商品、備品、等の保全・管理・処分であった。
倒産・破産後の企業には、債権者、関係者、マスコミ取材人、火事場泥棒などが日夜進入してきて実に大変なのである。
日中は本館・別館には残務処理社員が詰めているから良いが、夜間ともなると、人数が手薄になり、はなはだ心もとない状況なのである。
破産後、数日にして、99ホール入口に労組の掲げた“大VAN組合旗(4m×3m程でVANロゴが大きくプリント)”が盗まれてしまった。
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続いて、夜間泥棒が侵入し、商品や貴重な備品も盗まれてしまった。
その量からして組織的な盗難と思われた。
挙句の果てには、いつしか本館の外壁埋め込みの真鍮製本社ネームプレートまでもが持ち去られてしまった。
どうやら商品を狙う単純な泥棒だけでは無いようだった。
これには残務処理社員達も、大いに怒った。翌日からは泊り込み体制を組むことになった。しかし盗難はその後も相次いだのである。
年末も近づいてきたある日、天下のNHK・TVから年末特番の取材の申し込みがあった。
女優・高瀬春奈さんのレポートで、“年の瀬を迎えたかつての若者のカリスマ・青山VAN本社“から悲惨な年末状況を伝えようというものだったらしい。
残務社員達からは、惨めな姿を晒したくない、恥ずかしいから嫌と言う意見も相次いだが、相談の結果、VANの現状を社会に伝えようということで、取材を受けることになった。
ところが、である。皆、レポーターにマイクを向けられるのはイヤダ、私は写りたくない、しゃべりに自信がないと言いだした。
相談の結果、なぜか担当は・・・私に白羽の矢が立ってしまった。
そして私は、生まれて初めてブラウン管に写ることになってしまった。
ところで、残務社員達は腐っても元VAN社員である。
かっこいい破産現場?にしようということになり、当日は、楽器の演奏できる者も何人もいたので、“井泉”(まいせんの前身)“ピーコック”などから料理を取り寄せたりして、356別館特設ホール?をセットして、全員がドレスアップした生演奏付きのしかも私が司会の楽しい派手なパーティを行なってしまった。
・・・356別館を訪れた高瀬春奈嬢、NHK御一行の驚きの顔!
果たして、
NHKの企画意図を思い切り裏切った絵柄が撮れたにちがいない!
作業着でも着て、スルメに茶わん酒の方が良かったかな・・?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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