続・青春VAN日記117
ケント社の巻 その84(1985年秋冬)
<さあ仕事だ・パート2・販促業務>
私は小学校の時から、学業でも運動でも取り上げて目立つ事の無い、“なんでも普通が一番”の、おとなしい目立たない平凡な平均点少年だった。
ただ、好きな事となると食事も忘れるほど熱中してしまう思いつきやヒラメキが強い、夢見る少年だったかもしれない。
学校を出て就職する時もV社への憧れだけでアパレルに進んだから、社会に出て金持ちになりたいとも出世したいとも思っていなかった。
まずは大好きなVANに入って、尊敬する石津社長や先輩方の下で、好きなアイビーやトラッドの仕事をする事が何よりも憧れだったのだ。
V社は、同好の“好き者社員”に満ちていた。
・・・楽しい所には自然に人が集まって来る。
私は大好きな会社の商品とお客様に囲まれた現場が一番好きだった。
“好きこそ物の上手なれ”
私は、一生Kent・shopの店長をやっていたかったのだ・・・。
そんな私の価値観変化の始まりは入社式での石津社長の一言だった。
「・・諸君はすでに学生では無い。人とは違う事をやりなさい。」
コンフォーミティからプレステージ型人間への・・・、“群れる人間”から“個性派人間”への・・・キッカケだった。
・・・その結果、販売時代には、販売上手の先輩からどんなに非難されても、商品の押し売りはしない・お客様と友人になる売り方をしていたら、いつしか個人売上一番になってしまった。
営業時代には、バイヤーに商品を売り込まずにトラッド話ばかり。
売上増加では無く各店の返品量を減らそうと思って仕事していたら、結果、売上が上昇して多額の取扱金額の営業社員になっていた。
倒産時代には、ただのVAN好き化石社員が夢中で再建業務していたら、残留社員の中で顔が一番売れてしまった。
青山PICK―UP店長時代には、宣伝時代に逆らって一切の宣伝をしなかったら、かえって良質のお客様を集める事が出来た・・・。
世の中の価値の原点は、人も物も、やっぱり“希少価値”だった。
価値とは社会の中の“需要と供給の相対性理論”で決まるが、他人と同じ事をしていても価値は生まれない。
“ヒトもモノも”希少な存在になれなければ、つまらない。
“No1よりOnly1だ”“コンフォーミティよりプレステージだ”
このバブル景気時代、あらゆる企業があの手この手の手段を使って同じように同じ穴のムジナの利潤獲得を目指している時に・・・、トラッド屋のやるべき方向とは、違うのではないだろうか・・・?
トラッド屋にはトラッド屋のやり方があるはずでは・・・。
・・・そんなトラッド馬鹿の私に、知ってか知らずか、「お前が販売促進もやれ、お前しかいないだろう」と命じたのは、牧尾社長と清徳専務だった。
さあ困った。
“売ろうと思うな思えば負けよ”
“宣伝しない事が一番の宣伝だ”
・・・の、私だったのである・・・。
販売促進とは、文字通り販売の促進を狙った活動の事であり、消費者にイメージを喚起させ購買にまで至らせる仕掛け作りである。
その業務とは、自企業の本質を熟知していなければならない上に、人間の営みである社会現象を対象とした活動である。
はたしてそこでは自然科学と同じような、科学的認識が成り立つ業務なのであろうか。それとも感覚とセンスの業務であろうか?
だがV社とは、好き嫌いと感性なるモノのファッションの世界に初めて科学と論理の思考を持ちこんだ“先駆者”でもあった。
かつてはそのV社の販促部室を用も無いのにうろついていた私だが、学生時代に広告研究会だった訳でもないし、その基本知識は無い。
数多い専門用語も分からない・・・どうしよう・・・?
が・・・幸い私には、素晴しい先輩方や同期仲間がいてくれた。
早速、若林さん池田さん・・・達を訪れて教えを乞うのでした。
マーチャンダイジングやマーケティングのイロハに始まって、・宣伝や広告、セールスプロモーションの意義・目的。
●ロイヤルティ、パブリシティ、クレジット、プレミアム、ノベルティ、キャンペーン、イベント、ディーラーヘルプ、インセンティブ等の数々の用語の意味と役割。
●さらにはグラビヤ、オフセット、活版印刷に始まるところのサーキュレーション、4色1P、表1~表4、目次対向、トップ見開き、センター、グラビアページ、袋とじ等々の、雑誌業界用語の数々。
●様々なフォント(文字字体)の意味合い、VANのステンシル文字や
CI(コーポレートアイデンティティー)のデザインについて・・・等々。
(・・・皆さま御指導有難うございました。)
ついでに、学生時代の経済学教科書も読み返してみた。
●「・・商品とは、偶像崇拝の偶像のように転倒した性格をもっている。
人間は自分の手で偶像を作っておいて、そしてその自分の手で作ったモノを拝んでいる。自分を超えた存在だと思いこんでいる。
そういう“錯覚”による転倒が、商品には多々見られる。
商品とは人間によって作られたモノであり、それは物質的利害を背負った人と人との関係がただ投影されているにすぎないのに、あたかも商品自体が内在的な価値をもっているように見せている。
というのは、必要な生活物資がすべて商品という形をとるほかない市場経済のもとでは、そういう風に考えてやっていかなければ日常生活はやっていけないからである。
はたして商品をどのように錯覚させ信じ込ませ得るだろうか・・・。 ・・・“商品の物神的性格”・・・カール・マルクス」
●「歴史のダイナミックスとは理念と利害の相関として捉えられる。
人間の物質欲を直接に支配するものは、理念では無く利害である。
しかし“理念”によって作られた“商品像”は、しばしば価値の軌道を決定し、理念の軌道によって利害のダイナミックスが人間の行為を押し動かしてきた。
・・・マックス・ヴェーバー」
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「一流の商品には、使用に際しての優れた“機能”がなければならない。これが商品本来の“使用価値”である。
一流の商品には、様々な物語や蘊蓄が語られていなければならない。
これを“付加価値”という。
一流の商品とは、有り余るモノであってはならない。
これを“希少価値“という。 ・・・私の実体験より」
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販売促進業務とは、商品本来が持つ“使用価値”を高め、 さらに “理念”の“付加価値”を付け加え、掛け替えの無い“希少価値”を持つと “錯覚”させる(夢を売る)、企業の営業販売の便宜をはかる仕事だ、と私は理解した。
さて社内なんでも屋の私は、すでに勝手に店舗ディレクションや展示会企画、ノベルティ作り等を始めていたのですが、1985年、会社より指示されたのはカタログ作りだった。
VANグループでの、店舗や消費者用のカタログ作りは数年前から始まっていた。最初は新VAN復活記念のMC誌付録カタログからであったが、新V社では既に毎年のカタログ作りも開始していた。
そしてケント社も専務の意向によってカタログ作りが始まった。
専務自らが撮影隊を率いてニュージーランドに出かけて作ったオール海外ロケの豪華カタログだった・・・(う~ん?)。
カタログ制作を依頼した会社はCカンパニーさんであった。
(㈱Cカンパニー社とは、あの99ホールの企画を提案し、自ら運営を行った元V宣伝部の山口さんが倒産後に立ち上げた広告制作会社です。
私もV社OB関係で、その新年会や忘年会に立寄らせて頂きましたが、恵比寿にあったその社内には、元V社宣伝部の加来先輩、中村君達やなんと作曲家の三枝成彰さんの顔もあり、実にVANムードの漂う会社でありました。) |
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・・・そして都内某スタジオではCカンパニー土方ディレクターと、撮影商品の山を抱えた私と、自己主張の強いプロカメラマンと、オーディションで選んだ外人モデル達を使った撮影作業が、開始されるのでありました・・・。
(トラッドとは思想や歴史である。と考える私は、昔のブルックスやシアーズのカタログが好きでした。パリやミラノのファッション誌や、実生活感の無いファッションカタログに興味はありませんでした。
したがって、日本のトラッド文化であるKent商品のカタログをどうしても作るのであれば、外人金髪モデルを使った外国での名所・景勝地での撮影等ではなくて、イラストや物撮り撮影を使った商品カタログとか・・・、井出さんや戸田さんをモデルにお願いしての、想い出の銀座・青山・神宮等で撮影する“日本トラッドグラフィティー”が良い・・・と主張したのですが、・・・社内では受け入れてもらえませんでした・・・。) |
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1985年から89年当時の“Kent”カタログ (一部)
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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