続・青春VAN日記120
ケント社の巻 その87(1986年)
<新しい展示会場探し>
それにしても、どんな職種でも一生懸命仕事を続けていれば、やがて世の中に“縁”というものがたくさん出来るものである。
“縁”とは、人間社会の不思議な人生の“巡り合わせ”であり、本来出会うべくも無く知り合う事の出来た方々と、苦労の中から作り上げたその信頼関係は“お金”以上の生涯の“宝”である。
特に販売や営業のサービス業では、それが顕著であった。
V社も、かつての心ある多数のお客様方の“縁”のお力を頂いて復活出来た様なもの・・・なのであります。
「WHAT A DIFFERENCE
A DAY MAKES!」
さて復興以来、重要な業務イベントである展示受注会は、本社内で開催して来たケント社であったが、企業規模の拡大と発展に伴って、狭い自社屋では収まりきれなくなり、より広い場所が必要となった。
担当者の私は、さっそく本社近辺に適切な会場探しを始めたのだが、格式あるホテルの会場や有名ホールを借りるのは中々大変なのである。
そして「人とは違う事をやりなさい」の石津学校で育った私である。
ありきたりの展示会場では満足出来なかった。
そして“こだわりを持つ仲間達の縁”をたよりに見つけ出したのは、次の様な会場だった。
〈展示会・成功例〉
①“芝ゴルフクラブ”のテラスに特設会場を作った。(1987年)
VANとスポーツは切り離せない!このクラブには著名人の利用者も多く、場所もKent社に近く、ランドマークの東京タワー・増上寺を近所に控え、交通の便も良く、食事・喫茶設備も万全だった。
多数の全国専門店様、遠く沖縄の屋宜専務・山田店長にも御来場頂けた。
(※施工協力は名人!池田プランニングサービス様・イデアコナ様である。)
②代官山ヒルサイドプラザ(1988年)
このホールでは、会長の出版記念パーティが開かれた折に手伝いをさせて頂き、ヒルサイドプラザ社員で同郷群馬・前女出身の担当者福原夕美氏と知り合いになり、便宜を図って頂く事が出来た。
展示会場のホールでは、石津会長・くろすさんにも御登場を頂き、MC誌・守谷記者の御紹介でチャーリー湯谷さんや北上純さんにも接客を手伝って頂く事が出来た。
当社員達にも接客・商談術を徹底指導し、見事大成功を収める事が出来た。
〈展示会場探しの失敗案〉
△TV朝日の大スタジオで展示会!
かねてより青山Kent・shopの顧客様であったTV朝日・テイクシステムズ・マネージャー 広瀬正博様を訪ねて、2日間の大スタジオを利用しての展示会をお願いしてみたが、放送業務のスケジュール調整がとても無理で実現出来なかった。 残念。
△スコッチバンク店、ブルーノートや新宿Jでのジャズ展示会!
トラッドとJazzはお友達! 生演奏もあるトラッド・ライブ展示会!
・・・やはり、店営業時間との調整が不可能で実現出来なかった。残念。
<社員ファミリーセール再開>
さてこの頃の私の業務は、新商品の取引開始の華々しいイベント作りと共に、売場でのシーズンの活躍を終えて倉庫に戻って来た商品に、“引導を渡す”仕事でした。
商品にも“生みの苦しみ”から“涙の帰還”までの短い一生が有る。
私達社員の汗と涙の結晶である掛け替えの無いKent商品達には・・・
自らの手で“最後の花道”を演出してあげたかった。
私達は、内部・身内関係者を対象とする“クローズドバーゲン”、
・・・海岸倉庫での“社員ファミリーセール”をそれに充てた。
私は、君塚さんの知り合いの秋葉原“電気のナカウラ店”に出かけてセールに使う場内放送の各種道具を買い揃えるのでした。
・・何を隠そう、私の得意技とは!
・・かつて学生時代にデパートの特売場で大いに鍛えた、あの“寅さん”やジャパネット高田社長と同じく、対面販売の“啖呵売”(バナナの口上売り等)なのであります。
グレンミラーの“ムーンライトセレナーデ”をオープニング曲に使い、品良く私の挨拶とディスクジョッキーで始めた倉庫セール会場には、社員ご家族、取引業者の皆様、モデル業界の方々、芸能界の皆様、ジャズ界の方々・・・たくさんの方々が御来場下さるのでした。
そして、来場者が増え会場が混雑し始めると、お客様を前にして平台に商品を並べた私は、夜店の寅さんに変身し、マイクを握り、ケント商品の生い立ち、歴史、蘊蓄を“延々と”語り始めるのでした。
(お客様!本日限りのお値段ですよ!)
ワゴンの中の商品はたちまちにして売り切れてしまうのでした。エヘン!
(※能書きだけで無い私の販売力を目の前にした、かつての青山Kent店の常連客であった若手社員の浅見・青木君達は、“おもしれ~”と、さっそくハンドマイクを握り、対面販売の練習を始めてくれるのでした・・・。)
追伸
盛り上がる海岸倉庫ファミリーセール期間中には、あのKent至高のモデル戸田昭さんや若手モデルの方々も、そしてミュージシャンやタレントさんも私的買い物に御来場賜り大感激でありました。
・・・また有る時には、10名程のいかつい・異様な雰囲気の男性の一団が入場した。
受付をやっていた元・労組社員が青い顔をして飛んで来た。
「麻布警察署の刑事達が来ました!横田さんを呼んでいます!」
(・・・はて?私には警察に御厄介になる様な事は何も無いのだが、はたまた深夜六本木での止むに止まれぬ立ち小便がバレたのか?・・・)
「横ちゃん~元気かい・・・!」
・・・それは、あの少林拳・佐野雅夫君の友人で、明学少林寺拳法部副主将~中野警察学校で教官をしていた、増崎世志夫氏であった。
(70年代の新宿で大いに飲んだものでした。)
この度、麻布警察署の係長に昇進し、ありがたくも、部下の刑事達を連れて買い物に来てくれたのだった。
「ありがとうマスザキさん!」
(※社員の中には、あわてて隠れる者までいたらしい・・・???)
かくの如く色々な楽しい事もあった1986年頃のケント社でしたが、
物事の始まりは、全てVAN TOWN AOYAMAだったのです。 |
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1977年10月 石川主任結婚式司会時 佐野君と |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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