続・青春VAN日記130
ケント社の巻 その96(1988年春)
<石津謙介・男のこだわり展>
1988年5月14日。渋谷東急本店・特設会場において
「石津謙介・男のこだわり展」が開催された。
㈱東急様とVANの関係は古い。
これは、東急・五島総帥と御懇意であられた石津会長との御縁に始まって、
百貨店での商品展開・㈱東急エージェンシー様等との業務の交流が
あったからである。
V社再興以後にも、
・東急百貨店での“ケンコレクション”“ケンスポーツ”取扱い、
・ 店内での、石津謙介“Ken’sカタログ”の発行、
・食料品売り場での“Ken印サラダ・ドレッシング”の発売、
・会長の東急電鉄・乗務員の制服デザイン、
・・・等のお付き合いが続いていました。
・・・私達が子供の頃の渋谷には、東急電車・地上地下鉄駅・都電・
トロリーバス・・・、東横のれん街、東急文化会館での映画、
五島プラネタリウム等の懐かしい思い出がいっぱいありました。
V社が成長して日本橋から青山に本社移転した1960年代。
渋谷は㈱東急によって文化の街に発展したとも言える。
(※青山は、VAN社の登場によってファッションの街に成長した。)
又、この頃の夜の渋谷は、某○○組の有名な親分が仕切っていた。
その組の若集頭が、日本航空パーサーでもあった、あの・・、
“塀の中シリーズ”で有名になられた作家“安部譲二さん”だった。
青山に進出した石津社長と安部譲二さんは、夜の渋谷や、
青山“かめい東京”での、飲み友達だった。
・・・そして又、この時代は、V社が“VANミュージック・ブレイク”のTV番組提供を
やり、石津社長と前田武彦さんが軽妙な駆け引きのトークを繰り広げ、
V社員達が麻布の渡辺貞夫さんの家に上がり込んで、酒盛りをしていた頃、
でもありました・・・。
・・・あれから25年。会長の新著「大人のお洒落」出版を記念して、
東急本店で「石津謙介・男のこだわり展」が催されたのです。
本店8Fの広い特設会場には、会長の“男のお宝”の数々が大量に
展示されていた。
“凄い!凄すぎる!”
人生を楽しむ達人であられる会長が、その長年の人生で愛用された衣・食・住の
膨大な “ こだわりの品 ” が、所狭しと陳列されていた。
・・・“これは昭和の博物史“だ!
●戦前の岡山での優等生時代や東京で徹底して遊んだ
学生時代の数々の御写真・思い出の品々。
●戦中に英国式を教えてくれたミスター・スライ氏との
思い出のエンブレム。
●アイビーを教えてくれた米軍オブライエン中尉の思い出。
●戦後のVAN創業時代の歴史的商品の数々。
●「 VAN誌・男の服飾 」や初期の 「 メンズクラブ・男子専科 」 等の懐かしい各雑誌。
●数多い海外旅行での思い出のスーベニア。
●世界のホテルのリネンやコスメチック・ルームタグ・チケット。
●ナンタケット海岸の貝殻と砂。
●東京オリンピックの真っ赤なブレザー。
●VANキャンペーン・ノベルティ・プレミアムの数々。
●栄光の“東京ヴァンガ―ズ”総監督の100番ユニフォーム。
●イベントで制作した帽子やスタッフジャンパー、エプロン。
●ご愛用の靴・帽子・傘・手袋・自転車・グッズの品々。
●ノーマンロックウェルの絵画集。
●世界の看板やPOP.類。
●デコイ・魚・クジラ等の置物・人形。
●愛用の大工道具や文房具や料理道具。
●そして食器類・マグカップ・グラス等。
●ビー玉やネジや釘・空き瓶・空き缶などのガラクタ類
(お宝です)
●私も事務所にお届けした新VAN・Kentノベルティ。
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そして人生を共に過ごされた、沢山の御友人・お客様の御来場。
・・・これは“近代日本の文化史”・“日本のMoMA”だ!
やがて会場では、石津会長のスピーチが始まり、
会長流“男のこだわり術”の数々が爆発した。
・もう一度、自分自身の生活を見直してみないか?
・シンプルでファッショナブル、これが現代の“衣”ということだ。
・心が温まる“食事”をとることがその人の人間性の表れだ。
・グルメを名乗る前に自分で料理を作ってみたら。
・現代の“住”の重要なエレメントは、快適な環境を楽しむ事だ。
・良い住まいとは建物に金をかけることではない。
・いきすぎたブランド志向、本物志向をボクは排除する。
・お金の使い方にも上手と下手があることを知りなさい。
・常に身の回りの事を興味を持ってながめてみよう。
・他人の事を気にしてこそ、自分の姿が眼にうつってくる。
・もっとエレガントさの勉強が必要だ。
・胸を張って、もっと有難うの言葉を言おうじゃないか。
・学歴よりも必要なのはパーソナリティだ。
・男の宝とは金銀財宝ではない・・・・・等々。 |
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そしてステージでは、本日のメインイベントである
前田武彦さん、安部譲二さんとの公開座談会が始まった。
会長
「・・・まだウエスタンやカントリーミュージックが日本で出始めの時だった。
あのブラザース・フォーをアメリカから呼んで全国を唱って廻ったのも
この頃のことだった。
私は自分の会社のTV提供番組に、毎回出演していた。
エレキバンの会長じゃないが、全くいい気なもんだった。
しかも主役はあの今をときめくナベサダ氏。
彼の名がマスコミに有名になり始めた時というのだから、
本当に夢の様 な昔話だ。
この番組のおしゃべりは、これもまたTVで人気の出始めた
前田武彦さん。
この二人の間に交じってタンバリンなんかたたいて、
私が一役買って出るのだから相当図々しいものだった。
リハーサルも無しのブッツケ本番だから話は余計に面白い。
あの “ミュージック・ブレイク”は面白かったなあ!」 |
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前田武彦さん
「 あれが私の出世番組だったのヨ。
あんな勝手なおしゃべりが出来たもんだから、すっかり調子づいちゃっ
てサ、あれ以来 “言いたい事言いの前武さん”の異名を頂いて
しまった。
それが後々随分と災いになったなあ・・・。
それでも仕事の後は、皆でよく飲んだねえ!」 |
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安部譲二さん
「 そこで出会ったのが俺だったのよ。
勤めていた日本航空で問題を起こして首になっちゃって、代紋を
つけていた渋谷の○○組も解散しちゃって、青山で“ロブロイ”っていう
ジャズクラブを経営してたんだ。
外車を乗り回して景気良かったよ。あの頃は・・・。
・・まだ府中刑務所にお世話になる前の話だったなあ・・・!」 |
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怖いもの知らずの男達の、ビールを飲みながらの言いたい放題。
政治家から芸能人、サラリーマンから奥様方・若い女性の価値観・化粧法にいたるまで、バッサ・バッサと手当たりしだいに切りまくっていた。
・・・ああ気持ちいい!
≪ ないしょで、 しかも期間限定で一部お見せすることにいたします。? ≫ |
※先日テレビを見ていたら、ワイドショウの“奥様は片づけ上手” とか何かの番組で、奥さんが使わなくなった旦那の荷物を勝手に処分していた。
自分のクダラナイ服やバッグは捨てないくせに、夫の道具や服や本は
かたっぱしから捨てていた。
その中に、昔のメンクラ誌やVANグラフティ誌が入っていた。
・・・私は“あっあ~なんということを!”と叫んでいた。
男の宝物は女性とは違う・・。
宝石や貴金属・ブランドなどでは無い。
青春の思い出の品は、大切な男の宝なのである。
あの奥さんには一生トラッドは理解出来ないだろう。
現実的な心無い女性から見れば、ガラクタの山なのかもしれないが、
男とは、子供の頃の“宝箱”や“机の引き出し”の如く、“ビール瓶の蓋や
ビー玉やメンコや土器の欠片や思い出の品”を、後生大事に持っているものなのである。
だから私は大昔の手紙や写真も捨てないし、人に強制もしない。
旦那の思い出まで勝手に処分しようとする妻は、いったい何様なのか。
少しはトラッド愛好者や男のロマンを理解して欲しいものだ・・・。
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それにつけても、人生で三度もの無一文生活を味あわせてしまったのに、
これ程沢山の、大切な夫の思い出の宝を守り続けた女性!
会長の奥様こそが、最高の“男の宝”であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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