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続・青春VAN日記128

ケント社の巻 その941988年春)

<倒産10周年記念VKOBOG会> 

神宮外苑の桜の花が満開を迎える頃は、青山も華やいでくる。


“ファッションの街・青山”の創始者たる石津会長におかれても、青山通りや神宮外苑絵画館前の散歩を楽しんでいらっしゃった。

強い陽ざしの246をブラブラ歩かれる時の会長のスタイルは、胸にCom on Sportsmanと書いたTシャツにGパン。素足にはジョギングシューズ。

又、ご愛用の赤い自転車でポタリングの時は、ヴァンガ―ズの100番のオーナーズキャップとジャージ。
誰が見ても一目でわかるVAN姿で颯爽と登場され、町内の皆さん方から声を掛けられていた。

そして、好天に恵まれた日の青山通りでは、私もピーコックあたりでバッタリお会いするのでありました。

「おー横田君、君は今、徒歩通勤で会社に通っているそうじゃないか。君も青山が好きなのかい?ボクと同じだね。

ボクは青山通りを歩くときはネ、自分自身で作った服や自分製のモノでなければ、恥ずかしくって歩く気がしない。見たところ、君の考え方もどうやら同じようだね。


今やボクも君も“借家住まい”の同じ立場だね。
ボクの“住まい論”はネ、言い訳でなく“借家主義”なんだ。

遠くの自宅より近所の借家だ。 

日本人というのは、皆どうして家に執着するのだろうか?
だいたい土地や家に執着を燃やすのは、昔から日本人の特色で、日本人が農耕民族であることの証明に他ならない。

欧米の都会では借家住まいが普通だ。

今の東京では、まじめに働いていても家や土地は持てやしない。だからと言って、2時間も通勤に費やす遠い場所に・・・
それも決して広いとは言えない家を買って・・・そこまでして自分の家が必要なのだろうか?

ボクもかつてお金があった頃は、成城に家を持ったことがある。しかし家の必要性などは、人生の情況変化で変わってしまう。資産を持つ事は、自由を束縛される事にもなる。

・・・そしてVANの倒産。

ボクの生活は一朝にしてひっくり返ってしまった。

だから家に固執することなど無いのだヨ。・・君は正しい。」

「家は所有すべからず。住むところと心得るべし!」


「・・・ところで、この間VK(旧VAN九州営業所)の諸君達から連絡が有ってね・・・、VKで“倒産10周年記念のOB会パーティー”をやろうって言うんだな。

・・・会社を潰して、皆に迷惑をかけた社長に、いまさら “来てくれ”なんて・・・、
・・・実に面白いじゃないか!・・・横田君、同行してくれたまえ!」



       ヮク(*^0^*)ヮク


石津社長は、VANの社員達が大好きだった。
特に若い社員達を、自分の子供の様に可愛がってくれた。

社員と一緒に仕事し、クラブ活動し、遊んだ。
人の情は、そのまま真っ直ぐに人の心を射る。
VAN社に社長の嫌いな奴などは、いなかった。

倒産してさえ、社長を恨む奴など、いなかった。
みんな社長が大好きだった。


19884月好日。会長と私は、博多にいた。

VK社員と関係諸氏の皆様方が、満面の笑顔で迎えてくれた。

(※世の中には、たった一度の出会いで一生付き合える人もいれば、
毎日会っていても、口を開くのも嫌になる人もいる。百人百様・十人十色の価値基準の異なるこの世の中なのに、単なる営利目的の・1アパレル企業でありながら、元社員どころか、たくさんの消費者までの心を捕えてしまった“石津社長の魅力やVANが人を繋げる不思議な力” とは、いったい何だったのだろうか・・・?)


この年2月「大人のお洒落」を書き終えたばかりの会長からは、インクの匂いも新しい新刊書が、その場でサインを頂いて、全員にプレゼントされた。


そして、会長のお話を頂いた。


「・・10年前の今月今夜、ボクは君達に多大な迷惑をおかけした。
会社を去った24百人の社員の事を考えると、今でも胸が痛む。

さらに今、こうやって元社員の皆に盛り上げてもらえる事は、実にありがたい事だと感謝している。 ありがとう!

・・さて、あれから色んな事が有って今日に至る訳だが、今の日本の世情を見るにつけ、又あれこれと言いたくなってきた。

・・・昔から私の持論は、“ファッションとは着る事だけの話ではない。衣食住、すべての人間生活にかかわる、生き方のことである“・・・。

着る事ばかりにウツツを抜かしている人を見ると、何だかお気の毒に見えて来る、そして高価なメニューに贅をつくしているグルメに出会うと、どうして自分で料理してみないのだろうと、今度はこの人が哀れに思えてくる。


また、億ショントやらに暮らして、豪華な外車を乗り回している人には、妙に口もききたくなくなってしまう。

もっともっと、ケチで、そして賢い人になって、知らない人にも笑顔の出来る“おしゃれな人”が増えてきたら、きっと世の中楽しいだろうな。

とにかく、みんなに読んで頂きたいと思って、書いてみました。

お叱り、お教えを頂ければ幸いです・・・。

・・・ま、昔の訓示じゃないんだから、挨拶はこのへんで・・、今日はもう社長とは思わないで、いっしょに楽しみましょう!」




VK社員達の宴は、2次会・3次会と盛り上がるのでした。


                                        つづく

 
 
 


“VAN SITE”ZOKU-SEISHUN VAN NIKKI 128
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