続・青春VAN日記129
ケント社の巻 その95(1988年春)
<妻と子のいる風景>
私の顔つき・体格がど~も最近変わって来たらしい。
会社でもお取引先でも友人知人にも、指摘されてしまった。
私は長い間、男一匹で世間の荒波を乗り越えて生きて来た。
一人の足で、日本中を旅して全国営業をしてきた。
当然、あらゆる危険と困難を想定して会社再興を目指す男は、“ゴルゴ13”の如く厳しい精悍な表情に満ちていた。(???)
M16アーマライトを構える男の(※キディランドで買ったエアガンです)サイズは、Kentスーツ・A5・ウエスト76cmであった。
・・・ところが、結婚してからというもの、内勤デスク業務になり、美味い手料理が食べられるようになると、とうとう、AB5、ウエスト85cmの1型ボックス・シルエットの中年体型に変化してしまった。これが幸せ太りというものか?
(・・・しかし女性の力とは、なんと偉大なものだろうか!マリア様のように温かく、観音様の様に慈悲に満ち、美智子様の様に優しく、子猫のように愛らしい。料理はうまいし、家事はしてくれるし、赤ん坊も授けてくれる。男を太らせるも痩せさせるも、自由自在。
我が家には羽衣伝説の天女様が降臨していた。
狭いながらも楽しい我が家!これが家庭というものか!筋力も目尻も下がりっぱなしの私なのでした。・・・ああ苦節38年!生きていて良かった!)
いかんいかん!竜宮城に溺れていると浦島太郎になってしまう。
このままでは全てのワードローブが着られなくなる。
早速私は青山から麻布ケント社までの徒歩通勤を始めるのでした。
そして休日は子供にかこつけて、家から神宮外苑児童公園まで、頻繁にベビーカーを押し歩くウォーキング“子連れ狼”になったのであります。
さて、私は人工的につくられた観賞植物等は好きでない。
野原に咲く自然な小花のほうがどれほど好ましいことか。
私の妻は、化粧をすることはほとんど少ないのだが、長い黒髪の三つ編みやお下げ髪がよく似合う、春の野に咲くたんぽぽの花の様な女性でした。
さらにその上ありがたいことには、流行のファッションブランド品や宝石などは欲しがらずに、私のVANのスタジャンやトレーナーを喜んで着てくれる心の優しいアイビーシスターでありました。
・・・まるで怖いぐらいの絵に描いたような幸せ!
私は残業もせずに、飛ぶように家に帰る毎日でありました。
しかしながら・・・1日は24時間・・・。
私の仕事は、長期出張こそ減ったものの、相変わらず忙しく、
(会議・商談・展示会・会長の出版記念イベント・台湾出張・・・etc)
十分に家族の面倒を見てあげられる状態ではありませんでした。
幸い、結婚以来グチひとつ無く 口喧嘩ひとつ無い我が家では、巷でよく聞く言葉「あなたは仕事と私とどっちが大切なの?」等の女性の決めゼリフは全く聞く事もありませんでしたが、こんな1型男の伴侶になってくれた奇特なありがたい女性を、私は、もっともっと喜ばせてあげたかった。
そこで、今年の連休は思い切って家族旅行を計画したのです。
<ゴールデンウィーク・ファミリーツアー>
仕事で日本中を駆け巡ったおかげで、私には沢山の縁があった。
かつて私が面接採用した嘉味田和彦君は那覇“ホテルサン沖縄” の御子息であり観光の知識が深かった。(※出張やケント社員旅行でもお世話になりました。)
「・・・横田さん、家族旅行でしたら最高の場所がありますよ!
グァムなんかよりもっと素敵で、僕の好きな秘密の場所です。
人がいなくて、静かで、安心で、海が綺麗で、・・・、
・・・それは、沖縄の“水納島”という離島です・・・。」
「その話乗った、即・手配たのむ!」
・・ああ、妻の喜ぶ顔が目に見える様だ。そして、あの美しい大自然の景色の中で、僕は彼女に、この琉歌を捧げよう!
春過ぎて 夏になちかえて咲きゆる 梯梧の紅の花の美らさ。
(歌意・春が過ぎて夏の季節に咲くデイゴの紅の花は君の様に美しい。)
・・七色に変化する海に囲まれた沖縄!
その中でも、特にヤンバル(北部)の恩納村・今帰仁村・名護市本部町・国頭村の地域が、・・沖縄海岸国定公園になっている。
那覇空港から夜空に続く滑走路“58号線”でおよそ1時間。
そこには、万座毛・海中公園・羽地内海・塩川・八重岳や・・・海洋博会場、美ら海水族館。
・舜天王伝説の源為朝が流れついた運天港。
・北山王・護佐丸が尚巴志に滅ぼされた今帰仁城。
さらには与那覇岳・辺戸岬など沢山の見どころがある。
そして本部半島の渡久地港から連絡船で瀬底島を経由して30分。
そこが、海に浮かぶクロワッサン“水納島”であった。
すでに数々の仕事で十数回は沖縄を訪れていた私は、ミスターチャ―ビラサイ、VANの永六輔、島ナイチャ―とまで呼ばれる程であった。
すでに島の地理感覚はほとんど把握していた。心配は無い。
4月28日、家族を連れた私は、那覇空港に到着した。
まずは、レンタカーを借りてヤンバルまでの58号線ドライブを楽しんだ。
高速道路やモノレールや首里城は、まだ未完成だったが、牧港にはすでにショッピングセンターが完成していたし、コザは沖縄市に名前が変わり、綺麗な街になっていた。
だから、県庁のカデカルさんとの出会いや、ヴィーナスとの旅行や、新庄参謀長とのウインドサーフィン大会や、銀バスに乗って島内の得意先を営業廻りしていた頃が懐かしかった。
そして、ステーキハウスレストランとブルーシール・アイスとA&Wのルートビアとチャーリータコスは絶対に欠かせない。
渡久地港で車を預け、小さな連絡船に乗って20分。小さなクロワッサン“水納島”に上陸した。
サンゴ礁の白い砂浜のビ―チは穏やかで波も無く、エメラルドブルーの沖合には、正面に伊江島タッチューを望み、その海の透明度たるや、ワイキキビーチを10倍も上まわっていた。
巨大な亜熱帯植物の生い茂る島の内部にはアゲハ蝶が飛び交い、人口40人の小島には人影もまばらで、数軒の赤瓦民家と丸太小屋作りのコテージがあるばかり。
そして夜になると、満天の星空では、天体ショーが始まり、“天の川”が出現した。
静かな夜の静寂の中からは、虫の音のシンフォニーが始まり、遠く三線(さんしん)の音が聞こえてくるのでした。
(♪・・遠い地平線が消えて、ふかぶかとした夜の闇に心を休める時、はるか雲海の上を音も無く流れさる気流は、かぎりない宇宙の営みを告げています。満天の星をいただく、はてしない光の海を、ゆたかに流れゆく風に心を開けば、きらめく星座の物語も聞こえてくる、夜のしじまのなんと饒舌な事でしょうか。・・・ジェットストリーム。)
さて、連休期間中なのに、美しい星の砂のビーチは、私達とヤドカリの貸し切り状態。さんさんと降り注ぐ太陽、静かに寄せては返すさざ波の音。そして、子供と水遊びをする私を見守る優しい妻のまなざし。
やがて、誰も居ない静かなビーチは南国の夕日に真っ赤に染まり、まるで天上世界の光背の中にいるような神秘の世界が出現した。
・・・デイゴ色の光の大洪水に包まれた中て、まるで時間が止まってしまったかのように、伊江島タッチューをじっと見続けている、親子3人の幸福な姿でありました。
・・・嗚呼、ここが天国のニライカナイだったのか!
(・・・V社の再興と結婚。人生二毛作目の収穫でありました。)
つづく
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