続・青春VAN日記123
ケント社の巻 その90(1986年)
<中間管理職の雑感>
管理職の仕事とは、企業目標達成のための“切り込み隊長”だ!
と私は認識していたが、業務にはあらゆる所に様々なリスクが付き物である。それは経営者だけでは無く、第一線の管理職もキャップやリーダーにおいても同じ事である。
未知の世界には、勇気を振って挑戦しなければ何事も解決出来はしない。
しかし一人の力には限度がある。
隊長と部下が一体となって困難にぶつかって行くチーム・ワークが作れなければ、最高の力は発揮できない。
組織の積極的な雰囲気をつくることが管理職の仕事である。
管理職は、仕事の中のもっとも難しい部分もっともイヤな部分をひっかぶり、みんなの先頭に立って突破口を開くべきであり、こうした管理職であってこそ部下は奮い立って仕事ができる。
管理職にとって必要な能力は、組織能力である。
管理職の仕事とは、自分が直接に最前線で動くことよりも、
“部下の仕事を応援する”
“部下の仕事の責任を取る”事である。
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・・・かつて私は、宮部昭太郎ヘッドに、その事を教わった。
志を同一に出来る仲間を得る事が出来れば、その力は百倍にも千倍にもなる。
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・・・私は、石津社長の御姿を見て、その事を教わった。
想えば、私は入社以来というもの、VANの“理念”を持つ素晴しい仲間達に囲まれていたから、自分の仕事を務める事が出来ていたのだ・・・。
そして1987年のケント社内は、“トラッド命”社員よりも、かつて社員の“同一待遇・同一賃金”をシュプレヒコールしていた諸氏が大多数だった。
旧Kent営業・販売の経験ある社員は私一人だったのである。
社内はトラッド愛好社員が集った組織とは言えなかったが、しかしながら会社再興の目的で一致出来た皆がいたからこそ現在のケント社が有るのである。
そこでは“人がいないから出来ない、予算が無いから出来ない”そんな甘えたセリフは言っていられなかった。
管理職というものは、ある意味、人の力を使える商売であるが、それは同僚・部下の力に限った事では無い。
社内の力が不十分ならば、外部の協力を求める。トラッド仲間やOBの力も借りる。
私が頼るのは社内に限った事では無い。永遠のV社員達もいる。
自分だけでは限界とみたら、他社・業者・小売店様とも組む。
共同開発・タイアップなんでもやってみるつもりだった。
※私は販促予算が無くても、ノベルティ作りを業者様やお店様のご協力を頂いて自主的に制作した。スワッチ写真付きカタログも自分で商品撮影し、生地を切り貼りして制作した。
Kent看板やPOP等も旧販促の池田さんや白石さんの御協力を頂けた。
池田さん、イデアコナ様、皆様ご協力有難うございました。 |
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それにしても人の世の“縁”とは、なんとありがたい物か。
人間とは自分一人の力で生きているのでは無く、周囲の人々の見えない力によって生かされているものだ、とつくづく感じる。
私の様な凡人は、特別な能力は何も持っていないのだが、それが入社以来というもの、「Kentを100年ブランドにしたい」「私は日本中の人にボタンダウンを着せたい!」などと“夢”の様な事をクチ走り続けていたため、あいつは重度のトラッド教だアイビー病だと認知してもらえ、Kent店長にもなり、同好の方々のお力添えを頂き、弟3次アイビーブームを作る一翼を担う事も出来た。
“縁”を作り上げるものとは人間の言葉の力である。
すべては「トラッドが好き」の一言から始まっていった。
言葉の力とはなんと不思議なものだろうか。
・・・人間の言葉とは、まず頭の中に自分の考えがあって、それが言葉となって出て行き他人に伝わるものだ。
しかし、この逆の現象も起きる。
話した言葉は、他人だけでなく自分の頭にも響いてくる。
いろいろな相手に話すと、先方は1回だけ話を聞くだけだが、自分の耳と脳は、何回も繰り返し説得される事になる。これが、自己催眠効果をもたらすことになる。
話しているうちに、夢が次第に確信や信念に成長して行く。夢を持つ人の言葉は、人間を動かす可能性を含んでいる。
ゆえに “夢”を持つ者は、どんなに人に笑われても否定されても、人前で言葉にすべきである!
どんな会議の場であっても黙っている者には、何も始まらない。
夢は語り続けていれば、いつか実を結ぶ事も有る。
そして“出来ない”という言葉は、決して口にしてはいけない。
それは、自分を“負の自己催眠”に導くキーワードである。
追伸
就職してからというもの、色々な職場での仕事の評価場面で、「あいつには能力がある」とか「能力が無い」とかいう言葉をよく聞いた。
入社当初、個人売上ビリの販売員だった私は、ウスノロ、ボケと馬鹿にされ“能力の無い奴だ”と評価された。
そして2年後、店売上・個人売上が百貨店1位になったら、今度は“能力のある奴だ”と褒められた。
・・・はたして“能力”とは一体何だろうか?
一般に社員の成長や変化は、自分の意識的努力によって変わる、というよりは、他動的に新しい環境に放り込まれたために“止むを得ず”努力を重ねて成長する度合いが非常に多い。
つまり、最初から能力を持っているかどうかは分からないのだ。
とにかく、仕事に押しつぶされないで、真正面から取り組み、これを曲がりなりにもこなす努力を続けるならば、仕事の方が、いつのまにか自分を好ましい方向に成長させてくれると言う事ではないだろうか。
「能力は、生来の”素質“であって、変わりようがない。」という意見に私は同意しない。素質などは誰にも分からない。能力ある人が仕事をするのではなく、“仕事が能力を作るのである”困難苦労に耐えきれずに簡単に切れてしまうエリートよりも、「石の上にも3年、今に見ておれ!」の、耐えられる人間の方がビジネスに本当に必要な“能力”だと私は思う。
“男子3日会わざれば瞠目して見よ”(三国志・呂蒙)なのである。 |
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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