続・青春VAN日記122
ケント社の巻 その89(1986年)
<中間管理職の悩み②>
さて、タイムリーな“ぎっくり腰”の御蔭もあって、今までの比較的自由な外勤中心の業務から、本社でのデスク業務になった訳ですが、・・・内勤には内勤業務の苦労があるのでした。
「 雨ニモマケズ 風ニモマケズ
朝カラ晩マデ会社以外ノコトハ考エズ
仕事二スグ役立チソウナ人ノホカハ付キアワズ
東二社内ゴルフコンペ等ガアレバ音頭ヲトリ
ダレトダレヲ組アワセルベキカト勤務中モ頭ヲヒネリ
西二飲ミニ誘ウ部下アレバ ココハマカセテオケト
ナケナシノ財布ヲハタイテ 部下ガ心酔シタト錯覚シ
南二社員慰安旅行ガアレバ
マッサキ二声ハリアゲテ音頭ヲ取リ
北二評判ノ経営書ガアレバ スグニ買イ二出カケ
サモ読ンダガゴトク吹聴スル
オレ二ハ会社ダケガ生キガイダ ナドトクチバシル
ソウイウ フクラミノ無イ ビジネスマン二
ワタシハ ナリタクナイ」・・・・・
|
|
(参考・宮沢賢治・開高健)
(※・・であるからして、すでに企業組織の縦横上下関係の煩わしさを知り、自分が凡人であることを自覚する私は、サラリーマン出世欲などには興味が無く、好きなKent店長を一生やっていたかったのですが・・・。)
<社内人間関係の気苦労>
男の人生の半分はビジネス・タイム。
ここに幸福を見い出せないで、どこで幸福を見つけられるのか。
“やるのは今でしょ!”・・・と叫んでみたところで、社内にいるのは・・・旧社時代からのベテラン社員の皆様方。
・・・しかも、かつてのV社末期・激動の時代には、私とは異なる立場での労働価値観・ファッション感・業務認識であった皆様方に、店頭現場叩き上げの1型トラッド価値観を理解してもらうのは・・・簡単な事ではありませんでした。
“智に働けば角が立つ、情に棹差せば流される”
気苦労の多い中間管理職なのでありました。
(ある意味・建武の親政府内における武士の楠正成や新田義貞の立場?)
そもそも企業とは、営利を目的とする人々が集まった組織であり、資本を提供する経営者と、労働力を提供する労働者の共同作業によって利益を生み出し、富を分配する仕組みである。
そこでは必然的に動物コロ二―と同様に奪い合いが始まる。
力の強い者が勝つ弱肉強食・無法地帯では組織は成り立たないから、企業は、就業規則や職階や役職等の制度を定め、個人の働きを正しく評価するための人事考課や業績評価が行われる。
組織の維持には“信賞必罰”が保証されなければならない。
そこには正義の大義名分と利益配分が無ければ社員は働けない。
そして社員の勤務評価を行うのが管理職である。その責任は重い。
論功行賞は一歩間違えれば、“建武の親政”の様な混乱を招き、“二条河原落書”に曝され、足利氏の反乱を招く事になる。
企業においては、労働組合が結成され紛争が起きる事にもなる。
・・・概論人間、原則人間、策士人間、評論家人間、嫉妬人間、虚飾人間、腹背人間、お祭り人間、(私は何人間?)・・・等々、百人百用の個性的な人間模様が蠢きあう社内において、果して、公平な評価とは出来るものなのだろうか?(教えて下さい、人事の滝川さん・後藤さん・藤井さん・三間さん・・・。)
<社風作りの悩み>
「・・・人間の物質欲を直接支配する者は“利害”である。しかし人間の“理念”は、しばしば“利害”を超えて価値の軌道を決定し、歴史のダイナミクスを動かしてきた。」・・・と、マックス・ウェーバーは述べた。
人間のあらゆる行動とは、欲望によって始まるものであるが、営利目的活動である会社経営においては、この“理念”があるかどうかで、企業の“匂い”は決まる。
VANヂャケットは、利害よりも理念の優先した会社とも言える。
※・・・
かつて石津社長の元での“梁山泊”であった旧V社では、 “香り”や“匂い”等とも表現されていた独特の企業の理念が、“VANらしさ”を形作る重要な要素だった。
・・ケント部においても、人気アイテム“ジーンズ”を扱うべきか否か等、ブランドコンセプトの理念で、会社を辞めた方までいたと聞く。
・・あの倒産中に、VT牧尾東京支社長はおっしゃった。
「まず最初に
“VANのイメージ”を守れる会社を作るべきだ。
我々が復活させねば、
必ず誰かがこのブランドを使うだろう。
そうなれば、その企業は目先の利益を得るために、
“VANの香り”を全く失わせてしまいかねない・・・・・・。」 |
|
2,013年現在残念ながら、VANの多くのCHOPが
この言葉通りになってしまっています。
|
|
|
<あれから10年!>
新Vグループの理念にも変化が起きているようだった。
かつてVAN復興の目的で一致していたはずの社員達なのに、新会社が軌道に乗り、復刻版商品が成功し、利益が上がり出し、新しい人員が増え、いくらかの余裕が出来た頃でした。
モノ作りに微妙な変化が起こり出した。
それは、昔の商品ラインの復元だけではなくて、自分達の考える新しい商品を作りたいと言う声である。
これは物作りに関わる人達には、当然の自己主張ではあろう。
トラッドでも新しいトレンドを加えて行く事は常に必要であるし、新しい企画を世に問いたいという人達の気持ちも理解できる。
所謂、芭蕉の“不易流行”なのである。
古代より不易と流行のせめぎあいは世の常である。
しかしながら、現世の当社の使命とは、伝統を伝える事である。
私にはトラッドの基本ディティールを変える気は全く無い。
要は時代の流れを読んでの、需要と供給の問題であろうが、全くの新コンセプト商品となれば、商品構成を一歩誤ると、かつての二の舞を踏む事にもなる。
・・・どうやら、社内は、“理念派”と“利害派”に分かれ出したようだ。
言い替えれば“不易派”と“流行派”とでも言おうか・・・。
(※これらはいつか来た道でもある。しかしながら、もしかしたら、“繁栄がまたぞろ破滅の種を生み出し始めている”のかもしれない ・・・と、心配してしまう私でありました。)
|
|
当時の総評系組合発行紙の一部 ( 1979年 ) |
|
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
|