続・青春VAN日記94
ケント社の巻 その61(1984年秋)
<84年秋の全国営業出張>
ヴァン・カンパニー店
① 10月、仙台に元VS社員の菊池店長達によるKent・Shopが新装開店し、レセプションに呼んでいただいた。
|
右、菊池店長の若かりし頃 |
街も店も学生も、行くたびに都会的洗練さを増す仙台の街には、美しく流れる広瀬川の景観と共に、杜の都の文化の香りが漂い、青葉繁れる青春とトラッドが良く似合っていた。
1979年のVAN Shop開店準備の時から、仙台をたびたび訪れてVS営業所に段ボールを敷いて寝泊まりしたり、VS加藤氏のお宅に泊めさせていただいたりと、実に文無しのⅤグループだったが、苦節5年、ついにKent・Shopも開店した。
イケダ・プランニングサービス様設計による新Kent店舗が見事完成したのだ。
開店のレセプションは、S&S仙台スコッチバンク店で開かれた。
メンズショップは人なり、サービスとは人間の質である。
会場には、皆から好かれる菊池店長の付き合いの広さを物語る、市内のトラッド愛好家や多彩なお客様達が多数駆けつけ、実に楽しいオープニングパーティとなった。
②明治の異人文化の香り漂う神戸にKent・Shopがオープンした。
ヴァンカンパニー本社を神戸山本通りに移した鳴島社長自からの、VAN・Kent店が並立する(クラタ11号館1F)入魂のショップだった。
北野の古い異人館においてVAN・Kentの開店パーティが盛大に行われ、神戸の多数のトラッドファンや取材陣が集まった。
東京VANグループからは早川さん桜庭さん君塚さんと私が参加した。
この西洋文化溢れる街には当社のロゴが実に良く似合っていた。
③元VC営業所の好社員でVAN再建にも活躍した大川君が、見事名古屋で独立開店して、VS菊池店長に続くオーナー店長となった。
|
右、大川店長の若かりし頃 |
皆から好かれる1型社員・大川店長の店は、昭和区山里町から始まった。名古屋の地には、筋金入りのトラッドファンも数多い。彼ならば、きっと成功することだろうと確信していた。
私は訪店すると、よく味噌煮込みうどんを御馳走になったものだった。
④福岡・警固Kent Shopの大川店長(元VT・広島大卒)、嘉味田君(サンホテル沖縄)達が、全日空ホテルで盛大なケント・クリスマスパーティを開き、ゲストに呼んで頂いた。
九州の著名なトラッドファンの方々が多数集合し、福岡の各界の名士の蘊蓄ある話を聞く幸運に会した。
専門店様
① 九州には、60年代からの熱いトラッドファンが数多い。私は1都市1店舗の新規取扱店を目標に、改めて北九州の各都市の営業に訪れてみた。
(出発の羽田空港で、元V営業1課の金替貴雄さんにバッタリお会いした。氏は、㈱ソニープラザの企画部課長をされていて、やはり出張だった。スポーツ万能の懐かしいヒゲのお顔にお変わりは無く、嬉しかった。)
まずはVAN柳川営業所長・高須さんをお伺いして情報を教えて頂く。
(実はスナック“ライムライト”で高須さんと楽しいカラオケ飲み会!)
かつて、旧V社の取扱店様とは、岩田屋・井筒屋両デパートを中心に、専門店は、
博多のホラヤ・トラヤ・ロビン・タカラヤ・フタタ・・・、
久留米のマツモト・ヤマシタ、小倉の白樺・クロネコヤ・・・、
佐賀オーツボ、唐津マスヤ、・・・等々たくさんあったのだが、
現在は、警固Kent ShopとK-PORT・小倉オ―ミハウス店のみであり、今年VK織田キャップの小倉Kent Houseが新開店するとはいえ、売り込みをしない私としても、もう少し出店の余地が有りそうだった。
かつての取扱店様を中心に、飛び込みの訪問営業をしてみると、今まで再建時に、先様から当社にご連絡・ご注文を頂いた店舗様とは、明らかに新Kentへの姿勢・反応が違っていた。
新規取引するには、契約や保証金の問題もあったが、倒産イメージのおかげか、当社への情熱や信用を失っているオーナーもあった。
トラッドの情熱よりも、支払いや掛け率や返品にこだわるお店様には、無理なお勧めはせずに、早々に退散させていただいた。
そして新たに、唐津ヤマトヤ・島原アビート・香椎アーバンの各店様のご契約を頂くことが出来た。
(※唐津には、学生時代のバンド仲間だった原口俊介氏が住んでいたので、懐かしく連絡してみると、なんと!彼の家は元・唐津藩家老職の直系であり、今は、㈱国活商事社長・唐津市青年商工会議所の会長職であった。
原口氏は、ビジネスH宿泊の私に、虹の松原グランドホテルに部屋を取ってくれて、市内のヤマトヤ様神山店長にも電話を入れてくれるのだった。
・・・私が何もしないうちに、契約が取れてしまった・・・・感謝!
※香椎アーバン店長の森山昌巳さんは、一昨年、長崎メンズプラザ剛店で出会ったトラッドコーナー担当の森山さんその人であった。ああ!縁は異なもの!縁とはなんとありがたいものであろうか!)
②私の出身地である、関東地方にも、改めて営業出張した。
前橋エンゼル様は、私が高校時代に初めてVANのBDシャツとラダ―スニーカーを買ったメンズショップである。
あの時 接客してくれたエンゼルのお母さんは、今でも顔を出すとお茶と白菜のお新香を出してくれて、懐かしいいろんな話をしてくれた。
今では立派な息子さん達が店を運営されていたが、ご両親に似て温かいお人柄で、家庭的雰囲気のホッとするお店だった。
そして新たには渋川ニューワカバ様にもご契約が頂けた。
“雷と空っ風、義理人情”の土地柄であった。
しかしながら、時代のトラッドトレンドはブリティッシュモデルであり、大型店に成長してポロやポールスチュアート等、外国ブランド商品に力を入れている高崎屋・桐生シャイン様では、新Kentに対する熱意や期待は感じられず、寂しい思いもするのでした。
出張はさらに続き、熊谷ナミキ・足利ナガシマ・太田ミノヤ、宇都宮ヤマト・水戸ボストン様・・・、
そして旧VAN同期・宮代君の平塚浦川屋様、小田原で開店したあの少林拳・佐野雅男君のファースト様、・・・と、12月まで続くのでした・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
|